遂につかんだ名声

愛の音楽家エドワード・エルガー

エルガーとビーチャム

英国を代表する作曲家エドワード・エルガー。

 

当然、エルガーを得意とする指揮者は英国人指揮者が多い。
ヘンリー・ウッド、ハミルトン・ハーティ、エイドリアン・ボールト、ジョン・バルビローリ、マルコム・サージェント、チャールズ・グローブス、バーノン・ハンドリー、ジョン・プリチャード、ブライデン・トムソン、リチャード・ヒコックス、サイモン・ラトルなどなど。
英国の名だたる指揮者は、ほぼ例外なくエルガーを得意とする。

 

しかし、英国3大指揮者と言われたボールト、バルビローリと並ぶトーマス・ビーチャムの名前がないではないか。

 

実は、エルガーとビーチャムの間には因縁があって、二人の間ではいろいろなことがあったようである。
1930年代ビーチャムも他の同業者同様にエルガーの作品をレパートリーとして取り上げていたが、1931年ごろエルガーの交響曲第1番を作曲者の了承を得ることなしに短縮版に編曲して演奏していた。
それをエルガーが咎めた。それに対してビーチャムも引かなかったようで両者の間は険悪なものになってしまったという。

 

しかし、エルガーの最晩年に二人は和解することになる。そこで交わされた約束がある。
エルガーはビーチャムに、和解の証としてエニグマ変奏曲の演奏と録音をお願いしたのである。

 

エルガーとビーチャムエルガーとビーチャム

エルガーとメニューインのツーショット写真は有名だが、なぜかいつもトリミングされてしまうのだが、本当はビーチャムを含めたスリーショット写真なのである。

 

 

 

 

そして、ビーチャムはエルガーとの「男の約束」を果たすべくエニグマ変奏曲の録音に臨むことになる。
1954年のロイヤルフィルによるスタジオ録音が知られているが、実は1942年にビーチャムはシアトル交響楽団とのライブ録音というのも存在している。
演奏の出来としては、あまり評判になることはなかったのであるが、そんな事情を知って鑑賞すると、優雅で洒落たビーチャムの織り成す音色の向こうに「男の約束」を果たしたビーチャムの気概を音として聴きとることができるのである。

 

エルガーとビーチャム

 

 

エルガーとビーチャム

ビーチャムが著書『ミングルド・チャイム』(1949)で語ったエルガーのこと

エルガーはメニューインをソリストとしてヴァイオリン協奏曲の名演を残したのが1932年。その頃に撮影したと思われるエルガーとメニューインの2ショット写真は有名である。
しかし、この写真はトリミングされることが多いのであるが、本当はビーチャムを含めた3ショット写真なのである。
エルガーとビーチャムの間で一悶着があり一時期険悪な関係になっていた。
しかし、その後、二人は和解することになる。
時系列で書くと、1931年ビーチャムがエルガーの交響曲第1番を勝手に短縮して演奏したことが原因で二人の関係が悪化。
1932年エルガーとメニューインの協奏曲を録音。この3ショットはこの頃(1932-1933)に撮影されたものと推測可能。
1933年頃、エルガーとビーチャムが和解しエニグマの演奏を約束。
1934年エルガー没。1943年ビーチャムがシアトルでエニグマ変奏曲を演奏。1954年ビーチャム、エニグマ変奏曲のスタジオ録音。1949年ビーチャムの著書「Mingled Chime」。
以下、1949年にビーチャムが著書「Mingled Chime」で書いたエルガーに関する記述を紹介する。褒めて貶して、また褒めて貶して、の何とも言えない表現となっている。少なくとも彼はボールトやバルビローリのようなスタンスとは一線を画していたことはだけは間違いない。

 

 

 

サー・トーマス・ビーチャムの「エルガーはセント・パンクラス駅に匹敵する音楽的存在」という言葉はよく知られている。 この言葉は、この偉大な指揮者が、エルガーの音楽は賞味期限切れだと感じていたことを示唆している。ビーチャムの自伝的著書『The Mingled Chime』の中で、ビーチャムは侮辱的とは言い難いいくつかのパラグラフを書いている。 まず第一に、エルガーはディーリアスよりも今日人気があると思う。第二に、ユーロスター・ターミナルとして新しく生まれ変わったセント・パンクラス駅は、ウィリアム・ヘンリー・バーロウとジョージ・ギルバート・スコットのヴィクトリア朝建築と最高の現代デザインが融合し、今やロンドンのランドマークとして愛されている。 最後に、ビーチャムがエルガーを痛烈に非難する人たちが望むほど、エルガーに対して辛辣であったとは、以下の一節からは読み取れない。

 

 

「ディーリアスの名声は高まり続けたが、イギリス国民がパーセル以来のどの作曲家よりも高い台座に置いたエルガーの名声にはまだ及ばなかった。 私は、この評価が自国の音楽家にも外国の音楽家にも共有されていることに気づかなかったし、後年、大陸諸国やアメリカでこの作曲家(エルガー)の作品を演奏した際にも、時間がそれを維持することに失敗していることに気づいた。しかし、1895年から1914年の間にエルガーが書いた作品のほとんどが、交響曲やオラトリオのようなオーソドックスな形式において、彼の先人や同時代のイギリス人作曲家の作品よりも、紛れもない進歩を示していたことは間違いない。
作風はより明瞭で変化に富み、主題の把握はより緊密で鋭敏で、オーケストラの使い方は、いつもではないが、しばしば称賛に値する。 彼の良い面は小品楽章に見られ、そこではしばしば空想的で魅力的で、1つか2つの例では絶妙である。 大曲や'tuttis'はあまり幸福ではない。大げさな表現と修辞が、本当の重みや詩的な深みに取って代わることがあまりに多く、彼は軍事的なロドモンタード(虚栄的で空虚な自慢話)の境界線に危険なほど簡単に迷い込んでしまう。そこかしこに、他の音楽にはない、彼独自の魅力的なカデンツがあり、それ自体が回想的であることなく記憶を呼び起こし、1830年から1880年の間に書かれた多くのイギリス文学、特にテニスンに見られる感情を呼吸している。 しかし、発明の質や利点が何であれ、彼の作品は真に真面目で誠実な職人の作品である」。

 

 

トーマス・ビーチャム『ミングルド・チャイム』(ロンドン、ハッチンソン、1949年)p.182

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