「交響曲第0番」の真価を証明した決定的名演――ボストックが甦らせた若きエルガー
ダグラス・ボストックがアルゴヴィアフィルハーモニーを指揮した2019年のライヴは、エルガーのオルガンソナタ, Op. 28 (ゴードン・ジェイコブによる管弦楽編曲版)の現時点における決定的名演と言ってよい。
この作品は本来、1895年に作曲されたオルガン・ソナタである。しかし1946年、ゴードン・ジェイコブが見事な管弦楽化を施したことによって、まるでエルガー自身が最初からオーケストラ作品として構想していたかのような自然さを獲得した。実際、この編曲はエイドリアン・ボールトやキャリス・エルガーの後押しによって実現した経緯があり、その完成度の高さは折り紙付きである。
英国のエルガリアンの間では、この作品を愛情を込めて「交響曲第0番」と呼ぶことがある。その理由は聴けばすぐに理解できる。第1楽章の堂々たる歩みには、後年の《交響曲第1番》の"nobilmente"を思わせる高貴さがすでに息づいている。さらに同時期に作曲されたインペリアルマーチのエコーも聴こえるかのようだ。第2楽章には《愛の挨拶》へとつながる親密な抒情性が顔をのぞかせ、第3楽章では後年の《エニグマ変奏曲》や《ゲロンティアスの夢》へ通じる深い精神性が現れる。そして終楽章の力強い推進力は、若きエルガーがすでに本格的なシンフォニストとしての資質を備えていたことを雄弁に物語っている。
こうした作品の魅力を、ボストックは実に見事に引き出している。
まず感心させられるのは、作品を決して「珍しい編曲作品」として扱っていない点である。最初から一つの本格的な交響曲として構築し、その巨大なアーチを最後まで見失わない。テンポ設定は自然で無理がなく、各楽章の性格の違いも鮮明でありながら、全体として一つの有機的な流れを形成している。
第1楽章では金管が堂々と鳴り響く一方で決して過剰にはならず、気品を失わない。ボストックは若きエルガーの情熱を表現しながらも、後年へとつながる品格を常に保っている。
第2楽章では木管の柔らかな歌わせ方が実に美しい。ここには英国音楽特有の穏やかな田園性が漂い、旋律は自然な呼吸の中で語られていく。
そして白眉は第3楽章である。静謐な祈りにも似た音楽が、透明感あふれる弦楽器によって実に繊細に描かれる。この楽章を聴いていると、後の《ゲロンティアスの夢》や交響曲第2番へ至る精神世界が、すでにこの時点で芽生えていたことを実感させられる。
終楽章では作品全体を支えてきたエネルギーが一気に解放される。オーケストラは終始引き締まり、ライヴとは思えないほど精度が高い。それでいて機械的な正確さではなく、音楽が生き物のように躍動している。
録音も極めて優秀で、各声部の分離は明瞭でありながら響きには十分な奥行きがある。ジェイコブの巧みなオーケストレーションが細部まで鮮やかに浮かび上がり、この作品が単なる編曲ではなく、一つの完成された管弦楽作品として成立していることを改めて認識させてくれる。
エルガーの交響曲は通常、第1番、第2番、そしてペイン補筆完成版の第3番が語られる。しかし、その出発点には、この「交響曲第0番」と呼びたくなる作品が存在する。
ボストックは、その事実を演奏によって証明してみせたのである。
このライヴを聴けば、若きエルガーがすでに後年の傑作群のすべての萌芽を宿していたことがはっきりと分かる。そして、この作品はもはや「オルガン・ソナタの管弦楽版」ではない。一人の偉大な交響曲作家が、世界へ歩み出す第一歩を刻んだ、もう一つの交響曲として堂々と受け止めるべき作品なのである。




