愛の音楽家エドワード・エルガー

愛の音楽家エドワード・エルガー

「エンター・ザ・ミュージック」でのエルガー

2021年5月8日放送「エンター・ザ・ミュージック」テレ東

 

高関健×バッハ(エルガー編)「幻想曲とフーガ ハ短調」について

 

 

エルガー編曲のバッハの「幻想曲とフーガ」が「エンター・ザ・ミュージック」で取り上げられる!時代は変わったもんだと楽しみにしていた・・・。
ところが番組を見てガッカリ・・・。こういう取り上げ方されるくらいならやってもらわない方がマシである。
こういうインフルエンサーがこういう内容のことをTVで発言すれば何も知らない視聴者はその言ったことを鵜呑みにするしかないだろう。私がいつも言っているガセネタの孫引きによる無限連鎖である。
あの藤岡サッチーでさえあんなこと言うなんて・・・。(エルガー普及の)仲間だと思ってたけどあの人も部外者だったか・・・。
エルガーがバッハのことをリスペクトしていなかったかも・・・みたいなミスリードが独り歩きしてしまう結果になる。何も知らない視聴者は「そうか、エルガーってバッハのことはリスペクトしてなかったのか」という印象を抱くことになろう。これってとてつもなく罪深いことである。「高関健のエルガーに対するリスペクト>エルガーのバッハに対するリスペクト」こういう印象操作も出来上がってしまっている。
エルガーがバッハにどういう思いを抱いていたか?まずそこをちゃんと調べてから発言すべきだろう。そもそもバッハのことをリスペクトしない作曲家などいるのか?
グーセンスがメサイヤを編曲したのを見ればわかるようにこの時代はとにかく大編成で大掛かりなオーケストレーションが一大ブームの時代だった。そこには大会場を揺るがすような観客を喜ばせる大音量かつエンターテイメント性の高い演奏がもてはやされた。そういった背景を踏まえてエルガーはバッハのオルガン曲に壮大な管弦楽化粧を施した。
それは現代の指揮者の視点から見たら奇抜にも見えるだろう。
その奇抜に見えた視点のみでこの曲を論じている。
まず、そういった背景があったから(まさかご存じないということはあるまい)、こういう編曲になったという説明をした上で、「現代の私たちから見ると奇抜ですね」というのならわかる。
ただ、一方的にエルガーのオーケスレーションの奇抜性を嘲笑的にピックアップしていた。
なんでここで笑いが入るの?というところで入る嘲笑も気色悪いことこの上ない。作品やエルガーに対するポジティブなプラスのストロークが一切ない(恐ろしいほどのマイナスのストロークに満ちた内容)。
とにかく出演者全員がこの作品とエルガーに対する嘲笑の態度が鼻につくことこの上なく、「リスペクトしている」と口では言っているものの、リスペクトを感じさせる印象は一切ない。何がやりたいのか?ディスりたいのか?最後まで番組を見終わるのが本当に苦痛だった。
とにかく部外者は入ってこないで欲しい。何かやるならきちんと調べて公平に扱ってほしい。偏向報道番組である。事前に私に監修でもやらせてくれればこんなクソ恥ずかしい内容にはしなかったのに。
例えば、とてもじゃないけどこの番組を本国のエルガー協会のメンバーには見せられない。
思えば、日本エルガー協会のやってきた軌跡って、こういう敵との闘いの連続であった。
番組の感想欄にも日本エルガー協会名義で軽く抗議しておいたのでご紹介しておく。

 

 

「エルガーがこの曲の編曲を行った時代、英国では大規模なオーケストレーションにブームとなっていました、グーザンス版のメサイヤなど有名です。そういった背景によりこのような編曲を行いました。そういう背景を説明なしにひやかし(嘲笑)気味の解説がとても不快に感じましたしフェアではありません。また編曲のエピソードにはR・シュトラウスが関わっているのも欠かせないエピソードのはず。ご存じないのなら調べてください。とにかくエルガーに対するリスペクトを感じることができない内容でした。」

 

https://www.bs-tvtokyo.co.jp/enterthemusic/210508.html

「エルガーラブ」を自認する演奏家やライターやらブロガーやらのインフルエンサーにとってエルガーの存在とは、実はOne of Themでしかない。
しかし私にとってのエルガーの存在はOnly Oneである。
この2つの違いは決して小さくない。

 

エルガーにとって不名誉なことや、とんでもなく事実と異なるような情報が流布された時、本気で怒れるかどうか?である。
例えば、自分自身や家族などがそういう目にさらされた時、人は守るべき存在のためなら闘う選択肢を取るだろう。
エルガーのために闘えるか闘えないの違いである。

 

私がエルガーに関して何か書く時はいつも「エルガー目線」を意識している。「これ読んだらエルガーはどう思うかな?」
その「エルガー目線を意識する」というのが私と私以外のライターさんたちとの大きな違いだと思う。
私にとってのエルガーはそういう存在である。一緒にされたら困る。
私はエルガーファンではなくエルガーの下僕なのであるから。

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