~エルガーとともにイギリスのカントリー・サイドを歩く~
映像作品 「眺めのいい音」
~エルガーとともにイギリスのカントリー・サイドを歩く~
1990年代初頭、Naxosレーベルから作曲家を主題とした映像作品がレーザーディスクとして数点リリースされた。その一つに、エドワード・エルガーを扱った《眺めのいい音――エルガーとともにイギリスのカントリー・サイドを歩く》がある(のちに海外盤DVDとして再発売)。
本作は、今日の基準で見てもなお際立った完成度を誇る、きわめて稀有なエルガー映像作品である。
近年、作曲家を扱った映像作品の多くは、「それらしい風景」と「有名曲」を機械的に貼り合わせた、いわば観光映像+BGMの域を出ないものが少なくない。そうした安易な“理解したふり”の演出と比べるなら、本作の企画・監修の水準は明らかに別次元にある。
風景は装飾ではなく、作曲行為を生み出した場所として、慎重に選び抜かれている。
もっとも、本作の価値は、万人に向けて即時的に開示されるものではない。エルガーに関する予備知識をほとんど持たない視聴者にとっては、この映像は「美しい英国田園風景が続く静かな音楽ビデオ」にしか見えない可能性が高い。しかし、見るべき人間が見たとき、この作品はその緻密な取材と構成の周到さによって、強い説得力をもって立ち上がってくる。
注目すべきは、そのロケーションの選定である。
ロンドン、ウースター、モールヴァン・ヒル、バースプレイスといった“定番”に留まらず、本作はさらに踏み込む。ウェスト・サセックスのブリンクウェルズ、《エニグマ変奏曲》ゆかりのウィニフレッド・ノーバリーの家シェリッジ、第7変奏《Troyt》に結びつくアビー・ゲート・ウェイ、エルガー少年が通ったクレイネス教会、《使徒たち》作曲の精神的背景となったクィーンヒル教会――いずれも、エルガーの音楽を「風景と切り離して理解することの不可能性」を雄弁に物語る場所である。
つまり本作は、エルガーを「作品の人」ではなく、場所を生き、場所によって作曲した存在として描こうとしている。この点において、本作はエルガー受容史の中でも、きわめて先鋭的な立ち位置を占めている。
しかし、ここで重大な問題が生じる。
それは――解説が存在しないという致命的な欠落である。
これほど深い取材を行いながら、映像にはテロップによる説明もなく、ナレーションもなく、付属ライナーノーツの解説は簡略で、しかも事実誤認が散見される。この不在は、「沈黙の美学」として肯定するにはあまりに危険である。
なぜなら、文脈を与えられなければ、この映像は容易に「それらしい風景の連続」へと堕してしまうからだ。
NHK「名曲アルバム」のような最低限の情報提示すら拒否する姿勢は、結果として、作品の思想的深度を視聴者に委ねすぎている。理解できる者にだけ理解されればよい、という態度は、映像メディアにおいては両義的である。
それゆえに、この作品は「優れているが、未完である」。
そして同時に、「解説されることを待っている映像」でもある。
本作が提示しているのは、単なるエルガー紀行ではない。
それは、エルガー音楽が〈場所〉によって生成され、記憶と結びつき、風景と共鳴する芸術であることの、静かな、しかしきわめて説得力のある証言なのである。
以下では、この映像に登場する場所と音楽との関係を、私なりの視点から一つずつ読み解いていくことにしたい。
(なお、これらの点の大半は、付属ライナーノーツではほとんど触れられていない。)






