愛の音楽家エドワード・エルガー

愛の音楽家エドワード・エルガー

山田和樹のエルガー:交響曲第1番3部作

 

 

 

2023年6月29日 東京サントリーホール
山田和樹指揮、バーミンガム市交響楽団

 

 

 

エルガー:交響曲第1番のジャッジペーパー

 

 

Conductor=Very Good=4
Orchestra=Very Good=4
Seat Location=Avarage=3
Audience=Very Good=4
Pablicity=Avarege=3
18点/25点満点中 72%/100

 

 

山田和樹のエルガー:交響曲第1番

 

 

山田和樹指揮によるエルガー交響曲第1番。
実は私が山田の指揮する同曲を実演で聴くのは3度目になる。
おそらくこのサントリーホールに集まった聴衆の中で彼の指揮する同曲を3度も実演で聴いたのは他にはいないだろう。
一度めが2013年横浜市大オケを指揮した時、二度めが2016年に日フィルを指揮した時。
2013年の時と2016年の時の私が書いたレビューを読み直したところ、今回とほぼ同じ感想を抱いていることを発見した(このページの下の方で紹介)。
それは何を意味するか?おそらく2013年に市大オケを指揮した時点で、彼のこの曲に対するスタンスがほぼ固まっていたのだろうと推測することができよう。
では、項目ごとにジャッジを紐解いていこう。
まずConductorはVeryGoodの4点だ。これだけの演奏回数と2013年から数えてすでに10年以上もこの曲をレパートリーにしているという事実。
これは紛れもなく尾高忠明や大友直人を除けば日本では彼しかない。
2013年に彼の演奏に感動したからこそ私もこうして彼のエルガーを追いかけているわけである。
就任してまだ1年も経たないバーミンガム市響との間にまだ解釈の折り合いがついていない部分もあろう。
あのサイモン・ラトルが育て上げ鍛え上げた英国オケ。彼らを向こうに回してもなお彼独自の解釈を貫いた姿勢は立派である。
2013年の時も2016年の時も今回も全く同じ感想を抱いたのが第3楽章アダージオの素晴らしさだ。
この楽章だけを取り上げたら古今東西の録音や実演を含めてもナンバーワンの可能性すらある。
凄まじく霊感にあふれた表現だ。誰の演奏よりも遅く死にそうなほどに細くそれでいて荘厳の美しさのピアニッシモ。
あんな音を出した演奏者はいない。テンポはシノーポリよりもトムソンよりも遅い。恐ろしいほどに遅い。
管楽器奏者にはおそらく地獄のブレスとなったであろう。
しかし、あの局面はあの表現しかない・・・そう山田の顔に書いてある。
弦楽器がこれでもかとカンタービレを効かせているのに、それでもまだ煽りに煽りまくる山田の棒。
それでも顔を真っ赤にしてついて弦楽器群。すごいものを見てしまった。
第3楽章で火がついたオケは華々しく第4楽章でさらにパッションを昇華させていく。
これでこそ1908年当時のエルガーが持っていた生命力の吐出だ。
1908年のエルガー。そうエルガーが作曲家として最も凄いエネルギーを作品に抽出していた時代だ。
惜しむらくは第1楽章だ。
2013年の時も2016年の時にも感じたもの。出だしのピアニッシモをもっと大事にしてもらいたかった。
あの第3楽章最後の最後で聴かせてくれた、あのピアニッシモのニュアンスが欲しかった。
あれができるのなら最初からやれよ!という気持ち。
だが待てよ。2013年も2016年も今回も同じオープニングの感想・・・ということはここは一貫した指揮者の解釈・・・だとしたらそこは口をはさむことはできない。
そこはもはや好みの問題ということになってしまう。
ただ・・・・、ノビルメンテの表記の部分は実に立派だ。しかし、アレグロヴィヴァーチェに移ったところでノビルメンテをやや引っ張ってしまった感がある。
あそこは様相を切り替えてメリハリをつけて欲しい。なにかモッタリした印象になってしまった。
ちょうどハイティンクがこんな感じの演奏をしていた。
ああならないためにはヴィヴァーチェに移った時点でテンポを上げて音の粒感を際立たせるなどの回避法があるのだが・・・・。
なぜああなったのかはよくわからない。そういう解釈なのか?まだオケと解釈の折り合いがついていないのか。
アンサンブルがやや曇った感じになってしまったのだ。
今回、これだけの演奏を成し遂げているの山田なので文句のつけようがないところであるが、一点少し気の毒なことがある。
それは彼の演奏から3日後に東京オペラシティで尾高忠明がエルガー1番を指揮する。
いやでもこれと比較されるからだ。
そんなの誰も比較しないって?
いや、私が比較するし、尾高さんにこの演奏のことは報告するつもり。
この7月、2人はともにプロムスで指揮をする。もしかしたら顔を合わせる可能性もある。
ジャッジを続けよう。
OrchestraはVGの4点。実績に関しては文句あるまい。この楽団がこの曲を演奏した回数などおそらく3桁は超えることだろう。
ラトルが鍛えた音色。英国独特の中音をベースにした全体の音の組み立て方。
エイドリアン・ボールトが言っていた。「英国のオケは指揮者がどうこう言わずとも、エルガーの作品がよくできているから自由に彼らにやらせればOK」。
まさにそれを感じさせる安定感。それだけに指揮者との最終的に擦り合わせにもう少し時間が必要だったかな?と感じさせたのが5点ではない理由。
Seat locationはAの3点。席はステージ右側のほぼ真横。悪くもないしベストではないにしても全体を見渡すには支障のないエリアなので影響なし。
AudienceもVGの4点。サントリーホールのお客さんだけに信頼して大丈夫だろうとは思っていた。この日集まったお客さんの目的は何だったのか?
演奏前のプレトークで山田和樹が会場のお客さんに「この中でエルガーの交響曲第1番の実演を聴いたことある人は手を挙げてみてください」と挙手を促した。
見たところ一割もいなかったかな?という印象。すなわちほとんどこの曲にそれほど馴染みがあるわけではないオーディエンスからあれだけの感動を引き出して見せたのだから本物だ。
PablictyはAの3点。可もなく不可もなく。ミステークもないし詳しい解説もなくサラっとしたもの。安全運転であるが、やや物足りないかな。
プレイヤーがあれだけのパッションを爆発させているのと対照的にやけにベンチはクールだなという印象。
いずれにせよ7月2日の尾高忠明の演奏と勝負することになる。これは凄い勝負になること間違いない。

横浜市立大学管弦楽団 エルガー 交響曲第1番

横浜市立大学管弦楽団 エルガー 交響曲第1番
横浜市立大学管弦楽団 第44回定期演奏会

 

山田和樹のエルガー:交響曲第1番

 

 

 

2013年12月27日

 

場所大田区民ホール・アプリコ 大ホール

 

 

 

【曲目】エルガー 交響曲第1番

 

ヨハン・シュトラウス

 

こうもり序曲ドヴォルザーク スラヴ舞曲

 

 

 

山田和樹のエルガー:交響曲第1番

 

 

 

指揮:沖澤 のどか、山田 和樹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基本的に私は、アマオケの演奏を聴くのは結構好きなほうである。

 

毎月定演があるようなプロオケ、また準プロオケと違って、彼らにとっての演奏会は年に一度、或いは数年に一度しかない。つまり、彼らにとってはそのたった一度を逃したら、次にステージに乗れるのは次の年か、または何年か先になってしまうかもしれない。

 

 

 

学生オケの場合なら4年間と、さらに期間が限定されてしまっている。一度のチャンスを逃したら、それこそもうチャンスがないかもしれない。彼らの演奏に接するに際して、いつも感じられるのは、そんな一発にかけた集中力というか執念のようなものだ。それが感動を呼ぶのである。

 

 

 

 

 

プロともなると、ルーチンワークとしてただ淡々とこなしている例も珍しくない。

 

中には本当に舐めた態度で演奏するプロもいる。名前は出さないが、以前あるプロの団体とステージで演奏した時のことである。

 

演奏が終わり、聴衆の万雷の拍手にブラボーの嵐の中、ある演奏者がポツリと一言。

 

「そんなにいい演奏だったかねぇ?」それほど聴衆のボルテージとプロの演奏家にはギャップがあることも見受けられる。

 

 

 

 

 

ところがアマオケには、まずそんなことはない。

 

 

 

 

 

時にアマオケがプロを上回るような感動的な演奏を繰り広げることが珍しくないのはこういう背景があるからだ。

 

 

 

 

 

アマオケを聴く時には、格闘技経験者の私は、つい「セコンド」になってしまう。ある意味演奏者以上に緊張してしまうし、いつも顔の筋肉で一緒に演奏している自分がいる。「顔の筋肉で演奏」という感覚、声楽をやっている人なら理解してもらえると思う。

 

 

 

 

 

「あそこの、あの部分絶対外すなよ。頼むよ」、

 

「ああ、音程がヤバイ!」、

 

「もっとリズム正確に取って、リズム!」、

 

「オイオイ!そこはもっとレガートで繋げてよ」

 

 

 

 

 

などと心の中で叫び続けで、格闘技時代を思い出して、ついセコンド気分になってしまう。

 

とにかくいい汗かかせてもらった。

 

そんな感じなので、今回も全曲が終わった時には、ドッと疲れてしまったものだ。

 

 

 

 

 

指揮者の山田和樹は全体的には、やや速目のテンポを取っており、正にエードリアン・ボールトかショルティとほぼ同じ速度だろう。

 

 

 

 

 

第一楽章。

 

最初のモットー主題の開始は、もう少し音量を絞って欲しいところだった。

 

2度目に繰り返す時の間をもっと大切にしたい部分。

 

おそらく練習では出来ていたはず。

 

指揮者が溜めようとしているところを堪えきれずに飛び出してしまった人が何人かいたのが残念。

 

尾高忠明の演奏をぜひ参考にしてもらいたい部分だ。

 

ピアニッシモをもっと大事に扱って欲しいものだ。ここはプロでも出来ていないオケもある。

 

アレグロ部分に入るとアンサンブルも良好で素晴らしいドライブとなった。

 

エルガーのアレグロは、彼の故郷モールヴァンヒルやセヴァーン川原に吹く風を意味している。

 

その風のイメージがよく捉えられていたと思う。

 

第一楽章の聞かせところLast Desk Onlyと指定されている部分は、とてもキレイに聞えた。

 

正に作曲者の望んだとおりの展開だと思う。

 

エルガーは、このようにオケの配置によってどのように聞こえるかを非常に気にしていた。

 

だから、欲をいえばオケの配置は両翼が望ましい。

 

オケの団員の方はやっていて気付いたと思うが、第1と第2ヴァイオリンの掛け合いが結構多かったはず。

 

これは左右両方から掛け合いが聞こえるのを想定してエルガーが書いた部分である。

 

第1楽章35番の7小節目から36までの、ハープと第1、第2ヴァイオリンが32分音譜の上昇音型をリレーする部分、第2楽章57、58、60、61、62、72、78番の掛け合い、第4楽章122番から123番、第4楽章127の3小節前、第4楽章145番3小節目から8小節目まで、などこれらの立体的音響効果は両翼配置をして初めて功を奏するのである。

 

 

 

 

 

 

 

第二楽章。

 

先のアレグロ部分同様、とても素晴らしく堂々とした演奏だった。

 

特に、通称「ダースベイダー」は正にノーブルの極み。

 

そして、スネアドラムなどが入った打楽器群の咆哮。こうでなくてはならない。

 

コリン・デイヴィスなどが特に拘っていた部分である。そのデイヴィスの迫力に迫るものがあった。

 

トリオとコンマスのソロは、とても美味しかった。思わずブラボーと心の中で叫んでいた。

 

 

 

 

 

第三楽章。

 

全曲を通じて速目のテンポの中、唯一第三楽章だけは濃厚にタップリ、じっくりと聴かせていたのが印象的だった。

 

ここは相当練習したのではないだろうか?最も完成度が高かった楽章だ。

 

エルガーのロマンチシズムがとても込められている部分だ。

 

第二、第三、第四とアタッカで続けたのも緊張感が持続して結果的に良かったように思う。

 

第三楽章の途中で涙が止まらなくなってしまい、冷静に聴いていられなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

第四楽章。

 

この楽章も、指揮者、オケの面々とも正に乗ってきた感があり白熱の熱演が展開された。

 

特に私自身最も好きな部分練習番号130番は最高だった。

 

第四楽章の主題とモットー主題が豊かに融合していく様子。

 

ここがこの曲の命なのである。

 

この部分、英国のオケでは演奏しながら涙を流すことがよくある。

 

その気持ち、痛いほどわかる。

 

市大オケのメンバーも理解していただけたのではないだろうか?

 

あるプロオケでは、ここで一小節早く飛び出してしまう奏者がいて、台無しにされたことがある。

 

こういうところに「愛」があるかないかの差が出るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾高忠明氏も私と同じ体験をするのであるが、実はよい演奏になるとエルガーその人が降りて来てくれるのだ。いつも尾高氏の横にエルガーその人が来てくれるそうだ。

 

私も実は何度も同じ体験をしている。

 

だから尾高さんとはこの話でよく盛り上がることがある。

 

第三楽章の途中から、彼は降りてきてくれたのだ。

 

いつも彼は私に何かしらかの課題を課していく。

 

今回彼が教えてくれたのは第三楽章に秘められたロマンスのこと。

 

第二交響曲同様、この第一の第三楽章にはウィンドフラワーへの愛が込められている。

 

そう教えてくれた。

 

この曲自体の完成は1908年であるが、この曲の構成自体は1901年ころには描いており、1904年のイタリア滞在を経てかなりの部分の構成が出来上がっていたと思われる。

 

1901年といえば、正にウィンドフラワーと出会った頃ではないか。

 

しかも、この曲の第三楽章を一度弦楽四重奏として完成させようとしていた。

 

それが1907年版弦楽四重奏と呼ばれるスケッチだ。

 

 

 

 

 

とにかく、今年最後を飾るに相応しい素晴らしい演奏をありがとう。

 

市大オケの、このパワーをいつまでも大切にしてほしいものだ。お疲れさまでした。

 

 

山田和樹のエルガー:交響曲第1番

 

 

エルガーに成り代わって心からお礼を述べたい。

山田和樹エルガー 交響曲第1番3部作 日フィル

2016年9月3日4日と音楽イベントが続きとても濃い週末を迎えることとなった。
3日は聴く立場、4日は演奏する立場と対照的なものであった。
さて、待望の山田和樹指揮、日フィルによるエルガー交響曲第1番である。
山田の指揮する同曲は数年前に横浜私大オケでの実演に接しているので彼がエルガーの音楽に対して十分な資質を有していることは明らかなので、それをどこまでオケに伝えることができたかが最大のポイントとなる。
結果からいうならば合格点を与えてもよいものとなろうか。何しろアマオケにあれだけのエルガーサウンドを出させる手腕は並大抵のものではない山田の音楽性。
あのジェームズ・ロッホランをしても引っ張れなかった日フィルからこれだけのサウンドを引き出せたのはすばらしい。
特に第2楽章の速いパッセージでのリズム合わせ。あの難しいテンポをよくもあれだけ縦の線をピタリと合わせものだ。
そして、第3楽章のあの瞑想的な田園風景を思わせるアダージオ。あれこそエルガーサウンドだ。
あれはグロースターシャーに広がる田園風景とそこに吹く風を音楽にしたものである。まさにそんなビジョンを見せられる思いである。
素晴らしいのがピアニシモでのデリカシーあふれる弱音。もう美しすぎて生きているのが嫌になるほど。
ピアニシモに弱点を感じていた日フィルがこんな音を出せるようになっていたとは・・・。
おそらくこの楽章には相当な練習時間を割いていたのではないだろうか?
全体的に合格点を与えることができたが、いくぶんかのマイナスポイントがあるのは否めない。
まず、冒頭のドラムロールから始まりモットー主題がピアノとフォルテで繰り返される場面。
最初の3小節で全体の印象が決まる極めて重要な場面だ。
ここにもろに日フィルの弱点であるピアニシモのガサツさが露呈していた。
一言でいうとピアニッシモがでか過ぎる。デリカシーなさすぎ。まるで水道の蛇口をひねって水がジャーっと出てくるような出だし。
あれは台無しである。モットー主題の音量がありすぎるとフォルテでの2度目のモットー主題とのディナーミックの差が出なくなってしまう。
ここは非常に重要なところであるにもかかわらず出来ていない。
練習不足なのか指揮者の解釈なのか、解釈だけどオケに伝わっていないのか。
これこそこの曲における「やってはいけない」やり方である。
実に情報量の多い局面なのでおそらくオケに浸透させるだけの時間がなかったのだろう。客演ならなおさらだ。
日本のオケの場合、こういう難しさがある。このように0から組み立てるだけの時間がない。
英国のオケならば0ではなくもっと進んだ場所から練習を開始できるので大きなハンディがある。
現にアダージオであれだけ美しいピアニシモを聞かせてくれたのだからできないのではない。
ただ単にやっていないのである。できるんならやれよ!プロなんだから!の一言に尽きる。
思うに山田和樹に東京交響楽団を振らせてエルガーを聞いてみたい。
この組み合わせはかなり協力なタッグとなるはずだ。
秋山、大友に鍛えられた東響なら山田の望む響きがすぐに導き出せるはずである。
これは非常に期待ができる展開となるであろう。

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