オルガンソナタ1番の管弦楽版

弦楽だけで描かれるもう一つの「エルガー」――《スウィナートンの夢》という新たな世界

エルガーの《オルガン・ソナタ ト長調 作品28》といえば、一般にはゴードン・ジェイコブによる管弦楽版、いわゆる「交響曲第0番」がよく知られている。しかし、この作品にはもう一つ興味深い編曲版が存在する。

 

2006年、ハンス・クンストヴニー(Hans Kunstovny)が弦楽オーケストラのために編曲した《Swinnerton's Dream(スウィナートンの夢)》である。演奏は「交響曲第0番」でも名演を聴かせたダグラス・ボストック指揮、南西ドイツ・プフォルツハイム室内管弦楽団である。

 

まず驚かされるのは、弦楽器だけでこれほどまでに自然なエルガーの世界が成立してしまうことである。

 

ジェイコブ版が「若きエルガーの交響曲」と呼ぶにふさわしい壮麗な世界を築き上げていたのに対し、このクンストヴニー版は、作品の内面へと深く分け入っていく。

 

第1楽章冒頭の堂々たる主題も、金管の輝きに頼ることなく、弦だけで豊かな陰影を描き出す。その響きは華麗というよりも温かく、まるで英国の曇り空の下に広がる牧歌的な風景を眺めているようである。

 

第2楽章では、この編曲の真価が早くも現れる。

 

もともと旋律美にあふれた楽章であるが、弦楽だけになることで歌心が一層際立ち、まるでエルガー自身の弦楽セレナードを思わせる親密な世界が広がる。木管や金管が存在しないことを物足りなく感じるどころか、旋律そのものの美しさを改めて認識させられる。

 

白眉は第3楽章である。

 

ここでは弦楽合奏特有の柔らかなレガートが最大限に生かされ、深い祈りにも似た静謐な時間が流れる。その響きは《序奏とアレグロ》や《弦楽セレナード》にも通じる英国弦楽合奏の伝統そのものであり、エルガーが本来持っていた抒情性が実に自然な姿で現れている。

 

終楽章では弦楽器だけとは思えない推進力を生み出している。音量や色彩ではジェイコブ版に及ばないものの、その代わり室内楽的な機敏さと軽快さがあり、各声部の対話が非常に明瞭に聴こえる。作品の構造もより鮮やかに浮かび上がり、「交響曲」というより「巨大な弦楽四重奏」を聴いているかのような知的な面白さがある。

 

そして、この演奏を成功へ導いている最大の功労者がダグラス・ボストックである。

 

ボストックは作品を決して特殊な編曲物として扱わず、一つの独立した作品として真摯に向き合っている。テンポは自然で、フレージングも実に歌心に富み、弦楽合奏の魅力を最大限に引き出している。プフォルツハイム室内管弦楽団も美しいアンサンブルで応え、響きは透明でありながら十分な厚みを備えている。

 

ジェイコブ版が「交響曲第0番」ならば、このクンストヴニー版は「もう一つの弦楽交響曲」とでも呼びたくなる存在である。

 

作品のスケールこそ小さくなるものの、その分、若きエルガーの旋律美や和声感覚、そして後年の《弦楽セレナード》や《序奏とアレグロ》へとつながる抒情性が、かえって鮮明に浮かび上がる。

 

《オルガン・ソナタ》という作品が持つ懐の深さを、まったく異なる角度から照らし出した極めて魅力的な編曲であり、ボストックはその魅力を余すところなく伝えている。

 

クンストヴニーによるエルガーの編曲の初演は、2006年10月にプフォルツハイムでセバスチャン・テウィンケルの指揮により行われ、その後2020年1月にはダグラス・ボストックが自身のプログラムにこの曲を組み込んだ。
録音は、このコンサートに続いて制作されたものである。自身の編曲に「スウィナートンの夢」という副題を付けたクンストヴニーも会場に同席していた。この副題は、このソナタの献呈先であり、19世紀の最後の10年間にエルガーの作品を支援したオルガニスト兼合唱指揮者、チャールズ・スウィナートン・ヒープに由来するものである。

 

「交響曲第0番」と聴き比べてこそ、この作品の真価はさらに深く理解できる。エルガーという作曲家が、どれほど豊かな旋律と構築力を若き日にすでに身につけていたのかを、改めて実感させてくれる貴重な一枚である。

 

 

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