愛の音楽家エドワード・エルガー

愛の音楽家エドワード・エルガー

大友/群響の「神の国」(2018)

展望編

 

 

2018年9月23日、群馬交響楽団と大友直人指揮により「神の国」が演奏される。記録によると、日本でこの曲が演奏されるのは4度目になる。
エルガーにとっては最後の大作オラトリオとなったこの作品は、文字通りエルガーの宗教曲の集大成というべき壮大なスケールを有する。ある意味エルガーの音楽の真髄が最もつまった作品であると個人的には思っている。
エルガーのパトロン的存在であったフランク・シュースターは「この『神の国』に比べれば『ゲロンティアスの夢』などはアマチュアのレベルだ」と、エイドリアン・ボールトに話している。さすがにこの論はいささか乱暴ではあるが、その反面一歩聴くべきポイントを誤ってしまうと、実に退屈に聞こえてしまうという危険性をも孕んでいる。この辺はブルックナーの交響曲やRVWの田園交響曲と似ているような気がする。フィーリングが合えばとことんまで愛せるが、合わないと退屈極まりなくなってしまう。
作曲家にして音楽評論家のコンスタント・ランバートは「ミュージック ホー!」に書いている。
「エルガーの音楽がわからないというチェコ人のあなたでも彼の作品の管弦楽的書法の巧みさを認めざるをえないでしょう?」
しかしこうも書いている。
「ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲がわからない?なるほど。お気に召さんでしょうな」
こう言い換えることができだろう。
「エルガーの「ゲロンティアスの夢」が、英国音楽伝統の輝かしい合唱音楽の集大成的位置を占めており、さらに後の作曲家たちにも多大な影響を与えた偉大な作品であることはお認めになるでしょう?「神の国」がわからない?なるほど。お気に召さんでしょうな」
「ゲロンティアスの夢」は、いわばバッハにとっての「マタイ受難曲」の位置づけにあるとしたら、「神の国」はワーグナーにとっての「パルシファル」の位置付けにあるもの・・・・と称してしまえば、あながち的外れでもないと思う。
「神の国」とはエルガーが到達した究極的ポイントを占める作品なのである。
●演奏会データ
エルガー/オラトリオ《神の国》 作品51
  Edward Elgar/The Kingdom, Op. 51
  開催日:2018年09月23日(日)
  開場:6:00 PM 開演:6:45 PM
 会場 群馬音楽センター
 指揮/ 大友直人(群響音楽監督)
  Conductor/ Naoto Otomo (Music Director)
 ソプラノ/嘉目 真木子*
  Soprano/Makiko Yoshime
 メゾ・ソプラノ/坂本 朱*
  Mezzo Soprano/Akemi Sakamoto
 テノール/清水 徹太郎*
   Tenor/Tetsutaro Shimizu
 バリトン/原田 圭*
  Baritone/Kei Harada
 群馬交響楽団合唱団*(合唱指揮:阿部純)
   Gunma Symphony Orchestra Choir (Chorus Master: Yasushi Abe)
●作品データ
  構成:前編(約55分)、後編(約40分)
  初演日時:1906年10月3日
  初演場所:バーミンガム
  初演指揮者:作曲者
  テキスト:聖書をもとにして作曲者の自由な言葉付けによる
  献呈:AMDG(Ad Majorem Dei Gloriam)=神の偉大な栄光のために
  副題:エルサレム
●録音リスト
  1. A. Boult盤(1969年EMI CMS7 64209 2)
  2. L. Slatkin盤(1987年RCA R30C-1067-68)
  3. R. Hickox盤(1989年Chandos CHAN8788/9)
  4. M.Elder盤(2009年Halle Records B008OHSQ0M)
    録音はわずか4種のみ
●日本国内における演奏データ
1.1983年5月13日 東京・厚生年金会館
  フィルハーモニア合唱団第62回定期
  指揮:山口貴
  曽我栄子ほか
2.1993年11月30日 東京・オーチャード・ホール
  東京アカデミー合唱団第35回定期
  指揮:国分誠
  林ひろみほか
3.2002年3月9日 東京芸術劇場
  東芸シリーズ第61回
  指揮:大友直人
  佐藤しのぶほか
4.2018年09月23日 群馬音楽センター
  群馬交響楽団 第541回定期演奏会
  指揮:大友直人
  嘉目 真木子ほか
    国内演奏はわずか4回目

 

レビュー編

残響のない老朽化したホールでの演奏という大きなハンデを背負いながらも、これだけの演奏を繰り広げる・・・ほんとうに神の奇跡のような名演といえるだろう。
個人的に一番大きく印象に残っていることがある。
それは終演後にホワイエで行われた指揮者大友直人によるトークの内容だ。その中で凡そ以下のような内容のコメントがある。
「私(大友直人)の私見として、エルガーにはもっと有名な「ゲロンティアスの夢」とか「使徒たち」といったオラトリオがあるが、音楽的内容において「神の国」こそ頂点であり傑作である」
「これは他の演奏家や研究家とか評論家がどういっているか知りませんがあくまで私の意見です」
確かに、「神の国」では、エルガーの人生における信仰心が頂点ともいえる時期であり、念願だった12使徒プロジェクトも完遂し、もはややるべきことをやり尽くした・・・という作曲家自身の想いもあったようだ。
この大友と全く同じ意見を口にした人物がいる。
エルガーのパトロン的存在であったフランク・シュースターは「この『神の国』に比べれば『ゲロンティアスの夢』などはアマチュアのレベルだ」と、エイドリアン・ボールトに話している。
もちろんシュースターは音楽家ではない。しかし奇しくも大友と同じことを発言している。
終演後にこのことを話そうと思っていたのでが時間がなくて果たせなかったが次回確認しようと思う。
ただ、大友がこのシュースターの発言を知っていた上でコメントのしたのだろうか?
否、おそらく知らないはず。なぜなら、意外にも彼はそこまで深く研究して演奏に臨むタイプでないから(失礼)。
つくづく大友直人という指揮者は只者ではないと感じた。
以前にも、交響曲第2番に関してもこんなことがあった。
ある時の終演後の楽屋での会話でこんなことを言っていた。
「この曲の本当の核心部分は最後の5分くらいだと思います。それまでの50分間は、その最後の部分のためだけにあるのだと思いますね」
これ、なんと作曲家エルガーがバルビローリに全く同じことを言っているのだ。
「本当の音楽は(練習番号)155番以降から始まる」
この時、大友直人に確認したところによると、エルガーのこの発言のことは知らずに、そのことを告げると逆に驚いてくらいだから。
なので、今回のシュースターの発言も知らないで、あのコメントが出たのだと思う。
だから只者ではないのだ。
おそらく、どこかの時点でエルガー自身が大友にそれをインプットしたのだろう。あの尾高忠明も同じように作曲者からのインスピレーションを受け取って演奏しているのと同じように・・・。
そして、そんな「エルガーの魂」を背負った大友直人の指揮についていった演奏者は素晴らしかった。
特に、全開モードに入った大友直人のいつもの「煽り」が飛び出したことはことは絶好調の証である。
大きく両手を挙げて合唱を煽りに煽って、頂点に達したところで両手をゆっくり下降させてディミヌエンドの指示を出しサッと切る。あの息の長いフレーズでありながら、合唱団が大友の両腕に合わせてブレスのタイミングを合わせる。
見事だった実に見事だ。
この部分、相当練習したのだろうと思う。
「神の国」のフィナーレの部分には、交響曲第一番のフィナーレ、そして「ミュージックメーカー」、「スターライト・エクスプレス」といった作品のエコーを聴くことができる。
エルガーが、この作品で何らかの一区切りをつけたことを意味しているのかもしれないなと改めて実感したものだった。

 

大友/群響の「神の国」(2018)

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