ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人(Opera in two Acts, Spanish Lady, op. 89)》

ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人》

エルガーにとってオペラの作曲は、長年にわたる悲願であった。しかし実際には、決定的な題材に恵まれないまま歳月が過ぎていったと言ってよい。
かつてはトマス・ハーディの脚本をもとにオペラを作曲する計画も存在したが、両者の意見が折り合わなかったことに加え、第一次世界大戦の勃発によってこの企画は立ち消えとなってしまった。

 

その後、事実上の引退状態でウースターに隠棲していた時期に、エルガーはモールヴァン音楽祭の音楽監督バリー・ジャクソンや、劇作家バーナード・ショウらと知り合う。この交流が刺激となり、エルガーの創作意欲は再び呼び覚まされることになる。こうして彼は、ベン・ジョンソン作の戯曲『悪魔はロバ』を題材としたオペラの作曲に着手した。

 

しかし、同時期に構想されていた《交響曲第3番》の場合とは異なり、この時期のエルガーには新たな楽想が次々と湧き上がるという状況にはなかったようである。結果として、《スペインの貴婦人》では、過去に作曲されながら発表されずにいた素材を、いわゆる “Shads” と呼ばれるスケッチ・ブックから引き出し、縫い合わせる作業が多くを占めることになった。この点こそが、《第3交響曲》ほどには後世の補完が切望されなかった理由の一つであろう。

 

実際、本作には《インドの王冠》(1912)で用いられなかった素材や、《ファルスタッフ》(1913)、さらには初期作品である《4つの舞曲集(Four Dances for Wind Quintet)》(1879)から第3曲「サラバンド(Saraband – Largo)」などが転用されている。とりわけこのサラバンドは、ヘンデルやモーツァルトを思わせるメヌエット風の典雅さと気品を備えた名曲であり、こうした埋もれた作品の中に留め置かれているのが惜しまれるほどである。

 

結局、《交響曲第3番》と同様に、《スペインの貴婦人》も未完のままエルガーの死を迎えることとなった。ただし、《第3番》とは異なり、エルガーはこのオペラについて補完を禁じる意思を示してはいなかった。そこで、エルガーの娘キャリスの了承を得たうえで、パーシー・ヤングが補完作業に着手し、最終的に約45分規模の全曲版が完成する。

 

このヤング補完による全曲版は、1986年にセント・ジョンズ・スクウェアで上演され、さらに1994年11月の「ケンブリッジ・エルガー・フェスティバル」でも再演された。その後、アンソニー・ペイン補完による《交響曲第3番》のラジオ公開版とカップリングされ、《BBCミュージック》誌付録CDとして録音・紹介されている。

 

もっとも、今日一般に知られているのは、ブーレスク、サラバンド、ブーレーの3曲から成る、ヤング自身による組曲版であろう。演奏機会の多さという点でも、この組曲版が《スペインの貴婦人》受容の主流となっているのが現状である。
ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人(Opera in two Acts, Spanish Lady, op. 89)》ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人(Opera in two Acts, Spanish Lady, op. 89)》

 

 

ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人(Opera in two Acts, Spanish Lady, op. 89)》

 

「スペインの貴婦人」のナゾ

ところでこの「スペインの貴婦人」にはナゾがある。
紹介したようにこの作品はパーシー・ヤングの手によって一応全曲完成版が存在している。
一方、この「スペインの貴婦人」には抜粋というか組曲がいくつかある。
代表的なものが全曲を完成させたヤング自身によるもの。
マリナー盤などいくつかの録音があり、こちらの方が有名でしばしば演奏される機会がある。
ヤングによる組曲はBurlesco、Sarabande、Bourreeの3曲からなっているのだが、不思議なのが第3曲目のBourreeは全曲の中に見当たらない。
さらにヤングの復元したバージョンから別の曲をチョイスしたバージョンを時々目にすることがある。
例えばボストックがミュンヘン響を指揮したものはI. Trumpet Calls - Burlesco II. Trumpet Call   -March III. Trumpet Call - Morning Minuet IV. Fitzdottrel V. Fantastico VI.  Trumpet Call - Sarabande VII. Trumpet Call - Bolero. と7曲からなるものがある。

 

 

 

似たようなパターンでサザーランド指揮ロイヤルバレーシンフォニカの演奏のものもある。
こちらはI. Country Dance II. Burlesco III. Adagio IV. Sarabade V.  Bourree.という5曲の構成となっている。
ボストック盤はヤング補完の全曲版からの「直な」抜粋となっている。サザーランド盤も同様なのだが、Bourreeは全曲版に見当たらないのは先のヤング版と同じ。

 

そして、2019年にダットンラボラトリーからリリースされたマーティン・イエーツ指揮、王立スコットランド響による「スペインの貴婦人」組曲イエーツ盤の登場でまたまたわけがわからなくなってくるのだ。

 

ヤング補完による歌劇《スペインの貴婦人(Opera in two Acts, Spanish Lady, op. 89)》

 

イエーツ盤「スペインの貴婦人」組曲の構成は
I Comedy Overture (Allegro) II Adagio (Adagio Molto) III Scherzo And Aria  (Allegro) Finale (Allegro)の4曲。
この4曲はどれも全曲版に含まれていない。
ヤングによる組曲のBourreeといい、イエーツ盤の4曲は一体どこから出てきたのか?
イエーツ盤のライナーノートによるとこれは完全にイエーツによる補完にあたるとのことで、ヤングが全曲版として仕上げた素材以外にもまだ使われていない素材があるということである。
特にこのイエーツ補完版は大変興味深いものとなっている。
まず一曲目のComedy  Overture。こちらはエルガーこのタイトルで管弦楽用に用意していた素材のようだ。後にアイアランドが同じくコメディ序曲を作曲しているがもちろん無関係である。
イエーツに言わせるとこれこそ「スペインの貴婦人」という喜劇調のこのオペラの序曲に相応しいということになるらしい。この序曲前半と後半から構成されており、確かに前半はまるでギルバート・アンド・サリヴァンのオペレッタの序曲を思わせる軽快な曲想である。後半はまさしくエルガーらしいノーブルの極み。それもそのはず、あの序曲「コケイン」の一部が聞こえるのであるから。この序曲は単独で取り上げても十分面白い。
特筆すべきなのは4曲目のフィナーレである。なんと行進曲「威風堂々」第6番の前半のメイン主題が登場する。
威風堂々第6番も未完であったがアンソニー・ペインが補筆完成させたものだ。まさかこの曲が威風堂々6番とスペインの貴婦人のどちらにも素材として用意されていたとは・・・。
こうなるとヤングの完成させた全曲版にこれらの未収録曲を全て揃えた「正真正銘の全曲版」のスペインの貴婦人を聴いてみたいものである。

演奏レビュー

この《スペインの貴婦人》を聴いてまず感じるのは、これは**「未完オペラの復元」ではなく、「エルガー的過去の音楽語法を舞台上に再配置した作品」**だという事実である。
それは欠点というより、この作品の本質であり、また限界でもある。

 

冒頭の《Prologue: Trumpet Calls – Burlesco》は、きわめて雄弁だ。
トランペットの呼び声とブーレスク的身振りは、《ファルスタッフ》や《交響曲第1番》終楽章の祝祭性を即座に想起させるが、同時にそこには新作オペラの序幕に不可欠な「未知の世界への扉」感は乏しい。聴き手は最初から、どこか「既知のエルガー空間」に招き入れられている。

 

この印象は、その後のナンバーが進むにつれてさらに明確になる。
《Dance Tune》《Gavotte》《Country Dance》《Bolero》といった舞曲的ナンバーは、どれも作曲技法的には巧みで、管弦楽の書法も洗練されている。しかし、それらは劇の進行を推進するというより、音楽的性格描写のスケッチが連なる印象を与える。

 

合唱を伴う場面――
とくに《"Money, you'll never want her"》《"To the old, long life and treasure"》などでは、エルガーが本来得意とした合唱処理が生きており、宗教曲や祝祭的作品で培われた技法が自然に展開される。ただし、ここでも感じられるのは「ドラマが音楽を要請する」というより、音楽が先にあり、それに劇が寄り添っている構図である。

 

第2幕に入り、《Sarabande》が現れた瞬間、この演奏はひとつの頂点を迎える。
このサラバンドは、まさにエルガーの中でも異質なほど古典的で、ヘンデルやモーツァルトを思わせる典雅さを備えた名曲であり、舞台音楽の一部として埋もれさせておくには惜しい。演奏もここでは過度な表情付けを避け、端正さを保っている点が好ましい。

 

一方で、全体を通じて否定できないのは、「これはエルガー最後のオペラになり得ただろうか?」という疑問である。
アンソニー・ペイン補完の《交響曲第3番》が、断片の背後にある未踏の音楽語法を想像力によって前方に押し広げたのに対し、この《スペインの貴婦人》は、むしろ後方――過去の作品群へと視線を向け続けている。

 

その意味で、ヤングの補完は誠実でありながらも、あくまで整理・編集・配置の作業に徹している。新しいエルガー像を提示するというより、「エルガーが舞台音楽として遺したかもしれない音楽の集合体」を、最大限破綻なく聴かせることに成功している、と言うべきだろう。

 

演奏面では、全体を通して過度なドラマティックさを排し、軽快さと透明感を重視している点が、この作品には適している。もしここで《ゲロンティアス》や《交響曲第2番》的な深刻さを持ち込めば、この音楽は簡単に重くなりすぎてしまうだろう。

 

結論として、この《スペインの貴婦人》は、《交響曲第3番》補完完成版のような「必聴作品」ではない。しかし、エルガーがなぜオペラという形式に最後まで踏み切れなかったのか、その理由を音楽的に雄弁に語る作品ではある。

 

それゆえこの演奏は、「完成度」を問うためではなく、
エルガーの創作人生の終章における逡巡と回想を、静かに見つめるための音楽として聴かれるべきものだろう。

 

 

0:00 - Prologue: Trumpet Calls - Burlesco

2:03 - Dance Tune - Meercraft
4:42 - "Money, you'll never want her"
9:09 - Chorus: "To the old, long life and treasure"
9:57 - Drawing-Room Music
10:55 - "Good day, sir"
14:12 - Gavotte
14:50 - Introduction
15:54 - "When Love at First"
17:20 - "I Would Have Him If I Could" - Chorus: "This Motion Was of Love Begot"
20:11 - "Wise Men I Hold Those Snakes Of Old"
23:11 - Act II: Introduction
24:34 - Chorus of Girls: "How Old May Tailbush Be?"
25:44 - "Still To Be Neat"
27:20 - Sarabande
29:51 - Gigue
32:35 - Country Dance
34:22 - "He is hewl's cortege"
37:19 - "Ah, My Love"
39:43 - "Modest and Fair"
41:14 - Bolero
43:47 - The Sketches for Symphony No. 3

〔参考CD〕
* 歌劇《スペインの貴婦人》 マンソン指揮/BBCスコティッシュ響ほか 
 ヤング補完による全曲版。
* 組曲《スペインの貴婦人》 ボートン指揮/イングリッシュ・ストリング管
 ブーレスク、サラバンド、ブーレーからなる組曲。しかし、3曲目のブーレーは全曲版には入っていない。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5rxand
* 組曲《スペインの貴婦人》 ボストック指揮/ミュンヘン響 
 ヤングによる別ヴァージョンの組曲で、全曲版をもとにしたオーケストラによるハイライト版。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5rmn63
*組曲《スペインの貴婦人》 ポープル指揮/ロンドン・フェスティヴァル管
 1956年にヤングが編曲したというもう一つのパターン。5曲からなる。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5v7rfp

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

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