エルガーが映画音楽を手がけていたら ―映画とクラシック音楽の交差点に立つ“もうひとつの可能性”―
エルガーは、19世紀末から20世紀初頭のイギリス音楽を象徴する作曲家であり、「威風堂々」や「エニグマ変奏曲」などの管弦楽作品で知られている。だが彼はまた、劇付随音楽や愛国的ページェント、ラジオ用音楽など、ジャンルを横断した活動も行っていた。もしも映画の黄金期がもう少し早く到来していたなら、エルガーは映画音楽という分野においても先駆的な業績を残した可能性がある。
■ 映画音楽の黎明とエルガーの活動期の“すれ違い”
映画がサイレントからトーキーへと移行し、本格的に音楽が作品の核となる時代が到来したのは1927年(『ジャズ・シンガー』)以降である。一方、エルガーの創作の絶頂期は1890年代から1910年代であり、映画音楽というジャンルが成熟する前に彼のキャリアはすでに峠を越えていた。彼が死去する1934年には、映画音楽が急速に芸術的進化を遂げようとしていた最中である。
この“時代のずれ”が、エルガーが映画音楽の作曲家として名を残さなかった最大の要因といえる。
■ 映画音楽に向いた素質と実績
しかしながら、エルガーの作品には映画音楽向きの資質が多く見出される:
情景描写の巧みさ:交響詩や劇音楽で見せるドラマティックな展開力は、映画の場面転換や心理描写に即応できる。
豊かなオーケストレーション:管弦楽の色彩に対する感性は、感情の流れを支える映画音楽に不可欠の能力である。
愛国的・人道的モチーフの扱い:『威風堂々』や『The Spirit of England』に見られるように、集団的感情の高揚を音楽で形にする力量は、戦争映画や歴史映画にふさわしい。
実際、エルガーは劇付随音楽として 『グラーニアとディアーミッド』(Grania and Diarmid, 1901) や 『スターライトエクスプレス』(Starlight Express, 1915) 、『アーサー王』(Arthur, 1923)
などを書いており、舞台作品のナラティブと情感を音楽で補完する構造に熟練していた。さらに、ラジオ放送や録音技術にも関心を持ち、視覚メディアへの親和性もあった。
■ エルガーの映画音楽:どんな映画に?どんな音楽を?
もしエルガーが1930年代以降に活動を継続し、映画音楽の依頼を受けていたなら、彼の筆は以下のようなジャンルに生きただろう:
歴史ドラマ:中世やナポレオン戦争、あるいは英国王室を描いた映画で荘重な音楽を提供
戦争映画/愛国映画:第一次世界大戦を背景にしたドラマに『スピリット・オブ・イングランド』のような音楽が流れる
文芸作品の映画化:『ハムレット』『嵐が丘』などの映画化で、内面の情動を抒情的に描く音楽
自然との対話:『グレイストーク』に実際に用いられたように、自然と人間の対比を浮かび上がらせる叙情詩的な音楽
彼のスタイルはのちに ウィリアム・ウォルトン や ヴォーン=ウィリアムズ に引き継がれ、ブリテンの映画音楽やTV音楽の礎となっていく。つまり、エルガーは「映画音楽の大家になり得たが、時間が数十年ずれていた」という稀有な作曲家だったのである。実際ウォルトンは『ハムレット』(1948)の映画音楽を作曲し、映画音楽の巨匠の第1号のような存在となった。
結びに代えて
エルガーは実際には映画音楽を一作も書いていないが、その音楽は今なお映画に引用され続けている。『グレイストーク』『エリザベス』といった作品では、彼の旋律が文明、感情、そして国家の象徴として響いている。これは裏返せば、エルガーの音楽が本質的に「映画的」であった証である。もし彼がもう少し長く生き、映画音楽というジャンルに本格参入していたなら、英国映画音楽の歴史はまったく違った相貌を見せていたかもしれない。