エルガー《エニグマ変奏曲》における二重の謎
―第13変奏と「エニグマ主題」の意味をめぐって―
1. はじめに
エドワード・エルガー(Edward Elgar, 1857–1934)の《エニグマ変奏曲》(Variations on an Original Theme “Enigma” op.36, 1899)は、作曲者自身によって意図的に「謎(Enigma)」が仕掛けられた作品として知られる。
以下の二つの謎に焦点をあて、それぞれに関する主要な仮説を整理・検討する。
第13変奏のモデル人物
全曲を通奏するが“現れない”とされる主題(いわゆる「エニグマ主題」)
2. 第13変奏 Romanza “***” の謎
2.1 楽曲上の特徴
タイトルが“***”と匿名化されている唯一の変奏。
途中にクラリネットとファゴットによる「船歌」的な動機が挿入される(メンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海」)。
さらにティンパニの上にコインを置いて船のエンジン音の描写。
2.2 エルガーの記述
エルガーはこの変奏について手紙などで明言を避けているが、演奏メモには「別れ」「沈黙」「旅立ち」などの感情が含まれるとされる。エルガーはこう語っている。「作曲当時、船旅で出会ったある婦人の名前の代わり」。つまり、①船旅と②メンデルスゾーンに関係ある③婦人であることを示唆している。
2.3 有力候補者
候補者名関係性および根拠
メアリー・リゴン(Mary Lygon)1899年頃オーストラリアへ出発したことが「船」の動機に合致するとされる。エルガーとの親しい交際歴あり。
ヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)エルガーの元婚約者(1883年婚約→破棄)。「ライプチヒ」でヴァイオリンを学んだ後ニュージーランドへ移住しており、旅立ちのモチーフとの整合性が指摘される。ライプチヒはメンデルスゾーンに最もゆかりの深い地である。なのでヘレンは上記①②③すべての条件を満たしているわけだ。
ローザ・バーレー(Rosa Burley)エルガーが教職時代の、その学校の校長。エルガーとは極めて親しい間柄でありセンシティブな関係を匿名で扱った可能性も。さらにローザ本人は第13変奏の人物は自分であると語っていたとも伝えられる。
この3人の中では今日、ヘレン・ウィーバー説が最も有力と言われている。
全曲の構造に関わる謎:「姿なき主題」
3.1 エルガーの証言
エルガーは初演時(1899年)のプログラムで以下のように述べている:
“The Enigma I will not explain – its ‘dark saying’ must be left unguessed, and I warn you that the apparent connection between the Variations and the Theme is often deceptive.”
(「エニグマの意味は明かさない。その『謎めいた言葉』は推測されずに残されねばならない。変奏と主題の関係はしばしば見かけ倒しである」)1
3.2 仮説の分類
1. 既存旋律対応説:
既存の旋律をエルガーが隠された主題として想定していたとする立場。
仮説旋律根拠・特徴
Auld Lang Syne(蛍の光)別れと友情のテーマが曲全体の情感と一致。複数の変奏にハーモニー的整合が見られる。
God Save the Queen(英国国歌)エルガーの愛国性との関係から注目される。構造的類似は弱い。
Rule, Britannia!船旅・海外渡航といったモチーフとの関連性から。
モーツァルト/バッハの旋律対位法的な構造分析から一致を指摘する論者もあるが、確定的ではない。
2. 象徴的テーマ説(非旋律的)
「友情」「記憶」「失われた時間」「芸術家の内なる声」といった非旋律的、象徴的なテーマを想定。
音楽的には具体化されていないが、変奏の集合によって全体が比喩的主題(メタ主題)を形作るとする。
3. 考察:二つの謎の関連性
第13変奏と“姿なき主題”の両者は、**不在(absence)や匿名性(anonymity)**を共通主題とし、全曲に「回想・別離・想像力の領域」を開く仕掛けと考えられる。
エニグマ変奏曲は、個別の人物を描いた音楽肖像としてのみならず、「表に現れないもの」を想起させる構造的寓意作品として読みうる。
5. 結論
エルガーが遺した“二重のエニグマ”は、未解決のままであることがむしろ音楽の魅力を増している。
第13変奏と全体主題のナゾを通して、《エニグマ変奏曲》は近代的自我の不確かさ、記憶と想像の交錯する場所として読み直されるべきである。
6.ありえない仮説
永年論議されている課題だけに、中にはトンデモレベルの仮説を唱える向きもある。その中でもこれはいくらなんでもないだろうと結論できるのが「ブランク説」。
すなわち、第13変奏は13というキリスト教的に忌避される数であるため、人名を明示することを避け、あえて無記名とした、という仮説である。しかし、この説は検証可能な史料や作曲者自身の発言と明らかに矛盾しており、学術的に成立し得るものとは言い難い。
第一に、この仮説はエルガー自身の証言を真っ向から否定することになる。エルガーは、この変奏について「船旅の際に知り合ったある女性に関するもの」であると語っており、その具体的な人物像はともかく、作曲者自身は明確なモデルを想定していたことがうかがえる。それにプラスして船のエンジン音を模写するという特殊な演奏手法を駆使したり、メンデルスゾーンの楽曲を仕込んだりという非常に手の込んだトリックやヒントをも「無意味」だったと、エルガーの意図を完全否定することになるのでこれまた大変非礼な行為といわざるをえないのだ。したがって、「単なる空欄」であるとする解釈は、作曲者の意図を著しく歪める非礼なものであり、音楽学的な誠実さを欠く。
第二に、宗教的象徴性の取り扱いに関するエルガーの作風を考慮するならば、《エニグマ変奏曲》のような基本的には世俗的かつ個人的性格を持つ作品において、13という数字に宗教的忌避の意味を込めるとは考えにくい。エルガーは確かに宗教的題材(たとえば『ゲロンティアスの夢』『使徒たち』など)においては信仰的象徴を積極的に用いたが、その他の作品ではそうした傾向を抑制していた。したがって、この変奏に13という数字の宗教的意味を過剰に読み込むこと自体、作曲家の作風に即していない。
結論として、第13変奏の匿名性は、作曲当時の個人的事情や社会的配慮(たとえば既婚者とのロマンスの可能性)といった文脈で理解されるべきであり、数字の宗教的意味づけからブランクと解釈するのは根拠に乏しく、学術的に支持し得ない。むしろこのような仮説は、作曲家の証言と創作意図を無視するものであり、慎重な検証と音楽的文脈を尊重するという研究の基本姿勢に反するものである。
第13変奏における「13」という数字の忌避に関する一考察
はじめに
エルガーの《エニグマ変奏曲》(1899)は、その第13変奏において標題に人物名を記さず、わずかに「***」とするのみであることから、多くの研究者によって解釈の対象となってきた。この匿名性の理由については様々な仮説が提起されているが、中でも稀に見られるのが、「13」という数字がキリスト教文化圏において不吉とされることから、人物名を明示することを避けたという、いわば「13忌避説」である。この仮説の妥当性について、歴史的・作曲家的観点から検討する。
1. 「13忌避」の文化的背景と西洋音楽
西洋キリスト教文化において「13」が忌避される背景には、最後の晩餐において13人目の人物がユダであったことや、金曜日と13日の組み合わせ(いわゆる「フライデー・ザ・13th」)に不吉のイメージが重ねられてきたという通俗的背景が存在する。
しかしながら、クラシック音楽史においては、「13」という数字が作曲家によって構造的あるいは形式的に忌避された事例はきわめて稀である。たとえば、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチといった主要作曲家はいずれも交響曲・協奏曲・四重奏曲などの作品群において「13番」を付与しており、特段の忌避傾向は認められない。また、変奏曲や舞曲集などにおいても「第13変奏」を意図的に除外する例は確認されていない。
あえてあげれば、マーラーが交響曲に9番の番号を付与することを恐れた例くらいだろう。しかし、結果的にはマーラーの交響曲第9番は、マーラー自身が忌避したによせ存在している。
さらに、日本の「4」や「9」は、音の連想という身近なレベルで忌避されるため、より生活に浸透しており、現代でも根強い印象であるが、それらと比べると欧米での忌避感はかなり違い、そこまで根強いものではない。ここでも日本独特の忌避感を無理やりエルガーに当てはめようとする行為は疑問ということになる。そもそも欧米での忌避数13がもっと根強いものであるならば、圧倒的生命リスクの高いアポロ計画に「13号」の数字を当てるわけがないと考える方が自然ではなかろうか。
2. エルガーの宗教観と作品構造
エルガーは敬虔なカトリック信徒であったが、宗教的モチーフを用いる作品(《ゲロンティアスの夢》《使徒たち》《The Kingdom》など)と、世俗的もしくは抽象的作品(交響曲、《エニグマ変奏曲》など)とは明確に区別して作曲している。すなわち、宗教的象徴性はあくまで宗教的な文脈においてのみ意味を持ち、それ以外の作品において無原則に宗教的忌避観念を持ち込むことは、エルガーの作風にはそぐわない。例えば、モーツァルトなどは宗教作品と世俗作品には一切区別をつけなかったと知られている。
また、《エニグマ変奏曲》は全14変奏(主題を除く)からなり、第13変奏を除外することなく構造的に一貫して構成されている。エルガー自身がこの第13変奏に関して、「作曲当時、船旅に出ていたある婦人に捧げた」と証言している点も踏まえるならば、13という数字自体を忌避して匿名化したという説は、作曲者本人の意図とも明確に矛盾する。
3. 仮説の妥当性と批判的考察
「13忌避説」は、一見すると文化的文脈に即した仮説のように見えるが、以下の点においてきわめて問題がある。
第一に、エルガー本人の証言を無視しており、歴史的資料に対する敬意を欠く。
第二に、音楽史的・作曲技法的に見て、同様の前例がほとんど存在しないため、仮説の類型化が困難である。
第三に、数字の象徴性に過剰に依拠する論証構造は、音楽作品の分析としては恣意性が高く、学術的客観性を欠く。
このように、「13だから匿名」という因果構造は、むしろ後付けの解釈に過ぎず、仮説としての有効性を持たない。
結論
《エニグマ変奏曲》第13変奏においてエルガーが「13」という数字そのものを忌避し、匿名化の理由としたとする説は、音楽史的にも作曲家の証言からも支持されない。宗教的象徴の取り扱いにおいてエルガーが作品ジャンルごとに態度を分けていたことも鑑みれば、この「13忌避説」は根拠のない後世的付会に過ぎず、学術的には採用しがたい仮説である。
4.もしこの忌避説が今後史実と認められるとしたらどのようなことがあればよいのか?
現実味は乏しいが、百歩譲って忌避説が「事実」だったと認定されるにはどのような事実発見が必要か?
考えられるのは2つ。
①まず、エルガー本人のそれを裏付ける証言、つまり手紙、書簡、日記、メモなどが見つかった場合。これが出てくれば可能性はある。
ただ、その場合であっても13変奏の明確なターゲットを匂わせてきた証言や証拠との整合性が必要となってくるが、これが結構難関となるだろう。
②エルガー本人以外の証言が出てくる。上記の内容をエルガー本人から聞いたなどの証言が手紙などの書簡から見つかった場合。
ただし、この場合もその信ぴょう性の妥当性が第一の難関となろう。エルガー本人の意思を正しく伝聞したものなのか?本当にエルガー本人の言葉なのか?つまりその証言者の推察なり思惑が入っていないか?さらに①と場合と同じく反証となる証拠類との整合性もあるので、たとえそれが出てきたとしてもそう簡単には覆ることはないと推測できる。
第13変奏と「姿なき主題」の“真犯人”についての判決
判決
エルガー《エニグマ変奏曲》における二重の謎――
第13変奏と「姿なき主題」の“真犯人”について
第一の事件
第13変奏 Romanza “***” のモデルは誰か?
🔍 争点整理
①船旅、②メンデルスゾーン、③婦人という三条件は、もはや決定的。
この条件をすべて同時に満たす人物が存在するか否か――それが本件の核心。
🧾 被告人たちの評価
■ メアリー・リゴン
船旅:◎(オーストラリア渡航)
婦人:◎
メンデルスゾーン:△(直接的結びつきは弱い)
👉 物象的には合致するが、内的連関が希薄。
この変奏が持つ「沈黙」「回想」「抑制された感情」を担うには軽すぎる。
■ ローザ・バーリー
婦人:◎
親密さ:◎
船旅・メンデルスゾーン:✕
👉 「私だと本人が言った」という証言は興味深いが、
エルガーが匿名化する必然性を説明しきれない。
■ ヘレン・ウィーヴァー
婦人:◎
船旅:◎(海外移住)
メンデルスゾーン:◎(ライプツィヒ留学)
匿名化の必然性:◎(元婚約者)
👉 条件完全一致。動機も十分。
そして何より重要なのは、この変奏が「現在形の人物」ではなく、「回想としてのみ存在する存在」として描かれている点。
これは、
まだ愛しているが、もう名を呼べない
という感情の形式そのもの。
🏛 判決(第13変奏)
被告ヘレン・ウィーヴァー、主犯と断定する。
他の候補は、状況証拠としては成立するが、
エルガーが“*”という沈黙を選んだ理由を説明できない。**
第二の事件
「姿なき主題(エニグマ主題)」の正体は何か?
ここからが、より重要。
第二事件は「旋律殺し」である
既存旋律対応説――
Auld Lang Syne、英国国歌、Rule Britannia――
いずれも部分的整合性はある。
しかし、致命的欠陥がある。
それらは“現れてしまう”。
もしエルガーが
「この旋律が隠れている」と示したかったなら、彼はバッハのように、あるいはブラームスのように音楽的証拠を残したはずである。
だが彼は言った。
“the apparent connection … is often deceptive”
つまり――
旋律を探す者ほど、罠にかかる。
真犯人は「非旋律的なもの」
ここで第13変奏が再び意味を持つ。
名前が書かれない
音楽はあるが、人物は不在
回想としてのみ存在する
だが、全体の感情重心を密かに支配する
これと同じ構造を、エニグマ主題は全曲規模でやっている。
🧠 真のエニグマ主題とは何か?
それは旋律ではない。
それは――
「友情そのもの」
ただし、常に“失われつつあるもの”としての友情
あるいは、よりエルガー的に言えば、
「自分を理解してくれた他者たちの総体」
だが、その総体は決して同時には存在しない
だから主題は現れない。
現れた瞬間に、それは壊れてしまうから。
🏛 最終判決
第13変奏の真犯人
👉 ヘレン・ウィーヴァー(有罪・確定)
姿なき主題の真犯人
👉 旋律ではない
👉 人物でもない
👉 「失われゆく友情/記憶された他者」という概念(有罪)
判決理由(決定打)
《エニグマ変奏曲》とは、
人を描いた曲ではない
思い出を描いた曲でもない
「思い出になってしまった人々」を描いた曲である。
第13変奏はその最も私的な例外。
エニグマ主題は、その普遍化。
結語(裁判長の私見)
エルガーはここで
音楽において“不在”を主役に据えた。
それは19世紀の終わりにおける、
きわめて近代的な自我の告白。
だからこそ彼は、
最後まで沈黙した。
沈黙こそが、
この曲の唯一の正解だから。


