スタンフォードの《レクイエム》と《エニグマ》の謎
レイモンド・レッパードが1977年8月20日付の「The Times」で、スタンフォードの《レクイエム》の「ベネディクトゥス」のメロディが《エニグマ》のテーマに似ているので、この曲が《エニグマ変奏曲》の隠されたテーマではないかと、譜例を示しながら唱えたものである。しかし、スタンフォードとエルガーの不仲は有名なので、そのエルガーが仲の良かった友人たちのポートレイトを描いた作品のテーマに、そんな「イヤなヤツの作品」を選ぶわけはないと考えるのが常識的である。元々はスタンフォードがエルガーに対して批判的な内容の手紙を書いたことが2人の不仲の原因であった。その後、《ゲロンティアスの夢》に関して、スタンフォードはハーバート・ハウェルズには「このような作品を自分で書けたら首を差し出してもよい」と羨ましがったかと思えば、別の友人には「悪臭プンプン」と評している。これにはエルガーも相当頭に来ていたようだ。
ところが、冷静に考えてみると2人が、このような不仲に陥る以前、エルガーはサリヴァン、パリーと並んでスタンフォードの作品を盛んに紹介しており、一目を置いていた存在なのである。2人が知り合ったのが1895年、スタンフォード《レクイエム》が1897年、《エニグマ》が1899年、2人の亀裂が決定的になったのが1900年。この間にスタンフォードが手紙を送ったのであるが、それがいつなのか、また現存していないので内容は不明。だから、エルガーが当初リスペクトしていたスタンフォードの作品を《エニグマ》のテーマとして選んだが、その後不仲となってしまったので、そのことを言い出しづらくなってしまった、という推測も成り立つわけである。しかし結局のところ、今まであった否定要素が少し消えたというだけで、何ら肯定要素が増えたわけではない。やはりこれは違うかな、という気はする。聞いた感じでは、何となく「ニムロド」に似ていなくもないかなという程度。
スタンフォードのレクイエム
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《エニグマ変奏曲》主題の起源に関する一仮説の検討
――レイモンド・レッパードによるスタンフォード《レクイエム》説を中心に――
はじめに
エドワード・エルガーの《エニグマ変奏曲》(1899)は、その標題通り「エニグマ(謎)」として、作品全体を支える主題の正体が明示されておらず、これまで100年以上にわたり多様な仮説が提起されてきた。その中でも、比較的注目を集めたものの一つに、指揮者レイモンド・レッパード(RaymondLeppard)が唱えた「スタンフォード《レクイエム》説」がある。すなわち、変奏曲全体の主題はチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード作曲の《レクイエム》における「ベネディクトゥス(Benedictus)」の旋律に基づいているという説である。
この仮説の音楽的妥当性、および歴史的関係性の観点から、その実現可能性を批判的に検討する。
1. レッパードの主張とその内容
レッパードは1970年代に、この仮説を唱えたとされるが、文献的な裏付けとしては記録に乏しく、主として口頭や講演、インタビュー等で語られた範疇に留まっている。その根拠は、《エニグマ変奏曲》冒頭主題の旋律線が、スタンフォード《レクイエム》(1896)の「ベネディクトゥス」部分と類似しているという指摘に基づく。
確かに両者には四度や三度を中心とした滑らかな旋律線、穏やかなテンポ感といった表層的な共通点が見られる。しかし、それ以上の旋律構造の一致、和声進行、リズム的特質の一致は限定的であり、動機的な発展可能性も大きく異なる。したがって、純粋な音楽的比較の上では、両者が同一主題に由来するという主張を裏付けるには根拠が不十分である。
2. エルガーとスタンフォードの人間関係
この仮説をより大きく揺るがすのは、エルガーとスタンフォードの関係性である。両者はともにイギリス音楽界における中心的存在であったが、その関係は友好的なものとは言いがたかった。
スタンフォードはケンブリッジ大学で長らく教育者として君臨し、ヴォーン・ウィリアムズやホルストといった後進を育てたが、エルガーに対しては一貫して冷淡であり、いわば保守的な音楽界の権威としてエルガーの自己流・非アカデミックな手法に否定的であった。一方、エルガーもスタンフォードを公然と批判することは避けつつも、作曲家としての同質性や共感を示した形跡は極めて少ない。
このような背景からすれば、エルガーが《エニグマ変奏曲》という自己の創作上の飛躍点において、スタンフォードの作品を密かに借用・引用するという行為は、心理的にも創作動機的にもきわめて不自然である。
3. 仮説の成立可能性と限界
仮にスタンフォード《レクイエム》の「ベネディクトゥス」に触発されたという可能性があったとしても、それが直接的な変奏主題の「正体」であるというには、以下の理由から無理がある:
和声・対位法的手法の根本的違い(エルガーは自由対位法を駆使している)
主題に込められた人物的象徴との関連性の欠如
エルガー自身の主題解釈(「誰でも知っている主題」と発言)との乖離
また、スタンフォード作品の受容状況や知名度を鑑みるに、《レクイエム》の「ベネディクトゥス」が「万人に知られる旋律」であるとするのは明らかに無理がある。
結論
レイモンド・レッパードが提唱した「《エニグマ変奏曲》主題=スタンフォード《レクイエム》説」は、表層的な音楽的類似を過度に拡大解釈したものであり、作曲家間の人間関係や時代背景を考慮すれば、実現可能性は著しく低い。むしろ、このような仮説は「隠された主題」という魅力的ミステリーへの惹かれから派生した想像的付会の一例に過ぎず、学術的に有効な解答とは成り得ないと言える。