ウッド・マジック・・・最大の悲しみ

一枚の写真

1933年にエルガーの最晩年に撮影された一枚の写真。

一枚の写真

 

 

1933年。
冬の気配が忍び寄る部屋の片隅で、ひとりの老人が、静かに一枚のレコードを見つめている。

 

末期の坐骨神経癌。
痛みは日ごとに深まり、肉体はすでに音楽を紡ぐ器としての役目を終えつつあった。
だが、その手に残された温もりだけは、なおも何かを求めるように、黒光りする円盤へと伸びている。

 

それは、ストラットン弦楽四重奏団による、弦楽四重奏曲とピアノ五重奏曲のSPレコード。
録音されたばかりのその音を、プロデューサーのフレッド・ガイスバークが、見舞いとして彼に手渡した。
エルガーはそれを、繰り返し、繰り返し、聴いたという。
針が溝をなぞるたび、音楽はかつての時間を呼び覚まし、沈黙の部屋に、遠い記憶の気配が満ちていった。

 

この二つの作品は、十三年前に旅立った妻アリスが、ことのほか愛した音楽であった。
彼女の葬儀の日、冷たい土の前で鳴り響いたのも、この旋律である。
その時、音楽は別れの言葉であり、祈りであり、そして、生き残された者に課された沈黙の誓いであった。

 

老いた作曲家は、いま、再びその音を手に取る。
溝の奥に刻まれた無数の振動のなかに、彼は妻の面影を探し、自らの人生の断片を聴き取ろうとする。
そこにあるのは、栄光でも名声でもない。
ただ、共に生きた日々の残響と、取り戻すことのできぬ時間の、かすかな温度である。

 

一枚の写真。
そこには、死を前にした人間が、最後に縋ろうとするものの姿が、痛ましいほどの静けさで封じ込められている。

 

音楽は、もはや響かない。
だが、沈黙のなかでこそ、音楽はもっとも深く、鳴り続ける。

 

この写真は、作曲家エルガーの最晩年を伝える記録であると同時に、
愛する者を失い、それでもなお生き続けねばならなかった、一人の人間の、無言の告白なのである。

 

 

そのレコードに収められているピアノ五重奏曲の音源。

 

愛の音楽家エドワード・エルガー電子書籍はこちらからどうぞ

一枚の写真

エドワード・エルガー 希望と栄光の国


一枚の写真


愛の音楽家 エドワード・エルガー





ぷりんと楽譜の定額プラン「アプリで楽譜見放題」




本サイトから転載する際は必ず出展元として本サイト名とリンクを明記してください。それ以外の無断転載禁止
トップへ戻る