スラットキンの彫琢された“エニグマ”——構築美と人間味が共存する秀演
レナード・スラットキン指揮によるクリスチャンサン交響楽団との《エニグマ変奏曲》は、作品の持つ構築性と情緒性を見事に両立させた演奏である。スラットキンはエルガーの表面的な華やかさよりも、作品内部に潜むテクスチュアの透明度と、変奏ごとの性格描写を綿密に彫琢する指揮者であり、その美点が本映像でも遺憾なく発揮されている。そこにはエルガーの本質に北欧的透明感と清涼感を、このノルウェーのオケから引き出すことに成功している。
■ 1. 全体像:過度に歌わず、しかし温度感を失わぬエルガー
テンポ設定は中庸であり、作品全体の構造が明晰に見渡せる。スラットキンは決して情緒に溺れず、また乾燥にも向かわず、絶妙な中間点を探る。同時に、各変奏のキャラクターが明瞭に切り立つため、14の肖像画が連続して立ち上がる印象を得る。
コンチェルトヘボウやロンドン響が示す“湿度あるエルガー”とは異なり、スラットキンのアプローチはアメリカ的クリアネスに立脚しているが、冷たさや痩せた響きとは無縁である。整えられたアーティキュレーションと明晰なバランス感覚が、作品の近代的な性格を前景化している。
■ 2. 個々の変奏の扱い
●《C.A.E.》
冒頭テーマから続く最初の変奏は、落ち着きと慈愛を湛えつつ、過度にロマンティックに傾かない。エルガーの“家庭的な温もり”が丁寧に描写される。
●《H.D.S-P.》《W.M.B.》
快速の変奏では、スラットキンの精密な運動エネルギーが光る。アタックの処理が整然としており、軽快ながらも品格を失わぬ統御の効いた推進力がある。
●《Ysobel》《W.N.》
内向的で繊細な変奏において、木管群の歌い方が自然である。スラットキンは旋律線を誇張せず、むしろ内声の動きに柔らかな光を当てる。そのため響きが多面的に立ち上がる。
●《トロイト》《GRS》
リズム主体の変奏でも、アクセントの付け方が鋭すぎず、しかし緩まない。感情過多の“英国風ユーモア”ではなく、端正な品格を伴った運動性に終始する。
■ 3. 《ニムロッド》:抑制の中に深い呼吸
スラットキンの《ニムロッド》は、現代的な視点を持つ名演である。テンポを極度に引き延ばさず、呼吸の流れを重視した表現であり、過剰な感傷表現とは一線を画す。
クレッシェンドは段階的で、和声の転換点が極めて鮮明であるため、音楽が自然に上昇し、“内側から温度が上がる”ような感動をもたらす。英国流の泣かせ方とは異なるが、精神性の高さでは決して劣らない。
■ 4. 《フィナーレ》:誇張を避けた堂々たる帰結
終曲《E.D.U.》は、英雄的な決然さを備えながら、過度に騒がしくならない。スラットキンは打楽器と金管を明確に制御し、勝利の凱旋というより、人格の証明としての“エルガー自身の肖像”を提示している。
終盤の輝きも、華美というより清潔で堂々とした性格が前面に出る。
スラットキンの《エニグマ変奏曲》は、濃厚な英国趣味に寄せすぎず、過度な分析的冷たさにも陥らない。「構築の明晰さ」と「人間味の柔らかさ」の均衡が絶妙であり、変奏ごとの肖像画が見事な焦点で描かれる。
エルガー演奏の解釈史の中において、スラットキンは“端正にして深い”という、英国外の指揮者としては稀有な立ち位置を確立しているといえる。かくして、スラットキンによる魂の伝道の旅はまだまだ続くのだ。


