「エニグマ変奏曲」第7変奏Troyte:アーサー・トロイト・グリフィス(1862-1942)

――建築家アーサー・トロイト・グリフィスという存在
Edward Elgar《エニグマ変奏曲》作品36の第7変奏〈Troyte〉は、建築家アーサー・トロイト・グリフィス(1862–1942)を描いたものである。エルガーの数多い友人の中でも、最も長期にわたり親交を結んだ人物の一人であった。
トロイトがスペインでの建築修業を終えて帰国した1896年頃から両者の交流は始まり、1942年に彼が世を去るまで続いた。単なる交友を超え、人生の要所要所で互いに深く関わり合った関係であった。
多彩な才能と人柄
トロイトは優れた建築家であると同時に、多才な人物であった。水彩画に秀で、チェスの名手としても知られる。細身で長身の体躯から「ナインピン(九鍼針)」というあだ名で呼ばれていたという。
エルガーと共にモールヴァン・コンサート・クラブを設立し、ピアノをエルガーに師事するなど音楽にも関心を寄せた。しかし演奏の腕前は芳しくなかったらしい。第7変奏の荒々しく騒々しい楽想は、ピアノのレッスン中に癇癪を起こし、ついには口論へと発展する様子を描いたものだと伝えられている。
もっとも、トロイト自身はこの解釈に異議を唱えていた。彼の説明によれば、サイクリング中に突然の雷雨に遭い、慌てて木陰へ逃げ込む様子を描いたものだという。激しいリズム、打楽器的和音、突発的な強弱の対比を聴けば、確かにこちらの方が自然にも思える。
エルガー特有のユーモアと誇張が、友情のスケッチとして結晶したのが〈Troyte〉なのである。
建築家としての足跡
トロイトの仕事は今日もモールヴァンに刻まれている。
まず、モールヴァン・ヒル頂上ウースターシャー・ビーコンに立つ
Worcestershire Beaconのトポスコープ(頂上碑)。1897年のヴィクトリア女王即位60周年を記念し、翌年完成したものである。
次に、グレート・モールヴァン中心部の
Abbey Gateway(現モールヴァン・ミュージアム)。ここは彼の所属していた建築事務所が置かれていた場所であり、同事務所の共同経営者の一人は、《エニグマ》第12変奏〈BGN〉のモデル、バジル・ネヴィンソンの兄エドワードであった。
さらに1903年建立の
All Saints Church Malvern。1942年、トロイトの葬儀はここで営まれ、その席で《エニグマ変奏曲》第7変奏〈Troyte〉と第9変奏〈Nimrod〉がオルガンにより演奏された。これはエルガーの娘キャリスの配慮によるものであったという。英国で葬儀の際に〈Nimrod〉が演奏される慣習の源流の一端が、ここにあると考えられる。
そして特筆すべきは、
St Wulstan's Churchにあるエルガー一家の墓石が、トロイトの設計によるものである点である。作曲家の最終的な「記念碑」を友人が手がけたという事実は象徴的である。
そのほか、エルガー旧居に掲げられた記念プレートや、バーチウッド・ロッジをエルガーに紹介したことも、彼の友情の具体的証左である。
切り離せぬ関係
トロイトの人生は、建築家としての業績のみならず、エルガーとの友情によって深く彩られている。
そしてエルガーの音楽もまた、トロイトという人物を永遠に刻み込んだ。
〈Troyte〉は単なる騒々しい間奏ではない。そこには、気難しく、情熱的で、どこか愛すべき友の姿がある。
石を積み上げた建築家と、音を積み上げた作曲家。
二人の友情は、モールヴァンの丘とともに、今なお響き続けているのである。
① モールヴァン・ヒル頂上碑
② アビー・ゲート・ウェイ(Malvern hills Tourismより)
③ オール・セイント教会(Malvern War Memorialより)
④ セント・ウルスタン教会にあるエルガー一家の墓石
⑤エルガーの家のプレート
⑤ トロイトがエルガーのために見つけてきたバーチウッド・ロッジ
【第7変奏に関しての「エニグマ変奏曲」推薦ディスク】
シャルル・デュトワ指揮/モントリオール管
あまり正統的演奏ではないため、全曲を通しての推薦盤として挙げるつもりはない。しかし、本特集に掲げた第7変奏Troyteの演奏が個性的で抜群に面白い。全体を通じて、デュトワ得意のフランス音楽風の色彩感を施した演奏で、まるでR・シュトラウスかドビュッシーのようなエルガーに仕上がっている。特にTroyteでのティンパニの最強打の一撃は聴きもの。N響での実演でも全く同じように演奏していた。
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第11変奏のG.R.シンクレア
――ジョージ・ロバートソン・シンクレアとその周辺
Edward Elgar《エニグマ変奏曲》作品36の第11変奏〈G.R.S.〉は、ヘレフォード大聖堂のオルガニストであったジョージ・ロバートソン・シンクレアを描いたものである。もっとも、この変奏の直接的なモティーフとなったのは、彼自身というよりも、彼の愛犬――ブルドッグのダンであったことはよく知られている。
ダンの一跳躍
エルガーの説明によれば、ダンがワイ川に飛び込み、岸へとよじ登る様子が音楽化されたという。冒頭の急激な上昇音型は水中への飛び込み、続く力強い動機は水を掻き分ける動き、そして堂々たる主題は岸へ戻った勝利の姿と解される。
したがって〈G.R.S.〉は、厳格な聖堂音楽家の肖像というより、親しい友人の身近な情景を切り取ったユーモラスなスケッチである。しかしその背後には、三大聖堂音楽祭を共有した教会音楽家同士の深い信頼関係が横たわっている。
写真に見る三者
この写真には、左から第11変奏のモデルであるシンクレア、初演指揮者のHans Richter、そして作曲者エルガーが並んでいる。
リヒターは1899年6月19日、ロンドンのセント・ジェームズ・ホールにおいて《エニグマ変奏曲》を初演し、作品成功の決定的立役者となった大指揮者である。彼の擁護なくして、この作品の国際的評価はあり得なかった。
写真のエルガーの風貌から判断すると、撮影時期は1900年代初頭と考えるのが妥当である。口髭をたくわえ、まだ精悍さを保ちながらも、すでに国際的名声を得た後の落ち着きを漂わせている時代であろう。リヒターも壮年の威容を保ち、シンクレアは聖堂音楽家らしい端正な姿を見せているはずである。
三者の象徴性
この三人の並びは象徴的である。
シンクレア:地方聖堂音楽界を代表する実務家
リヒター:大陸的権威を体現する巨匠指揮者
エルガー:その両者を結びつけ、英国音楽を国際舞台へ押し上げた作曲家
《エニグマ変奏曲》は、単なる友人たちの肖像集ではない。地方都市ウースター、ヘレフォードの人間関係が、リヒターという媒介を通してヨーロッパへ接続された瞬間を象徴する作品である。
第11変奏〈G.R.S.〉の軽妙さの背後には、英国大聖堂音楽の伝統、友情、そして国際的飛躍の物語が秘められているのである。

第10変奏で描かれたドーラ・ペニーの住んでいた家
――ドーラ・ペニーの家に今さらながらの記念プレート
Edward Elgar《エニグマ変奏曲》作品36の第10変奏〈Dorabella〉で描かれたドーラ・ペニー。その住居に、このたびウルヴァーハンプトン協会によってエルガーゆかりのプレートが設置されたという。
正直なところ、意外である。
ドーラほど《エニグマ》の中で印象的な存在に、これまで記念プレートが無かったというのは、どこか英国らしい遅さを感じさせる。
ドーラ・ペニーとは誰か
ドーラ・ペニー(本名ドーラ・ペニー、のちミセス・パウエル)は、エルガーより二十歳以上年少の友人であり、エルガー一家と極めて親密な関係を築いた女性である。彼女の変奏〈Dorabella〉は、軽やかな16分音符の揺れ動く旋律によって、その吃音気味の話し方や愛らしい性格を描写したものとされる。
彼女はエルガーにとって単なる若い友人ではなかった。家族ぐるみの交流があり、音楽的理解者であり、精神的慰めでもあった。
「愛人」疑惑とケン・ラッセル
エルガーとドーラの関係については、しばしば過剰な想像がなされてきた。
特にKen Russellのテレビ・ドキュメンタリー
Elgarでは、両者の関係がかなり露骨に示唆され、事実上ロマンティックな関係として描かれている。
しかし史料的裏付けは決定的ではない。親密であったことは疑いないが、それを恋愛関係と断定することには慎重であるべきであろう。エルガーは感情表現の豊かな人物であり、友情と愛情の境界が曖昧に見えることはある。
サイクリング仲間としてのドーラ
興味深いのは、ドーラが自転車に乗れなかったエルガーに乗り方を教えたという逸話である。エルガーにとってサイクリングは創作の触媒であり、モールヴァンの丘陵を巡る日々は多くの作品に影響を与えた。
その第一歩を支えたのがドーラであったとすれば、象徴的意味は小さくない。
なぜ今なのか
今回、ウルヴァーハンプトン協会が彼女の旧宅にプレートを設置したという事実は、英国におけるエルガー受容の深化を示すものかもしれない。
《エニグマ》の人物たちは、これまで「作曲家の周辺人物」として扱われることが多かった。しかし近年は、彼ら自身の人生にも光が当てられている。
それにしても、「Dorabella」の家に今まで無かったとは、やや意外である。
〈Nimrod〉や〈Jaeger〉ならともかく、〈Dorabella〉は《エニグマ》の中でも特に親しまれてきた変奏である。
ドーラ・ペニーは単なるモデルではない。
彼女はエルガーの青春と成熟の間をつなぐ存在であり、感情の柔らかな部分を象徴する人物である。
その家にプレートが掲げられたことは、エルガーの音楽が単なる「国威発揚」の象徴ではなく、人間関係の網の目の中から生まれた芸術であることを改めて思い出させる。
《エニグマ変奏曲》第10変奏〈Dorabella〉の軽やかな旋律は、いまや一枚の青いプレートによって、再び現実の街路へと接続されたのである。






