交響曲第2番第4楽章オルガンの問題
1947年、ロイヤルカレッジにてサー・エイドリアン・ボールトはに、エルガーの交響曲第2番の第4楽章について次のように語った。
「 第4楽章後半の頂点(練習番号)165の後の8小節で、便宜的にオルガンを8小節分追加することも可能である」。
楽章開始から10分ほどの「喜びの精霊」のテーマが最後に出てきてディミヌエンドする部分にあたる。
しかし、不思議なことにボールト自身の録音では、オルガンを入れていないのだが、ボールトの直弟子ハンドリーによる録音によって、このオルガン版を聴くことができる(これに続くのがマッケラス盤とオラモ盤)。
これは、エルガー本人から直接伝えられたとの前置きがなされていたが、その文書的証拠(手紙・スコア・自筆注記など)は現存していない。
参考動画を作成してみた。
①ボールト指揮によるもの(オルガンなしの通常版)
②ハンドリー指揮によるオルガンあり①
③マッケラス指揮によるオルガンあり②
④オラモ指揮によるオルガンあり③
音楽的・演奏上の考察
オルガン挿入の効果
練習番号165後の8小節間は、作品全体の精神的帰結を導く非常に繊細な箇所であり、「喜びの精霊(Spirit of Delight)」の主題が回想され、音楽が消え入るように沈静化していく。
オルガンの追加はこの部分に荘厳な神秘性と宇宙的な広がりを与える効果がある。
特に低音域でのペダル使用と、**空間に広がる持続音(サスティーン)**が効果的に作用する。
作曲者の意図と乖離
エルガー自身がオルガンを用いた管弦楽曲(《威風堂々第1番》《交響的習作》など)において、その装飾的または荘厳さの強調という点でオルガンを利用している。
ただし、《交響曲第2番》のスコアにはオルガンに関する言及が一切ない。
→ よって、仮に口頭での示唆があったとしても、正式な意図とはみなせないとする立場も強い。
文献・資料面での現状
オルガン挿入の提案はボールト講演以外に現存する史料がない。
エルガーの自筆譜、自筆修正譜、スケッチにもオルガンの指示は一切ない。
Boosey & Hawkes版、Novello版などいずれの出版譜にもこのオプションは含まれていない。
現代の評価と対応
肯定的立場
音楽的に効果的であり、エルガーの精神性に合致しているとする見解。
伝承的実践の尊重(HandleyやOramoによる録音)も含め、柔軟な演奏解釈を許容する立場。
否定的立場
十分な文書的証拠が存在しない点から、学術的には非正統的な解釈とする見解。
正規スコアに基づいた原典主義(Urtext)に基づく演奏を重視。
結論
「交響曲第2番第4楽章におけるオルガン追加」は、エルガーの実演指導が後年にどのように影響を与えたかを示す事例であるが、学術的・批評的な視点からは、確定的な根拠に欠ける補筆である。
とはいえ、その音楽的魅力と精神的効果の大きさから、選択的に採用する演奏家が存在するのも事実であり、この問題は「原典の尊重」か「伝統の継承」かという演奏実践上の根源的問いを含んでいる。