《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》

愛の音楽家エドワード・エルガー

読売交響楽団/尾高忠明指揮によるエルガー/ペインの交響曲第3番

2014年11月22日 読売交響楽団で尾高忠明指揮によるエルガー/ペインの交響曲第3番を聴きに出かけてきた。
先月の神奈川フィル/湯浅卓夫から引き続きちょっとしたEP3ブームともなった。
この曲の日本初演が尾高で、2番目が湯浅ということになるので日本における、
この曲のナンバーワンとナンバーツーの演奏を立て続けに聴くというチャンスに恵まれたわけである。
しかし、ここはこの曲に対して並々ならぬものを持っている尾高の一人舞台となるのは否めない。
ことによると、日本一どころか世界一の可能性も濃厚であるといっても過言ではない。
事前にいくつか尾高氏に直接会って確認したいことがあったのでまとめてお伺いしてきた。
まず、ペイン以外の作曲者による補完版であるブルース・タナーの総譜を直接手渡してきた。
尾高氏はスコアをパラパラとめくるなり一言。
「なるほど・・・、でもこれはちょっとキツイですね。僕らはもうペイン版が完全に体に入っているので」。
予想通りの答えでもあった。
実際ターナー版は、不自然な展開が非常に多く、途中に何度もジェネラルパウセが多く音楽の流れが何度もせき止めらてしまう局面がある。
さらに総譜を見る限り、非常にスカスカな印象なのだ。エルガーの交響曲は非常に密度濃く書かれているので、かなりエルガーから逸脱した感は否めない。
それにターナー版は第一楽章だけで30分近い。これを全楽章完成させたら優に90分は超えてしまうと思われるほど。
最近、エルガー3番の第4楽章の良さがじわじわと感じられるようになってきた。
当初は、エルガーが書き残した部分があまりにも少なく、ほとんどがペインの創作に頼っているために、「エルガーらしさ」が少ないと感じられていた。
しかし、聴きこめば聴きこむほど、そんなことを言っていた自分が恥ずかしくなった。自分が「青かった」ということを認めざるをえない。
なので今では、当初感じていた感想と180度逆になっている。
「エルガーらしくない」などと言われるのはペインにしてみれば当たり前の想定内のことであり、
それをクリアしようとするだけ努力が無駄だということは最初からわかっていたのである。
そんな低い次元の世界ではないのだということである。
素材は確かにエルガーの作品を元にしている。
まず第4楽章最初に表れるファンファーレはエルガーによるものである。
それに続く、「荷馬車の通過」のリズムを持つ主題、これはペインの作。しかし、根底に「荷馬車」があるのでエルガーの要素も入っている。
なぜ、荷馬車なのか?
この作品成立の最大の功労者の一人であるW・H・リードの最も愛した曲だから。
リードは、いわばディーリアスにとってのフェンビーのような存在となっていた。
リードのアドバイスが相当大きなウエートを占めているのだ。
そして、ペインはリードから相当の霊感を授かっている。
いわば、ペインはエルガーその人とリードと対話を交わしながらこの作品を補筆完成させたと考えられるのだ。
この日、エルガーから私に授かったメッセージは2つ。
一つは「ビリー(リードの愛称)、これでいいか?」
もう一つは、ヴェラ・ホックマンに対する呼びかけ「ヴェラ」と呼ぶ声だった。
その荷馬車の後に表れるのが「アーサー王」。
荷馬車が過ぎ去った後に、さっそうと現れるアーサー王。最高にかっこいい場面である。
ファンファーレ、荷馬車に基づく主題、アーサー王の3つで4楽章の主役が一揃いする。
そして、曲が進むにしたがってこれらが微妙にクロスオーバーするようになる。
そこに表れるのが交響曲第2番の「喜びの精霊」である。練習番号289番。
ここから10小節、交響曲第2番第4楽章166番あたりとソックリな様相を見せるのだ。
この作品の終わり方は交響曲2番を踏襲するものとしてイメージしているのだろう。

読売交響楽団/尾高忠明指揮によるエルガー/ペインの交響曲第3番

この点を尾高氏に意見を伺ったところほぼ同意してもらった。
「演奏中に何度もアンソニーからテレパシーみたいなものが送られてくる」
尾高氏は、いつもこういう言い方をする。
この感覚、理解してもらえるのは難しいと思うが、私と尾高氏はほぼ同じ体験をしているので、非常によくわかるのだ。
理解してもらうのは難しいだろうなと思って私自身もこれまであまり人に話さないようにしていたが、尾高氏とこういう話をすると異様に意気投合してしまう。
こればかりは何と言われても仕方ないのである。
商業音楽雑誌でこういうことを書くと大体ボツにされる。
「そういうことは『ムー』にでも書いてください」と言われる(笑)。
そして、最後に荷馬車のリズム、アーサー王、ファンファーレ、喜びの精霊と続いて最後の盛り上がりの後に徐々に静寂に向かう。
その間にほんの少しだけ姿を表す第一楽章の冒頭部分。
パーカッションが荷馬車のリズムをディミニエンドさせながら消えようとする。
尾高氏がアンソニーから聞いた話では、ここは消えゆくエルガーの命の描写だそうだ。
そして、最期に厳かに静かに鳴らされるドラの音。
死の床にいるエルガーに、ペインが完成したこの作品を作曲者本人に手渡して返還する儀式ともいえる場面だ。
なんと崇高で神聖な場面なのだろうか。
何度も言うが、アンソニー・ペインとは我々が考えている以上に遥かにエルガーという作曲家の精神に肉薄した存在なのだ。

このエントリーをはてなブックマークに追加

愛の音楽家エドワード・エルガー電子書籍はこちらからどうぞ

読売交響楽団/尾高忠明指揮によるエルガー/ペインの交響曲第3番

エドワード・エルガー 希望と栄光の国

読売交響楽団/尾高忠明指揮によるエルガー/ペインの交響曲第3番

愛の音楽家 エドワード・エルガー

関連ページ

尾高忠明のエルガー3番 日本初演
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》思い出のエルガー・コンサートへのタイムスリップ
神奈川フィルのEP3
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》(エルガーの残したスケッチ集を元にアンソニー・ペインが補筆)作曲の経緯
Elgar's Third
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》Elgar's Third
エルガー/ターナーの3番
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》エルガー/ブルースの3番について
尾高N響のエルガー全集
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。尾高N響のエルガー全集
ハンドリーのエルガー
英国の作曲家エドワード・エルガーの人生や作品を詳しく解説した同名の書籍のウエブサイト版。《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》(エルガーの残したスケッチ集を元にアンソニー・ペインが補筆)作曲の経緯

ホーム RSS購読 サイトマップ

先頭へ戻る