音楽への夢

愛の音楽家エドワード・エルガー

音楽への夢

 この頃エルガーはウースター北の郊外にあるクレイネス教会の庭に店から楽譜を持ち込んで何時間もそれらに没頭した。特に強い興味を引いたのがベートーヴェンの《交響曲第6番『田園』》だった。この曲の持つ伸びやかな旋律美と自然の美しさを賛美するベートーヴェンの精神が、エルガーの生まれ育ったウースター地方の自然と相通じるものを感じ取らせたのかも知れない。エルガーが、野外で作品を作曲するようになった原点は、こんなところにあるようだ。「音楽は私たちを取り巻く空気の中にあり、好きなだけ取り出すことができる」とエルガーは語っている。
 1870年頃、エルガーが13歳になる頃には、セント・ジョージ教会のオルガニストとして父の代わりを務めるようになり、同時に同教会のミサのために聖歌やモテットなどの作品を作曲している。
 1872年エルガー15歳の時、姉ルーシーの誕生日に歌曲《花ことば(The Language of Flower)》を作曲している。エルガーらしい優しく親しみ易い旋律美が早くも表れている作品である。また、この頃オーボエを吹く弟フランクのために《フーガ(Fuge in G minor)》を作曲するなど創作活動は盛んになってきた。
 15歳になったエルガーは、学校を卒業するが、彼の望みとは裏腹に両親には、エルガーにこれ以上音楽の勉強を続けさせる余裕はなかった。そのためエルガーは法律事務所で働くことになる。
 しかし音楽への夢を捨てきれないエルガーは法律事務所をやめて父の店で経理を手伝いながら独学を続ける。1877年にはロンドンに出て行ってアドルフ・ポリツァーに師事してヴァイオリンの修行を納める。そのポリツァーに師事した旨でヴァイオリンやピアノ教室を開いて生計を立てていた。当時エルガーが新聞社に出した広告には「ポリツァーの弟子」と書かれているものが現存している。
 また、この頃ポウィック精神病院の楽団のためにポルカやカドリーユを作曲し、また仲間と結成したセレナード楽団のために作曲する。ポウィック病院の院長は患者の治療にミュージック・セラピーが有効であることを主張しており、治療に音楽を積極的に取り入れていた。そのために院内に専属の楽団を結成し、その楽団で指導者を務めているエルガーに作曲を依頼していたのである。セレナード楽団ではエルガーはバスーン(ファゴット)を吹いている。
 そんな音楽的には満たされた環境にあったものの、エルガーの野望は一流の作曲家として世に知られることであった。1884年には小編成の管弦楽のために書かれた《セヴィリアの女(Sevillana op.7)》が、アウグスト・マンスの指揮によりクリスタル・パレスにて演奏されている。1885年《組曲ニ長調》が初めて出版された。しかし、まだ無名の駆け出し作曲家という評価しか得られていなかった。
 この頃エルガーはウースター北の郊外にあるクレイネス教会の庭に店から楽譜を持ち込んで何時間もそれらに没頭した。特に強い興味を引いたのがベートーヴェンの《交響曲第6番『田園』》だった。この曲の持つ伸びやかな旋律美と自然の美しさを賛美するベートーヴェンの精神が、エルガーの生まれ育ったウースター地方の自然と相通じるものを感じ取らせたのかも知れない。エルガーが、野外で作品を作曲するようになった原点は、こんなところにあるようだ。「音楽は私たちを取り巻く空気の中にあり、好きなだけ取り出すことができる」とエルガーは語っている。
 1870年頃、エルガーが13歳になる頃には、セント・ジョージ教会のオルガニストとして父の代わりを務めるようになり、同時に同教会のミサのために聖歌やモテットなどの作品を作曲している。
 1872年エルガー15歳の時、姉ルーシーの誕生日に歌曲《花ことば(The Language of Flower)》を作曲している。エルガーらしい優しく親しみ易い旋律美が早くも表れている作品である。また、この頃オーボエを吹く弟フランクのために《フーガ(Fuge in G minor)》を作曲するなど創作活動は盛んになってきた。
 15歳になったエルガーは、学校を卒業するが、彼の望みとは裏腹に両親には、エルガーにこれ以上音楽の勉強を続けさせる余裕はなかった。そのためエルガーは法律事務所で働くことになる。
 しかし音楽への夢を捨てきれないエルガーは法律事務所をやめて父の店で経理を手伝いながら独学を続ける。1877年にはロンドンに出て行ってアドルフ・ポリツァーに師事してヴァイオリンの修行を納める。そのポリツァーに師事した旨でヴァイオリンやピアノ教室を開いて生計を立てていた。当時エルガーが新聞社に出した広告には「ポリツァーの弟子」と書かれているものが現存している。
 また、この頃ポウィック精神病院の楽団のためにポルカやカドリーユを作曲し、また仲間と結成したセレナード楽団のために作曲する。ポウィック病院の院長は患者の治療にミュージック・セラピーが有効であることを主張しており、治療に音楽を積極的に取り入れていた。そのために院内に専属の楽団を結成し、その楽団で指導者を務めているエルガーに作曲を依頼していたのである。セレナード楽団ではエルガーはバスーン(ファゴット)を吹いている。
 そんな音楽的には満たされた環境にあったものの、エルガーの野望は一流の作曲家として世に知られることであった。1884年には小編成の管弦楽のために書かれた《セヴィリアの女(Sevillana op.7)》が、アウグスト・マンスの指揮によりクリスタル・パレスにて演奏されている。1885年《組曲ニ長調》が初めて出版された。しかし、まだ無名の駆け出し作曲家という評価しか得られていなかった。

 

〔参考CD〕
*「Elgar Cathedral Music」 ハント指揮ほか
 エルガーがセント・ジョージ教会のために作曲した宗教曲が中心のCD。《アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave Verm Corpus)》は、1887作曲の《ピエ・イエス(Pie Jesu)》を改作したもので、エルガー自身の葬儀の際に演奏された。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5a3v4y
*《花ことば》 コレット指揮ほか「The Unknown Elgar」
 他にも、《ペイジェント・オブ・エンパイア(帝国の大祭典)》の中から「西方への旅」と「不滅の伝説」といった珍しい曲を収めたCD。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/6rkokl
*《セヴィリアの女》 マリナー指揮/ノーザン・シンフォニア「The Lighter Elgar」
 コリンウッドとマリナー指揮による小曲集。《ミーナ》などの曲を収録。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5akbog
*《フーガ》ト短調 B・コレット指揮/ルトランド・シンフォニア「Elgar Powick Asylum Music」
 ポウィック病院のための曲を集めたCD。《ポルカ・ネリー》なども収録されている。
*「Complete music for wind quintet vol.1〜2」 Athena Ensemble
 エルガー初期の木管楽器による曲集。後に《スペインの貴婦人》や《セヴァーン組曲》に転用される曲が収められており、エルガー初期の作風を知る上で興味深い。
Amazon.comの短縮URL 
  http://tinyurl.com/5uvq8z
  http://tinyurl.com/6neg7k
*《ガヴォット》 ビゼンガリエフ(V) 
 《Allegretto on GEDGE》と《ガヴォット》ともにエルガーの音楽教室の生徒に捧げられた習作である。
Amazon.comの短縮URL 
   http://tinyurl.com/683e9e
   http://tinyurl.com/5u5ble

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