『 エルガーのエニグマ』
エドワード・エルガーは、その創作活動のやや晩年期に、彼のキャリアの中でも最も偉大な音楽のいくつかを作曲した。
映像作品『 エルガーのエニグマ』では、エルガーが感傷的でナーバスなチェロ協奏曲を作曲したのは、若い頃の彼が婚約まで交わしたものの、その後別れてしまったヘレン・ウィーバーとの思い出がきっかけだったという説を検証したものである。
ウィーバーの息子ケネス・マンローが1916年にフランスで戦死したという知らせを受け、エルガーは戦争の鎮魂歌を書く気になった。
このチェロ協奏曲とヘレンの息子を結びつける説は比較的最近注目されるようになったものである。
1916年当時、エルガーはヘレンに息子がいること、そしてその息子が戦地に赴く際に負傷兵としてロンドンの病院に滞在していたことを感知していたわけである。そしてその後、彼が戦死したという報を受けて大変な衝撃を受けていた。
ケネスがロンドン滞在時にエルガーと面会があったのどうかに関してはわからない。
これまでチェロ協奏曲にまつわる悲しいエピソードの数々に、また一つ新しく悲しいエピソードが加わることになったわけである。
やはり、この曲から「哀しみ」というイメージが離れることはないのだろう。
『エルガーのエニグマ』は、カンタス・テレビジョン・アワードの最優秀フェスティバル・ドキュメンタリー賞と最優秀カメラ賞の最終選考に残った。
また、このドキュメンタリーは、映画と歴史協会会議、ワールド・シネマ・ショーケース、EIDCドキュメンタリー・フェスティバル、メルボルン・ドキュメンタリー・フェスティバルなどの映画祭でも上映された。