愛の音楽家エドワード・エルガー

エルガーと「12」——宗教的作品に見られる構造的・象徴的こだわり

エルガーの音楽にはしばしば象徴的な数の操作が見られるが、とりわけ「12」という数字には特別な意味が与えられているように思われる。この「12」は、単なる構成上の便宜ではなく、エルガーの宗教的・儀式的世界観と密接に結びついた、音楽的・象徴的装置として機能している。

 

『The Dream of Gerontius』における「12」の構造

筆者が自身のウェブサイト「愛の音楽家エドワード・エルガー」にて提唱した通り、『ゲロンティアスの夢』第2部の構成には、「12」という数を明示的に組み込んだ可能性がある。具体的には、魂の旅を導く天使の独唱が、天国への階梯を象徴するように12の短い「呼びかけ」的発言に分割されているようにも読める。

 

この「12の声」は、まるで天界に至る「12の門」(ヨハネ黙示録21章)を通過するかのようであり、天使という導き手の言葉によって魂が浄化と認識のプロセスを進むという、霊的な儀式性が強調される。ここに、エルガーの深層に潜む「音による儀式」が浮かび上がる。

 

『The Apostles』における十二使徒

『The Apostles』は、タイトルそのものが「12」という数字を指し示しているが、作品中でも12人の使徒たちの存在が象徴的に扱われている。エルガーはこの作品で、個々の使徒の人間性を掘り下げるよりも、12という「群れ」の象徴性――すなわち神の秩序・選民・新しい契約の成就といった聖書的概念――を音楽的に構築している。

 

さらに重要なのは、エルガーがこの「12の選ばれし者」の中で、裏切り者ユダと主を否認するペテロに特別な焦点を当てている点である。これは、「12」が常に完全・神聖な数であると同時に、その内に崩壊と回復のドラマを内包しているという宗教的視座を反映している。

 

『The Kingdom』における12の継承

『The Kingdom』では、『The Apostles』の続編として、聖霊降臨(ペンテコステ)以後の教会の誕生と拡大が描かれる。この作品でも、12使徒による「新たな民」の形成が軸となる。中でもペテロとヨハネ、そして新たに加わる使徒マティアの描写を通じて、「12の秩序」が新たな段階へと継承されていく過程が音楽的に示されている。

 

この12の継続と再構成(=ユダの欠員の補充)という構図は、エルガーが単に象徴として「12」を好んだだけでなく、その内的な儀式性・連続性にまで強い意識を持っていたことを示唆している。

 

結語:13ではなく、12を選び続けた作曲家

しばしば西洋では「13」が不吉な数とされる一方で、エルガーがこの数を避けていた形跡はほとんどない。むしろ彼は、自らの音楽世界に「12」という数を繰り返し呼び込むことで、秩序、完成、神の設計図を再現しようとしていたように見える。これは、彼が音楽を単なる娯楽としてではなく、宗教的な意味を帯びた「儀式」として捉えていたことの証左であり、同時に彼の作品に深い霊性と象徴性をもたらしている要素でもある。

 

こうしてみると、「13を忌避しなかったエルガー」が選んだのは、むしろ「12に宿る普遍性」だったのである。

 

「12」という聖なる数―エルガー宗教オラトリオにおける象徴構造の考察

 

エルガーは『ゲロンティアスの夢』(1900)、『使徒たち』(1903)、『神の国』(1906)という三部作において、一貫して宗教的・象徴的な数としての「12」にこだわりを見せている。それは単なる構成上の便宜ではなく、作曲者がキリスト教的宇宙観に根差した神秘主義的世界を構築するための中核的な鍵である。

 

第一作『ゲロンティアスの夢』では、表面的には登場人物の数が限られているにもかかわらず、「12」の象徴が音楽的・構造的に巧みに織り込まれていることを、筆者(愛の音楽家エドワード・エルガーのサイト主宰者)がすでに指摘した。すなわち、オルガンのペダルトーン(低音)と弦楽による導入部に始まり、ソロ、合唱、オーケストラが「トリプルA」の構造(エンジェル、アニマ、アニミ・クリスティ)で三重に展開されるこの作品は、全体として「3×4=12」の構造的発想に基づいていると捉えることができる。この「三位一体×四元素」の交差点としての「12」は、神秘主義的象徴数の典型である。

 

第2作『使徒たち』においては、タイトルが示す通り、登場人物としての「12使徒」が直接的に描かれる。序盤では明確に12名の名が読み上げられ、彼らを中心に物語が展開する。さらに、12という数が示す象徴的重みは、裏切り者ユダの扱いや、代わりにマティアが選ばれるプロセスにおいても維持されており、「完全性」や「神の秩序」を保つための構造として、12が意識的に扱われていることは疑いない。

 

そして第3作『神の国』においても、明確に「12」を数える描写は減少するものの、その霊的意味がより抽象的な次元で保たれている。作品全体が「霊的共同体の誕生」を描くにあたり、「12」は教会的共同体としての完成形を象徴している。キリスト教において12はイスラエルの12部族に由来し、教会の基礎としての12使徒とも重なる。エルガーはこの作品で、見えない「12」を精神的・神秘的な象徴として空間化し、音楽的に埋め込んでいると考えられる。

 

興味深いのは、エルガーがしばしば13を忌避する文化的背景を持たない英国人でありながら、「12」という数には強く執着していた点である。すなわち、彼にとって12は単なるキリスト教的伝統の反映ではなく、音楽そのものの構築原理として、儀式的・霊的世界観と響き合う象徴数であった。

「12という神聖数」――『ゲロンティアスの夢』における象徴的構造

エドワード・エルガーのオラトリオ《ゲロンティアスの夢》(1900)は、単なる宗教音楽の枠を超えた、深い精神的・象徴的次元を内包する作品である。中でも特筆すべきは、この作品全体に織り込まれた「12」という数の存在である。これは聖書的、典礼的な意味を持つ象徴数であり、キリスト教的世界観の深層と結びついた構造要素と考えられる。

 

I. 「12人の助け手」としての天使たち――トリプルA構造の提示

《ゲロンティアスの夢》に見られる三重の「A」構造、

 

Angel(天使)

 

Anima(魂)

 

Animi Christi(キリストの魂たち)

 

という、三位的・輪唱的に展開する霊的配役構造である。これらが入れ子のように組み合わされることにより、霊魂の旅路を「導く者たち」が12の存在(もしくはその倍数的イメージ)として機能している可能性が見えてくる。

 

たとえば、第二部で天使が魂を導くシーンにおいては、キリストの「苦しみの仲間たち(Animi Christi)」が12人のように登場し、魂を祈りとともに迎えるという神秘的な光景が描かれている。これはまさに、聖書における12使徒や12部族を思わせる霊的秩序の投影とも言える。

 

II. 楽曲構造としての「12」的対称性

《ゲロンティアスの夢》は明示的には2部構成であるが、細部に目を向けると次のような12単位の節分けが可能である:

 

第1部:

 

独白(ゲロンティアス)

 

司祭の祈り

 

合唱の祈願

 

ゲロンティアスの死

 

第2部:
5. 魂の覚醒
6. 天使との対話
7. 悪霊たちの罵倒
8.天使の祈り
9. 清めの火の音楽
10. キリスト顕現の一閃
11. 魂の嘆きと赦し
12. 天使による安息の導き

 

このように捉えることで、全体が12の霊的ステーション(stationes)として読めるようになり、十字架の道行き(Via Crucis)や典礼の形式と共鳴する構造が浮かび上がる。

 

III. 「12」はエルガーの意識的選択か?

このような12という数の配置は、果たして偶然なのだろうか? エルガー自身が神秘主義や象徴的思考に惹かれていたこと、また同時代のロマン主義的作曲家たち(とりわけワーグナーやブルックナー)も数的構造を重視していたことを思えば、これは無意識的あるいは意図的な作曲技法の一端とみなすことができる。

 

実際、エルガーの宗教オラトリオ三部作全体にわたって「12」が繰り返し登場する点も、彼の数的美学の証左である。次稿では、《The Apostles》《TheKingdom》における「12」のモチーフ――すなわち使徒たちの数、聖霊の降臨における時間的・構造的単位など――を分析し、エルガーにとって「12」がどのような精神的地図を描いていたのかをさらに探ってみたい。

 

その他、この作品に込められたキーナンバー12についての解説はこちらを参照されたし。

「神の秩序としての12」――《The Apostles》における構造と象徴性

1903年に初演された《The Apostles(使徒たち)》は、エドワード・エルガーによる宗教オラトリオ三部作の第2作であり、イエス・キリストとその弟子たち――とりわけペテロとユダ――の人間的・霊的葛藤を深く描いた作品である。その題名通り、このオラトリオは「12人の使徒」というキリスト教の象徴的構成要素を真正面から扱っている。そしてその中には、表層的な登場人物の数以上に、「12」という数が秩序の設計原理として組み込まれていることが読み取れる。

 

I. 明示的な「12人の使徒」構造

《使徒たち》の主題そのものが12という数に支えられている。旧約におけるイスラエルの12部族、黙示録における聖都の12の門や基礎石などと並び、12使徒はキリスト教の象徴的制度の根幹をなすものである。エルガーもこれを劇的構成の出発点として明示的に用いており、作品中では「主は12人を選びたもう」と明確に語られる。

 

II. 配役と視点――「12」との緊張関係

興味深いのは、実際の音楽的展開において「12人の使徒」が声として明瞭に12人分割で提示されることはほとんどなく、むしろペテロとユダという対立的存在が前面に出され、他の10人は象徴的に一括処理されている点である。

 

これは「12」の秩序が「2」の対立(忠誠と裏切り、信仰と絶望)に緊張をもって内包されていることを示唆している。すなわち、エルガーにとって12という数は、単なる「人数」ではなく、「霊的均衡の象徴」であり、そのうちの1が崩れたときに秩序全体がどう揺らぐか――という問題系を提示するための象徴枠なのだ。

 

III. 構成単位としての12の兆候

このオラトリオの構造は以下のように7場に分かれているが、それぞれの場面にはさらなる小構成が含まれ、全体で約12の主要エピソードとして整理することが可能である:

 

序奏と夜明け

 

召命の場面

 

山上の説教

 

群衆との対話

 

ペテロの信仰

 

ユダの内面独白

 

裏切りと赦し

 

これらに加え、独唱や合唱による反復的モティーフ(召命のフレーズ、主の祈り、赦しの言葉など)を象徴的区切りとして数えると、霊的エピソードが12単位として循環するような構造も見えてくる。これは典礼的な時間の円環性――一日の時間を12時間に区切るような感覚――とも親和する構成である。

 

IV. ショーファーの儀式性と12の預言的意味

特筆すべきは、《The Apostles》でショーファー(角笛)が登場する唯一の場面――ユダヤ教的ラッパの音が天から響くシーンである。これはまさに旧約的な「12部族への警告」や「新しい契約の始まり」を象徴する音として用いられており、12の使徒が「新しいイスラエルの民」として霊的に召されていく過程と呼応する。

 

エルガーとショーファーの関係についてはこちらを参照されたし
《The Apostles》における「12」は、表面的な使徒の数にとどまらず、霊的秩序、儀式的構成、そして人間的ドラマの対立を象徴する骨格的要素として機能している。

「永遠の神聖秩序としての12」――《The Kingdom(神の国)》における構造と象徴性

エルガーの宗教オラトリオ三部作の最後を飾る《The Kingdom(神の国)》は、神の国が到来するという終末的なテーマを扱っており、キリストの再臨とその王国の栄光を描いている。この作品においても、「12」という数字は重要な役割を果たし、エルガーが持つ深い宗教的な視点が反映されている。ここでは、前作《The Apostles(使徒たち)》における「12」の象徴性がどのように受け継がれ、変容しているのかを探ってゆく。

 

I. 「12」の数の象徴的な引継ぎ

《The Kingdom》の中心的テーマは「神の王国の到来」とその栄光にある。キリスト教における「12」の数は、使徒たち、部族、さらには神の民を象徴するものとして、神聖な秩序を示している。《TheApostles(使徒たち)》で提示された12使徒は、神の民を構成するためのモデルとして、神の計画における根本的な基盤をなすものであった。これを踏まえ、最終的な神の王国が到来する《The Kingdom》において「12」の数は再び重要な役割を果たすものである。

 

II. 天上の秩序と12の預言的象徴

《The Kingdom》では、天の使者や神の声がしばしば登場し、神の王国の到来を告げる。ここでの「12」は、単に使徒たちの数として現れるだけでなく、「神の国の完全性」を象徴するために用いられている。具体的には、天上の秩序が12の霊的領域で形成され、その中で神の計画が実現するという形で構成されている。このように、12の数は天上の秩序や神の霊的な統治を示す象徴として扱われ、エルガーはこの「12」をその音楽とドラマの中にしっかりと埋め込んでいるのである。

 

III. 音楽における「12」の再生産

音楽的には、《The Kingdom》における「12」という数は、前作《The Apostles》と同じく、構造的な形で表現されている。エルガーはこのオラトリオを7つの場面に分け、各場面が異なる神の側面を描くとともに、聖書的なテーマを展開する。各場面は、神の王国が成就する過程を描くために、さらに12の主要な音楽的テーマを持つ形で編成されており、これらが神の完全な秩序と統治を象徴的に示している。

 

この12の音楽的テーマの中には、エルガー独特のリズムや旋律が使われ、神の王国の到来を予感させるような力強い表現がなされている。また、音楽的な反復やモチーフの変容を通じて、12という数が時間と空間を越えた神聖な秩序として表現されているのである。

 

IV. 「12」と神の王国の完成

《The Kingdom》の終局において、神の王国の完全なる到来が描かれます。この部分でエルガーは、神の栄光とその王国の絶対的な統治を強調し、ここでの「12」という数は、神の支配が完全であることを象徴している。すなわち、神の王国が完成した時、すべての秩序が整い、霊的・物理的な完全性が達成されるという視覚的・音楽的なメッセージが込められているのである。

 

《The Kingdom》では、神の国が地上に現れるという終末的な視点が強調されるが、その完成には12という数の霊的な秩序が不可欠であり、これはエルガーが生涯を通じて抱いていた「神聖な秩序」の概念を反映しているといえる。

 

《The Apostles》から《The Kingdom》に至るまで、「12」という数字はエルガーの宗教的な構想の中で中心的な役割を果たしており、作品全体を通じて神の計画とその完成を示すための重要な構造的・象徴的要素として機能している。この数字は、単に数量的なものとしてではなく、深い神学的意味を持ち、エルガーの音楽における霊的な深みを作り出している。

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