人生の転機・・・出会い

愛の挨拶(Salut d’Amour)Op.12

《愛の挨拶》は、エルガーが1888年、まだ無名の青年作曲家であった時代に書いた小品である。彼の最初期の作品群の中で、最も広く知られ、愛奏されてきた作品であり、今なお世界中で親しまれている。
原題は《Liebesgruss》(ドイツ語で「愛の挨拶」)であったが、後に出版社の意向でフランス語題《Salut d’Amour》が採用された。より洗練された印象を与えるという販売戦略がそこに働いていた。

 

この作品は、エルガーが当時婚約中であったアリス・ロバーツ(のちのアリス・エルガー)に贈ったもので、彼女に捧げられている。
エルガーがヴァイオリンとピアノのために作曲し、のちにピアノ独奏版、チェロ版、管弦楽版など様々な編成に編曲された。
穏やかでありながらも内に情熱を秘めた旋律、シンプルな形式の中に繊細な和声感覚と旋律美が凝縮されており、若き日のエルガーの感性を如実に伝えている。

 

しかしながら、この作品の出版にまつわる事情には苦い側面がある。エルガーは本作を出版する際、ドイツの出版社ショット社に2ギニー(約2.1ポンド)というわずかな金額で権利を譲渡してしまった。
彼はすぐに売れるとは思っていなかったようであり、それゆえこの価格を受け入れたが、後に本作は大ヒットし、印税契約を結んでいなかったエルガーのもとには一切の権料が入らなかった。このことは彼にとって大きな教訓となり、後年の出版契約には慎重になる契機となった。

 

この件に関しては、のちに語り草となった逸話がある。
ある日、エルガーが街を歩いていると、路上の音楽家が《愛の挨拶》を演奏していた。エルガーは足を止め、音楽家にこう尋ねたという。
「この曲の作曲者を知っているかい?」
すると演奏家は即座に答えた。
「もちろんです。ミスター・エルガーの《愛の挨拶》です。」
それを聞いたエルガーは、演奏家にチップを手渡した。かなり高額だったようで、演奏家は驚いたという。エルガーは微笑しながらこう言った。
「君に渡したこのチップのほうが、エルガー氏がこの曲の出版で手にした金額(2ギニー)より高いんだよ。」
この皮肉を含んだ言葉には、彼のユーモアとともに、作曲家としての自負と無念がにじんでいる。チップの正確な金額は記録に残っていないが、少なくとも2ギニー以上であったと推測されている。

推薦演奏:

本作は非常に多くの演奏と編曲が存在するが、以下の3つの演奏は特筆に値する。

 

•カーメン・ドラゴン指揮/キャピトル交響楽団(ドラゴンによる編曲管弦楽版)

甘美かつノーブルなフレージングで、アメリカ的ロマンティシズムと英国的気品が見事に融合されている。ドラゴンの大胆な編曲により管弦楽版の魅力を最大限に引き出した名演である。ケン・ラッセル製作の「エルガー」の中で、この演奏が非常に効果的かつ印象的に使われていた。
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• サー・チャールズ・グローヴス指揮/フィルハーモニア管弦楽団

英国的伝統と真摯な情感を湛えた演奏。気負いのないテンポ感と繊細な弦の運びに、エルガーの音楽への深い共感が感じられる。数多ある録音の中でもオーソドックスな管弦楽版としては最高のものとなっている。グローヴス卿の愛に溢れた演奏。

 

• 加藤知子(ヴァイオリン)/ピアノ伴奏版

日本人演奏家による誠実かつ深みある表現。清冽な音色と自然な語り口が、原点とも言えるヴァイオリン版の親密な世界を生き生きと描き出している。
《愛の挨拶》は、ロマンティックな愛の表現という表層を超えて、作曲者の個人的な感情と、その後の運命を象徴するような作品でもある。それゆえに、どのような編成であっても、その奥にある「愛と諦念の詩」として演奏されるべきであろう。

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