サー・ジョン・バルビローリがエルガーのヴァイオリン協奏曲を録音しなかった理由
エルガー演奏の第一人者と言われるサー・ジョン・バルビローリはなぜヴァイオリン協奏曲を録音しなかったのだろうか?
明確な記録は存在しないようだが、いくつかの推測が成り立つ。
推測される理由
理想のソリストとの出会いがなかった可能性
バルビローリは、エルガーの「ゲロンティアスの夢」を録音する際、理想のアルト歌手であるジャネット・ベイカーとの出会いがきっかけとなり、チェロ協奏曲もジャクリーヌ・デュ・プレの存在があったという事情から考えると、彼の録音プロジェクトには特定のソリストとの強い結びつきが重要であったと考えられる。ヴァイオリン協奏曲を録音するにふさわしいパートナーを発見できなかった?からという理由かもしれない。メニューインの存在も考えられるのだが、アーチストマネージメントの都合上マッチングが難しかったのかもしれない。
録音時期のタイミング
エルガーのヴァイオリン協奏曲は、1954年から1966年の間に新たな録音が行われていないなど、当時の音楽界ではあまり注目されていなかった時期があった 。このような背景から、バルビローリが録音を見送った可能性もある。
作品への慎重なアプローチ
バルビローリは、エルガーの作品に対して非常に慎重で、特にヴァイオリン協奏曲のような大作に取り組む際には、十分な準備と理想的な条件が整うことを重視していた。上記の理想のソリストを見いだせなかったという事情も加わって慎重になっていたのではないだろうか?
以上のような要因が重なり、バルビローリはエルガーのヴァイオリン協奏曲の録音を行わなかったと推測される。彼のエルガー作品への深い理解と敬意を考えると、理想的な条件が整わなければ録音を控えるという選択は、彼の音楽哲学に沿ったものであったと考えられる。
一つだけ、重要なこと
少なくともバルビローリ自身が、この曲を忌避していたということはないということはハッキリ断言しておきたい。
彼の演奏記録を見ると、録音こそ存在しないもののヴァイオリン協奏曲は生涯で29回演奏している。トーマス・マシューズ(戦後のLSOのリーダー)、レイモンド・コーエン、アルフレード・カンポリ、マーティン・ミルナー(ハレ管のリーダー)と演奏を行っている。ちなみにチェロ協奏曲は35回、エニグマ演奏曲にいたっては266回にも登る。バルビローリがエルガーの第一人者だったというのは紛れもない事実である。