愛の音楽家エドワード・エルガー

ハイフェッツのコンチェルトについて

稀代の大ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツによるエルガーのヴァイオリン協奏曲。
見事な演奏である。全く非の打ち所がないほど素晴らしい演奏だ。
この曲の名盤の候補として必ず名前が上がるほど有名な録音である。
伴奏に回っているサージェントの指揮までもがハイフェッツに合わせてか非常にタイトなスタイルになっている。これもいつものサージェントではない。まるでトスカニーニみたいだ。
演奏速度はおそらく史上最速だろう。
この複雑に書き上げられたヴィルトォーゾ満載の部分をこれほど難なく、この速度で演奏できる演奏家はそうそういまい。
しかし・・・・、ハイフェッツが技巧の限りを披露すればするほどエルガーの精神から離れていくような気がする。
そのヴィルトォーゾテクニックは人間業を超える見事さである。この超難曲が難曲に聞こえないくらい凄い。
まるで鋭い刃物を思わせるエッジの効いた演奏は一切の妥協を許さぬ厳しさである。
そのヴィルトォーゾゆえ、演奏の焦点がそちらにばかり向いてしまっている気がしてならない。
言いかえるなら「どうだ!このオレさまのテクニック凄いだろ!」と自慢を延々と聞かされているかのようなのだ。
そこには温かさや作曲家への共感が一切感じられないから。
エルガーという作曲家よりもハイフェッツという演奏家の個性が遥かに前に出てきてしまっている感がある。
聴く者に有無を言わせぬ圧倒的な迫力というか威圧感がある。
本人はこの曲に対してそういうスタンスを取っていたのかは知らないが、おそらくハイフェッツには作曲者のマインドとかはあまり関係なかったのではないだろうか?
第2主題のウィンドフラワーや第2楽章のような部分でも、ハイフェッツは手を緩めることを一切しない。
聴き終ってとにかく疲れるのだ。エルガーを聴いた気分が全くしない。ハイフェッツを聴いたという印象しか残らないのである。
ハイフェッツが好きな人にはよい演奏かもしれないが、エルガーを愛する者には疑問符が残る演奏だろう。
よって個人的には嫌いな録音の一つである。
でも名演として存在している以上、嫌いでも「持っていなければならない」一枚なのである。

 

 

 

 

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