老練の知と炎が交錯する瞬間 ― サー・コリン・デイヴィスとコンセルトヘボウの《ファルスタッフ》
サー・コリン・デイヴィスはエルガー解釈において確固たる地位を築いた指揮者であるが、《ファルスタッフ》は彼のレパートリーの中では比較的珍しい作品である。ゆえに、1970年代にアムステルダムでコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこのライブ録音は、デイヴィスのエルガー観の一側面を照射する極めて貴重な記録である。
まず特筆すべきは、デイヴィス特有の“語り”の巧さである。エルガーのこの「交響的習作」は、ストーリー性と動的な構成が入り組んだ複雑な作品であるが、デイヴィスはその物語構造を驚くほど自然に浮かび上がらせる。テンポ設定は全体に中庸であり、過度な情緒の煽りも演出的な誇張もないが、その代わりに「劇の呼吸」が明確に刻まれている。彼はファルスタッフを単なる喜劇的人物としてではなく、矛盾と人間味を抱えた“生身の人物”として描くのである。
冒頭「ファルスタッフとハル王子」では、コンセルトヘボウの弦の厚みと木管の柔らかい発語が相まって、エルガー特有の英国風の陰影が“オランダ流の重厚な透明感”で再解釈されている。デイヴィスはラインを過度に歌わせず、しかし冷たくもせず、語り部のように確実に音を積み上げていく。その節度が音楽の品格を決定づけている。
第2部「イーストチープ」では、他の英国指揮者に見られる喧騒的なユーモアよりも、むしろ秩序と端正さが前に出る。しかし、その“整いすぎた”感覚が、逆にファルスタッフの放埓さを一層浮かび上がらせる効果を生んでいる点が興味深い。コンセルトヘボウの暖かい金管群は、酔いどれの場面に甘美な厚みを与えつつも、品位を決して失わない。
「夢想の間奏曲」では、デイヴィスの抒情性が最も鮮やかに立ち上がる。フレーズの微細な呼吸、アゴーギクの自然な波、そして深い陰影を帯びた弦の音色――これらが一体となって、老騎士ファルスタッフの内面世界を、誇張なく、しかし燦然と描き出す。ここで聴けるのは“涙をこらえながら語る抒情”であり、デイヴィスならではの節度を備えた感情表現である。
終盤の「新王の登場」「ファルスタッフの死」では、デイヴィスのドラマトゥルギーが一層引き締まる。彼は音の密度を高めつつも、決して激情に流れず、あくまで“語りの必然性”で音楽を導く。とりわけ死の場面では、指揮者の姿勢が一段と明晰になり、静かな絶望、そして救いへの微光といった精神的ニュアンスが濃密に表現される。この瞬間、ファルスタッフは単なる喜劇的人物ではなく、人生の光と影を背負った“大いなる人間”として立ち上がるのである。
総じて、本演奏は英国的情緒過多の《ファルスタッフ》とは一線を画し、“物語性の均衡”“構築の明晰さ”“透明で深い人間描写”を兼ね備えた、デイヴィスならではの演奏である。コンセルトヘボウの響きの奥行きと指揮者の知的抒情性が交わることで、この難曲は大きな威厳と温かみを持った一つの劇として完結している。
これは、デイヴィスのエルガー解釈の幅と深さを再認識させる、まさに貴重なる記録である。


