愛の音楽家エドワード・エルガー

「最後の審判」の補完作業は行われていた

エルガーが当初計画していたオラトリオ3部作。「使徒たち」(1903)、「神の国」(1906)、「最後の審判」(1909)。
しかし、結局「最後の審判」は着手されることなく作業は廃棄されてしまった。エルガーは最後まで「最後の審判」を再構築することなく終わってしまった。
しかし、実は2010年に英国王立音楽大学 (RCM) で発見された廃棄された楽譜の山から「最後の審判」のスケッチが大量に発見されていたのだ。
交響曲第3番や行進曲「威風堂々」第6番など未完成のエルガー作品を補完したアンソニー・ペインは、この誰も日の目を見るとは思っていなかったエルガーのオラトリオ『最後の審判』を制作することに同意していた。
テーマの多くは、エルガーが『使徒たち』と『神の国』で使われた動機の素材を使い続けていたことを裏付けるものだ。 この前奏曲は、交響曲第3番の冒頭にも使用されていたことは以前から知られている。
当初世界初演は2017年春に予定されていたのであるが、作業は思うように進まずペインが2021年に没してしまったことによってペンディングとなってしまった。
ぜひ、「最後の審判」の補完作業の継続を強く求める。

 

なぜエルガーが「最後の審判」の作曲を断念したのかは諸説あるが、ここでは考えない。
ただ、「神の国」の作曲の最中において彼は「最後の審判」を作曲する気が満々であったことが想像できる。
「神の国」第3部ソロモンの回廊の中での練習番号110番の合唱(写真の部分)。群衆たちはイエスの代わりに殺人犯のバラバを釈放させたことを激しく後悔する場面。
エルガーにしては珍しく半音階が続く、聞きようによってはクロマティックに聞こえなくもない。
エルガーがクロマティックな音階に興味を示したのは1918年ころの室内楽に取り組んだ頃。マーラーの活躍後でありストラヴィンスキーなどが出現する直前なので、まだ考えられる。
しかし、1906年ころこのような不安げな曲想をエルガーが書くのは非常に珍しい。
そして、2番目の写真は「最後の審判」の一部分のメモ。
かつて、私はこれらのメモの断片からMIDIとして音源化してプライベートCDで頒布したことがあるのであるが、これらの曲想が正に半音階の曲想が多く、この「神の国」の110番に非常によく似ているのだ。
つまり、この110番は「最後の審判」の予告編みたいな感じでエルガーは考えていたのではないだろうか?
「Elgar in manuscript」の中に、また興味深い記述を発見した。どうもエルガーは「使徒たち」で使用したショーファー(ショファール)を「最後の審判」でもう一度使う気でいたらしい。考えてみれば「最後の審判」といえば「黙示録」だ。
「黙示録」にはラッパの登場場面がてんこ盛りである。そこでショーファーを使うつもりだったのだろう。聖書の記述にあるラッパと書いてあるものは一般的にショーファーのことを指している場合が多いのだから。

 

「最後の審判」の補完作業は行われていた

「最後の審判」の補完作業は行われていた

 

「最後の審判」の補完作業は行われていた

オラトリオ「最後の審判」 the Last Judgment Fragment

オラトリオ「最後の審判」 the Last Judgment
 Simon of Gitta in Samaria
 Alleluia for Heavenly Kingdom
 Opening of the seal

 

Sequenced by Kenichi Mizukoshi

 

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