遂につかんだ名声

「完成されたノリントン・サウンド」―2009年シュトゥットガルトの《エニグマ変奏曲》

ロジャー・ノリントンとシュトゥットガルト放送交響楽団の関係は、20世紀末から21世紀初頭のオーケストラ演奏様式の変革を語る上で欠かせない。2009年3月12日にシュトゥットガルトで収録されたエルガー《エニグマ変奏曲》は、その成果が完全な形で結実した記録と言ってよいだろう。

 

ノリントンが同楽団の首席指揮者に就任した当初、彼の目指したものは単なる「古楽器的な演奏」ではなかった。最大の特徴は、徹底したノン・ヴィブラート奏法と、19世紀から20世紀初頭の演奏慣習を現代オーケストラによって再現することにあった。

 

就任後の数年間、彼は楽団員に対して執拗なまでにその理念を浸透させていく。最初は戸惑いも少なくなかったと言われるが、約3年を経た頃には楽団の音色そのものが変貌を遂げていた。

 

その成果を日本の聴衆が最初に強烈に体験したのが、2001年の来日公演での交響曲第1番, Op. 55である。あの演奏も衝撃的だった。弦楽器は驚くほど透明で、内声部が鮮明に浮かび上がり、エルガーの巨大なオーケストレーションが一種の室内楽的な精密さを持って響いていた。ヴァイオリン群の軽くて透明な響きが清廉なイメージを形造っていく。

 

しかし、この2009年の《エニグマ変奏曲》を聴くと、2001年の段階はまだ「過渡期」であったことが分かる。

 

ここではノリントンの理念が完全にオーケストラの血肉となっている。

 

冒頭の「Enigma」主題からして驚かされる。弦の響きには余計な脂肪がなく、各声部が驚くほど明晰である。通常の英国的な厚みやノスタルジックな色彩とは全く異なるが、決して冷たくはない。むしろスコアに書かれた対位法的な動きが鮮烈に浮かび上がり、作品の構造美が見事に可視化されている。

 

「C.A.E.」では親密さが、「Troyte」では雄大なテンポ設定を取りつつもリズムの鋭利さが際立つ。そして何より圧巻なのは「Nimrod」である。

 

多くの指揮者がこの変奏を重厚なロマン主義の頂点として扱うのに対し、ノリントンは徹底して透明性を保つ。テンポを極端に引き延ばすこともなく、感情を過剰に煽ることもない。

 

しかし、不思議なことに感動は少しも損なわれない。

 

むしろ旋律の純粋な美しさそのものが前面に現れ、「追悼音楽」としてではなく、一つの精神的な祈りとして響いてくる。

 

終曲「E.D.U.」でも同様である。通常の演奏に見られる英雄的高揚よりも、各主題の有機的な結び付きと構築性が強調される。そこには「帝国の栄光」を描くエルガーではなく、緻密な構成力を持つシンフォニストとしてのエルガーの姿がある。

 

もちろん、このアプローチを「英国的でない」と感じる向きもあるだろう。バルビローリやボールトの伝統に慣れ親しんだ耳には、あまりにも禁欲的に映るかもしれない。

 

しかし、この映像を観ていると、ノリントンが単なる異端児ではなかったことがよく分かる。

 

彼はエルガーの音楽に新しい光を当てたのである。

 

2001年の来日公演では、まだ「ノリントンの理念を実践するオーケストラ」という印象が強かった。しかし2009年になると、それは完全に「ノリントン・サウンド」と呼ぶべき独自の様式へと成熟している。

 

この《エニグマ変奏曲》は、その完成形を記録した貴重な映像であり、同時に20世紀的エルガー観から21世紀的エルガー観への転換点を示す、極めて重要なドキュメントなのである。

 

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