愛の音楽家エドワード・エルガー

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「神の国」のスコア

所有しているエルガーの「神の国」の副題がJerusalemがついている。この副題を出すケースの方が実は珍しい。

「神の国」のスコア

 

 

現在では、このJerusalemを付けないパターンが多い。

 

「神の国」のスコアの巻末にあるエルガー作品のラインナップを見てて気がついた。
「神の国」の出版は1906年。このラインナップ、1906年以降にノヴェロから出版されたエルガー作品が記されていない。
つまり、2つの交響曲も2つの協奏曲も載っていない、
ということは、今見ているこのスコアは初版である可能性が濃厚。
だとすると、現在では付いていないはずの副題が、このスコアには「Jerusalem」となっているのは、初版当時付けられていた副題がその後、カットされたからではないだろうか?

「神の国」のスコア

 

「最後の審判」の予告編

エルガーのオラトリオ「神の国」は本来3部作の中間部になるはずだったもの。なので、楽章でいうと穏やかな緩徐楽章。
そして最後にドラマチックな「最後の審判」で締めくくる・・・という青写真を描いていたエルガーであるが、最終的には「最後の審判」に手をつけることなく終わってしまった。
なぜエルガーが「最後の審判」の作曲を断念したのかは諸説あるが、ここでは考えない。
ただ、「神の国」の作曲の最中において彼は「最後の審判」を作曲する気が満々であったことが想像できる。
「神の国」第3部ソロモンの回廊の中での練習番号110番の合唱(写真の部分)。群衆たちはイエスの代わりに殺人犯のバラバを釈放させたことを激しく後悔する場面。
エルガーにしては珍しく半音階が続く、聞きようによってはクロマティックに聞こえなくもない。
エルガーがクロマティックな音階に興味を示したのは1918年ころの室内楽に取り組んだ頃。マーラーの活躍後でありストラヴィンスキーなどが出現する直前なので、まだ考えられる。
しかし、1906年ころこのような不安げな曲想をエルガーが書くのは非常に珍しい。
そして、2番目の写真は「最後の審判」の一部分のメモ。
かつて、私はこれらのメモの断片からMIDIとして音源化してプライベートCDで頒布したことがあるのであるが、これらの曲想が正に半音階の曲想が多く、この「神の国」の110番に非常によく似ているのだ。
つまり、この110番は「最後の審判」の予告編みたいな感じでエルガーは考えていたのではないだろうか?
「Elgar in manuscript」の中に、また興味深い記述を発見した。どうもエルガーは「使徒たち」で使用したショーファー(ショファール)を「最後の審判」でもう一度使う気でいたらしい。考えてみれば「最後の審判」といえば「黙示録」だ。
「黙示録」にはラッパの登場場面がてんこ盛りである。そこでショーファーを使うつもりだったのだろう。聖書の記述にあるラッパと書いてあるものは一般的にショーファーのことを指している場合が多いのだから。

 

「神の国」のスコア「神の国」のスコア

「神の国」唯一国内盤

エルガーの大作オラトリオ「神の国」。

 

エルガーの信仰心そのものにまで影響を与えたと思われる究極の作品とはいかなるものなのか。
あっという間に廃盤になってしまったが意外にも国内盤がリリースされていたことがある。
RCAからスラットキン指揮のものがリリースされていた。
RCAのエルガーものも珍しいがスラットキン指揮というのも珍しい。
スラットキン自身はエルガーをレパートリーにしてはいるが、「ゲロンティアスの夢」でも「使徒たち」でもなく「神の王国」だけというのも珍しい。
ライナーノーツの解説と対訳は、あの三浦淳史先生というのも感慨深い。こんなディスク所有している人自体も珍しいと思う。よくこんなの入手できたものだ。

 

「神の国」のスコア

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