「傑作の森」の家プラスグイン
エルガーはヘリフォードのハンプトン・パーク・ロードにある邸宅「プラス・グィン」を見つけて、1904年の7月1日こちらに引っ越すことになった。
それまで住んでいた「バーチウッド・ロッジ」は「フォーリ」に住んでいる頃より距離的に遠くなってしまっていため、ほとんど利用する機会が減っていたので前年の1903年に解約していた。
「プラス・グィン」に住んでいた1904年から1911年までに作曲した作品は、
行進曲《威風堂々》第3番(1904)と4番(1907)、
《序奏とアレグロ(Introduction and Allegro for string quartette and string orchestra, op. 47 )》(1905)、
オラトリオ《神の国》(1906)、
《交響曲第1番(Symphony No.1 in A flat major, op. 55)》(1908)と
《2番(Symphony No.2 in E flat major, op. 63)》(1911)、
《ヴァイオリン協奏曲(Concerto in B minor for violin and orchestra, op. 61)》(1910)など。
正にエルガー全盛期の「傑作の森」と呼べる時代である。
この頃がエルガーにとって最も忙しい時期であった。王室などから依頼されて作曲したり、ロンドンへ出ていって指揮をしたりする機会が増えた(そのためロンドン市内に転々とフラットを借りていた)。
しかし得た名誉に比べて、見た目ほど収入があったわけではなく、「プラス・グィン」という大きな家を維持するには無理があったようだ。
この頃エルガーの趣味の一つが日曜化学であった。自宅の一室を「箱舟」と名付けた実験室に改造し、娘のキャリスとともに研究に明け暮れた。誤って爆発事故を起こしたこともあったが、いくつか特許を取るなどの発明にも成功している。