《ピアノ協奏曲(Concerto for pianoforte and orchestra, op. 90)》

愛の音楽家エドワード・エルガー

ピアノ協奏曲(Concerto for pianoforte and orchestra, op. 90)

 

 

 

 19世紀から20世紀の変わり目の頃から、既にエルガーは《ピアノ協奏曲》の作曲を考え始めていた。1901年に女流ピアニストのファニー・デイヴィスから作曲の依頼があり、エルガーは、この時10分ほどのピアノ・ソロによる《コンサート・アレグロ》を作曲して献呈している。その後これを素材に5年ほどエルガーは《ピアノ協奏曲》作曲に取り組んだが、スコアは紛失したままになっていた。
 1902年にエルガーはウィンドフラワー(アネモネ=エルガーが彼女につけたニックネーム)ことアリス・ステュワート・ワートリーと知り合う。2人の親密な友情関係から《ヴァイオリン協奏曲》の「・・・の魂をここに封じ込める」というスコアに書かれた謎の言葉の「・・・」は、このウィンドフラワーであると推測されている。しかし、この曲は先約のあったヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーに捧げられてしまう。その後にもう一度《ピアノ協奏曲》の作曲、そしてそれをウィンドフラワーに献辞しようとエルガーは考えたが、「プラス・グィン」時代の忙しい時期で、《交響曲第2番》の作曲などと重なり、なかなか着手することができずにズルズルと時が過ぎてしまった。1919年、《チェロ協奏曲》を出版する直前には、ウィンドフラワーへの手紙の中で、いっそこの《チェロ協奏曲》を《ピアノ協奏曲》として出版してしまおうか、とまで書いている(つまり《チェロ協奏曲》は《ピアノ協奏曲》となっていたかも知れなかったのだ)。しかし、さすがにそれは思い留まったようだ。その間、何度か作曲にかかるもバレエ音楽《真紅の扇》や《交響曲第3番》に流用してしまったり(その際エルガーは、ウィンドフラワーに手紙にて流用の了承を求めている)、たびたび中断するなど一向に作業は進まないままエルガーは亡くなってしまう。
 しかし、エルガーの妻アリスの日記によると、1914年のある日、ウィンドフラワーが訪ねてきて、彼女が《ピアノ協奏曲》の断片を演奏してみせた・・・という記述があるのだ。それは後に第2楽章へと発展することになるメロディであることが判明している。その後、この楽譜は行方不明となるが大英図書館で発見されている。
パーシー・ヤングはこの断片から、1956年に《ピアノ協奏曲》の緩除楽章の復元を試みている。その後、ハリエット・コーヘンによりピアノと弦楽に編曲され、ワルター・ゲールの指揮により1957年ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにて演奏されている。これにヤングがブラス・バンドを加えたヴァージョンが、1979年にセント・ジョンズ・スミス・スクウェにてレスリー・ハワードによって演奏されている。それを再びヤングがオーケストラとピアノに編曲し直したものが録音された(ヤング版)。これは緩除楽章のみの収録で、約6分程度の正に断片のみ。ダグラス・ボストック指揮、マーガレット・フィンガーハットのピアノ、ミュンヘン交響楽団によって演奏された。
 曲は、残された材料があまりにも少ないために、本当に緩除楽章の1つの主題だけという感じで、ただ覚えやすく単純なメロディの繰り返しである。しかしそこには、前記したように、ウィンドフラワーの影が作曲の背景にチラチラ見え隠れしているだけに、ラフマニノフを思わせるような濃厚なロマンチシズムが感じられる。ちょうど《第3交響曲》第1楽章第2主題「ヴェラ・ホックマン・テーマ」と同じような雰囲気を感じ取ることができる。
 一方、2005年にはロバート・ウォーカーによってアレンジされたものがデヴィッド・オーエン・ノリスのピアノで演奏されている。これは、大英図書館に残されているエルガーの残したスケッチと、1929年のエルガー自身の演奏による《5つのピアノ即興曲(Improvisations for pianoforte)》の第4曲目を第2楽章とし、さらに3曲目を第3楽章の素材として使うことにより約35分の長さにまで復元したものである。エルガーが書き残した第1楽章の主題は、第2交響曲の「喜びの精霊」のリズムと曲想そのものである。さらに、ウォーカーは、第3楽章に《交響曲第1番》第4楽章の第1主題や《ファルスタッフ》に似たフレーズを素材として付け加えたので、正にエルガー・テイスト満点の作風に仕上がっている。こちらはロイド・ジョーンズ指揮、ノリスのピアノ、BBCコンサート響の演奏により録音された。補完に関する一連の経過はBBCのドキュメンタリー番組「エルガーの幻のピアノ協奏曲」というタイトルで日本でも放映された。
 ペイン補完による《交響曲第3番》の世界初演が行われたのと同じ1997年に、ウォーカー版《ピアノ協奏曲》の初演は行われている。しかし、演奏者が全員揃わないなど様々なアクシデントにより初演は大失敗という結果に終わった。雪辱を期して翌年、ウースター大聖堂にてウィリアム・ボートンを指揮者に招いて再演を行うが、この時も直前になってスコアのミステイクが多数発覚。結果、リハーサル時間が足りなくなり、またしても失敗。そのままレコーディングも行われたが、出来上がりも不調で、さらにレコード会社のNIMBUSが破綻してしまったために暗礁に乗り上げてしまった。その後、ノリスとウォーカーにより再編集が行われ、2005年に現在の形での再演、そして録音が行われた。

 

 

 

 

〔参考CD〕
*《コンサート・アレグロ》 ガルゾン(P)
 Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5uw9dt
*《ピアノ協奏曲》(ヤング版/緩除楽章のみ) ボストック指揮/フィンガーハット(P)ほか 
 Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5rmn63
*《ピアノ協奏曲》(ウォーカー版) ロイド・ジョーンズ指揮/ノリス(P)ほか
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/6ngyx8
*《5つのピアノ即興曲》 エルガー(P)
 1929年録音のエルガーが即興で演奏したピアノ曲。この組曲の第4曲目が、《ピアノ協奏曲》の第2
楽章となり、3曲目がウォーカー版《ピアノ協奏曲》第3楽章へと発展する。
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