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大友/東響のエルガー2番 2007年

愛の音楽家エドワード・エルガー

大友/東響のエルガー2番 2007年

 

 

思い出のエルガー・コンサートへのタイムスリップ

 

 

2007年7月8(日)
東京芸術劇場シリーズ 第93回

 

指揮=大友直人
ヴァイオリン=ネマニャ・ラドゥロヴィッチ
《エルガー生誕150年記念》
エルガー/ペイン補完:行進曲「威風堂々」第6番
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
エルガー:交響曲 第2番 変ホ長調 作品63

 

 

エルガーの2つの交響曲は、ある意味非常に対照的である。
ひたすら前向きで明るい第1番。方や、ややうつむき加減で内省的な趣をも含む第2番。
どちらも傑作であることは間違いはない。

 

1番の方は「うんうん。そうそう、その通り」とエルガーが語りかけてくる言葉にひたすら同調して気分よく聞き終る感じ。
いいかえるなら、エルガーの演説を納得いくまで聞かされる感といった趣がある。

 

ところが2番の場合は一筋縄ではいかない。
エルガーのいう言葉に納得しつつ
「うん、そうだね。でもさあ、もっと何か話すことがあるんじゃないの?」
と問いただすと「実はねえ」と、
更に深い話がいくらでも出てくる感じで、とめどもない。
1番はどちらかというと表向きの公式な顔だし、
2番の方がよりエルガーという人物の素の顔をさらけ出しているように感じられる。

 

第1楽章の、あの堂々とした輝かしい様相は、エルガーの表向きというか公式的な一面である。作曲家として功成った自信と威厳がみなぎっている。

 

第2楽章では、作曲家は泣いている。一体何に対して?
しかも、哀しくて泣いているのではない。
哀しくて泣くエルガーの泣き方は、チェロ協奏曲やエレジー、ソスピリで見せる消え入りそうなほど小さな泣き声なのだ。
では、何か?
切なくて泣いている・・・・・そうとしか思えない。
この作品を創作した頃の作曲家の身辺や心情を見てみると、ウィンドフラワーことアリス・ステュワート・ワートリーの存在が大きいのだ。
そう作曲家の眼差しは彼女に向けられている。
非公式ながら、彼女へ充てた手紙の中で、エルガーはこの作品をこう称している・・・「これはあなたの交響曲なのです」。
エルガーの創作時期を分けるわけ方は研究者により色々あるが、
私独自の見解として、1910年というのが実は大きなターニングポイントになっているのではないかと考えている。
この年、作曲家の身に何があったのか?
それは今後の研究の成果を待たねばならないだろう。
彼の作風には1910年のヴァイオリン協奏曲と1911年の第2交響曲の間に不思議な変化が見られる。
前者以前の作風はひたすら明るく、希望を感じさせる曲想(特に終わり方)が多かったのが、後者を境に未来に対する露骨な不安感や現状に対する否定感、或いは逃避的傾向のようなものが前面に表れてきているように思う。1910年という年に彼の中で何らかの心理的変調を強いられるような出来事があったのではないかと想像される。
1910年といえば、彼にとっては作曲家として最も成功していた時代である。長い間待ち望んでいたはずの地位と名声がやっと手に入ったはずなのに彼は妻に自殺を仄めかすような話をしている。実際、彼の作品には不思議な二面性が存在する。彼の素朴なモチベーションから発して作曲されたものと、生活と名声のために他力的に作曲されたものとに分かれる。特にこの頃はこの二つの側面を持つ作品が混在する時期でもあった。彼はこの葛藤と生涯に渡って格闘し続けている。
そんな心の底にあるやりきれないほどの慟哭が、あの第2楽章のむせび泣きの正体ではないのか?

 

第3楽章の狂ったようなロンドは、作曲家の混乱する姿そのものである。

 

第4楽章の後半部でエルガーはようやく心の平安を取り戻すことができる。
最後の最後で、初めて揃う核心的な3つのテーマ。第1楽章の第1主題と曲全体のテーマである「喜びの精霊」、そして第4楽章の第1主題。
これらがハープや弦楽器のアルペッシオに彩られながら豊かに融合していく。これほど気高く、また崇高で美しい音楽がこの世にあるだろうか?
ここで涙できる者は、本物のエルガーリスナーである。
余談だがアンソニー・ペインは交響曲第3番の最後の終わり方を、この第2番の最後をモデルにしたフシが見られる。
もし、そうだとしたらペインという人間はエルガーという作曲家の心情をかなり深く理解しているということになる。ペインという作曲家は我々が考えている以上に、エルガーの精神に肉薄しているのではないだろうか。

 

 

さて、この難曲交響曲第2番を演奏するにあたって上記のようなことを抑えているかいないかで、出来上がりはかなり違ってくるだろう。
英国のオーケストラの場合、演奏技術面や基本的な解釈については、抑えているのは当たり前で、最終的な解釈を仕上げればそれでよい。
しかし、日本のオーケストラの場合、そうはいかない。歴史的土壌の違いなので仕方がないといえば仕方がない。
そんな大きなハンディを感じさせないで、エルガー作品を演奏してしまう指揮者とオーケストラが、大友直人であり、東京交響楽団である。
大友直人が、前回この作品に対峙したのは5年前。特筆すべきは、その間に、エルガーの3つのオラトリオを演奏しているという経験があること。
これがムダになるわけなどあろうはずがない。

 

エルガーのオーケストレイションは概して厚めである。
よって、非常に重要なテーマが他の楽器の音にかき消されてしまうことがよくある。
そこのところを演奏者が注意していないと、大概良い結果には至らない。
現に作曲者自作自演でも、残念ながら失敗している場面が見受けられる。
大友直人という指揮者は、そこのツボを抑えることができる演奏家である。
例えば、第4楽章の第1主題をチェロが奏する場面、そのまま放ったらかしにした場合、ヴァイオリンなどの音に埋没してしまう。
5年前の演奏の時もそうだったが、この時大友が左手でヴァイオリン群を制御している場面が見られた。
そして、第2楽章中間部で打楽器に支えられて大きく盛り上がる場面。多くの演奏では、その直後感情に任せて速くなり勝ちである。しかし、ここで速くなってしまっては2度目のピークの時に不自然なテンポとなってしまう。結構、著名な英国の指揮者でさえ、そんな「やってはいけないこと」をやってしまう人もいる。
大友は、ここで見事な手綱裁きできっちりオケを支えて見せたのである。
そして、第4楽章後半でテンポを落とす表現・・・・。これは曲の真価を心から理解しているからこその表現なのである。
そう、この最後の部分こそ、裸で、素顔のエルガーがいる。
バルビローリにエルガーが語ったように「本当の音楽は(練習番号)155番以降から始まる」のである。そして、大友直人は「それまでの50分間は、最後の数分間のためだけにあるのではないかと思う」といみじくも語っていた。

 

 

結構世に出ている演奏でも、第1、第2楽章は非常に手の込んだ表現をしているにもかかわらず第4楽章をアッサリと通り過ぎてしまうものも見受けられる。それは一見地味過ぎて演奏効果が期待できないからだろう。さらに、この曲の後半が盛り上がりに欠けてつまらない、というリスナーまでいる。
こういう演奏、およびリスナーは、エルガーの精神から最も遠いところに位置するものである。
ここを愛情深く丁寧に展開させる大友直人という演奏家の精神が、エルガーの心情に極めて肉薄していることを意味している。第2楽章のカンタービレで聴衆を泣かすことは、ある意味容易い。しかし、第4楽章で聴衆を泣かせることができる演奏こそ本物なのである。
リチャード・ヒコックスなども、言葉では表せないほど美しい演奏を聴かせてくれる。ヒコックスの場合、むしろ、第1楽章を捨てている感さえある。ツボをしっかり抑えていれば、こういうことも十分「あり」なのである。
要は、大友やヒコックスらが、他の演奏家と一線を画しているものは何かといと、それは「愛」なのである。
ウソでも芝居でもいいから「愛」を感じさせてくれない演奏は全てペケである。これは演奏だけでなく評論にも同じことがいえる。日本では、エルガーに対してリスペクトも愛のカケラも感じられない評論が何と多いことか。
有名な曲になってしまったため、「愛の挨拶」とチェロ協奏曲は、カスみたいな演奏が最も多い曲目である。
それらのダメ演奏は、演奏家がたちは、ただ「レパートリー」にしているだけ。何の「愛」をも感じさえてくれないものばかり。
だから、聴く方にも真贋を見極める感覚が必要とされる。

 

生誕150周年を迎えて、ようやく世界的に研究活動が広まり、日々新たな発見がある、エルガーという作曲家。今まで考えられていたようなイメージにばかり囚われていては、彼の本質を見極めることはできそうにない。
これからが本当の正念場といえるだろう。

 
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