愛の音楽家エドワード・エルガー

祈りの建築家 ― チャールズ・グローブスと1972年の《使徒たち》」

1972年6月、リヴァプール大聖堂におけるサー・チャールズ・グローブス指揮《使徒たち》。この記録映像は、英国音楽史における貴重な遺産である。
エルガーの宗教大作は、しばしばボールト、バルビローリ、あるいはサージェントといった名匠たちの演奏史の中で語られるため、グローブスの功績は影が薄い。しかし、この《使徒たち》を聴けば、彼がいかに深くエルガーの声楽世界を理解していたかが明確に伝わってくる。

 

まず特筆すべきは、グローブスの「建築家」としての資質である。リヴァプール大聖堂という巨大空間において、彼は響きを決して濁らせず、フレーズを見事に積み上げてゆく。Part I「The Calling of the Apostles」では、低弦と合唱の重なりが荘厳に立ち上がり、空間全体を震わせながらも、細部の言葉が明晰に伝わる。このバランス感覚は、彼がオペラや合唱作品に数多く携わった経験の賜物だろう。

 

「By the Wayside」や「By the Sea of Galilee」では、グローブスは過度に劇的な誇張を避け、むしろ淡々とした語り口で進める。だがその結果、キリストと弟子たちの「人間的な温もり」が強調され、聖書劇というよりも「人間の物語」としてのリアリティを持つ。これはボールトの厳格さとも、ヒコックスの情緒的な歌わせ方とも違う、グローブス独自の人間味あふれるエルガーである。

 

Part IIに入ると、その語り口は一層冴えわたる。「The Betrayal」での緊張感、「Golgotha」における深い静謐さ、そして「The Ascension」での光に向かう高揚。特に「At the Sepulchre」では、沈黙と余韻を活かした解釈が印象的で、聖堂という場の響きが音楽の一部となり、聴衆に「死と再生」の瞬間を体感させる。

 

ソリスト陣と合唱も健闘しているが、それを包み込むグローブスの指揮が全体を一貫した「祈りの物語」としてまとめ上げている。演奏はドラマティックであると同時に瞑想的で、単なる宗教的祝典ではなく「魂の遍歴」を描き出している。

 

この演奏の価値は、ボールトの厳格さ、バルビローリの温情、サージェントの華やぎとは異なる「第三の道」を示している点にある。グローブスは決して巨匠的なオーラを誇示しないが、エルガーの合唱作品において彼ほど誠実で内面的な語りを可能にした指揮者は多くない。今後、彼の《使徒たち》がより正当に評価されるべきであることを、この映像は力強く示している。

 

 

場と声を結ぶ祈り ― チャールズ・グローブスの《使徒たち》スコア構造図

 

Part I

 

I. The Calling of the Apostles (冒頭~第329小節)冒頭 Adagio [1–34]

 

弦と管の重厚な序奏。

 

グローブスはテンポを極端に遅く取らず、荘厳さと透明感の両立を目指す。大聖堂の残響を計算して、響きが濁らない速度を選択。

 

“And it came to pass” [35–108]

 

バス(Narrator)の語りとオーケストラ。

 

グローブスは言葉の明晰さを徹底。伴奏の弦の刻みを軽やかに保持し、聴き手にテキストが届くようバランスを配慮。

 

コラール的合唱 “The Spirit of the Lord” [109–170]

 

ボールトよりも柔軟、抑制的。祈りの静かな昂揚感を導く。

 

弟子たちの呼びかけ [171–329]

 

グローブスは語りの自然さを重視。強いドラマではなく、人間の声の温もりを浮かび上がらせる。

 

II. By the Wayside (330–633)冒頭 Andante [330–372]

 

イエスの言葉と弟子たちの応答。

 

グローブスはテンポを落ち着かせ、牧歌的な親密さを強調。

 

女声合唱 “Blessed are the poor in spirit” [373–450]

 

大聖堂の残響を活かし、清澄な響きを確保。

 

ボールトの華麗さに比し、グローブスはより瞑想的。

 

“The sower went forth to sow” [451–633]

 

語り口は抑制的だが、弦と木管の色彩を丁寧に描き、寓話の叙述を自然に展開。

 

III. By the Sea of Galilee (634–942)序奏 Allegretto [634–672]

 

湖畔の静けさ。

 

弦楽の波打ちを、グローブスはリズムを硬直させず柔らかく。

 

奇跡の場面 “Master, the tempest is raging” [673–800]

 

ドラマを煽らず、むしろ自然現象としての力を淡々と描く。結果、聖書劇的な誇張よりも、人間の不安と安堵を浮かび上がらせる。

 

合唱 “And they that were in the ship came” [801–942]

 

音の広がりを大聖堂空間に響かせ、荘厳なクライマックスを築く。

 

Part II

 

IV. The Betrayal (943–1215)

 

ユダの場面 “Then entered Satan” [943–1010]

 

弦の不穏な動きを抑制されたテンポで進め、冷ややかな心理描写を強調。

 

裏切りの接吻 [1011–1100]

 

サージェントなら劇的に煽る場面を、グローブスはむしろ静かで不気味に処理。大聖堂の暗がりと重なる表現。

 

逮捕と動揺 [1101–1215]

 

テンポを速めず、群衆の騒ぎを低音域のうねりで表現。ドラマというより「重い現実感」。

 

V. Golgotha (1216–1538)

 

磔刑への行進 [1216–1300]

 

金管の咆哮を抑制、悲劇性よりも荘厳な儀式性を前面に出す。

 

十字架上の静寂 [1301–1430]

 

弦の透明感と残響を活かし、沈黙の時間感覚を表出。

 

“Truly this was the Son of God” [1431–1538]

 

合唱を力任せに歌わせず、祈りの告白として扱う。

 

VI. At the Sepulchre (1539–1675)

 

墓の静寂 [1539–1600]

 

弦のピアニッシモを最大限引き延ばし、呼吸するような間を重視。

 

天使の出現 [1601–1675]

 

光が差すようにテンポを自然に明るめに変化。過度に演出せず、空間的な明るさで表現。

 

VII. The Ascension (1676–終結 1814)

 

冒頭 Andante maestoso [1676–1730]

 

重厚だが引きずらず、上昇感を明瞭に提示。

 

クライマックス “Lo, I am with you alway” [1731–1800]

 

合唱とオーケストラが荘厳に結合。ボールトの厳格さよりも柔らかく、バルビローリの情熱よりも抑制的。

 

「祈りの共同体」としての高揚を演出。

 

終結 [1801–1814]

 

鳴り止まぬ残響を見守るかのように静かに終わる。大聖堂という場の音響と祈りが一体化。

 

 

総括(マッピングから見える解釈の特質)

 

言葉重視:ソリストと合唱のテキストを濁さず届けることを最優先。

 

劇的誇張の回避:裏切りや磔刑でも大見得を切らず、あくまで内面的な叙事。

 

空間性の活用:リヴァプール大聖堂の響きを「演出の一部」とし、沈黙や残響を音楽に組み込む。

 

人間的な温もり:ボールトの厳格さとヒコックスの情緒の中間に位置する、人間味あふれるエルガー像。

 

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