ヴァイオリン協奏曲の考察

ヴァイオリン協奏曲の考察

 

グラッファン盤に関すること

 

 

 

ヴァーノン・ハンドリー指揮、フィリップ・グラッファン独奏によるエルガーの「ヴァイオリン協奏曲」。
フリッツ・クライスラーに捧げられたこの作品は、1910年の初演時には既にクライスラーによる編曲が入り込んでいたとグラッファンは主張しており、
グラッファンによる演奏は、クライスラーによって成された表現などを一切廃した、よりプレーンな状態の演奏を自筆譜から再現している。
グラッファンによるとクライスラー版とリード版と呼ばれる自筆諸には40箇所ほどの違いがあるとのこと。
しかし、ポルタメントの多用、細かなトリルなどの装飾の場所が少し違うが、一聴したところではそれほど大きな相違はない。

 

リード版とクライスラー版

 

グラッファン盤によるエルガーのヴァイオリン協奏曲のリード版とクライスラー版についてあらためて整理してみた。
エルガーのヴァイオリン協奏曲の成立の大きな存在となったのがW・H・リード(通称ビリー)である。
1910年ごろ、エルガーとビリーはリージェントストリートで再会。この時、エルガーはヴァイオリン協奏曲の作曲の上で問題を抱えておりビリーに助言を求めた。
当時エルガーが一時滞在していたロンドンのマダムタッソーの近くにあるフラットをビリーが訪れた時に驚いたという。
エルガーの手書きの楽譜が部屋中あちこちに置かれていたから。すべてヴァイオリン協奏曲の楽譜であった。
エルガーの作曲手法は、過去に断片的に浮かんで書きなぐったメモを組み合わせて作品を仕上げるというやり方だった。
特にヴァイオリンのソロ部分の技法的な部分はビリーの助言が大いに取り入れられている。
こうして仕上がった自筆譜をリード版と称することにしよう。
ところが、初演を担当したフリッツ・クライスラーは彼独自の解釈で40か所の細かな変更を行った。
こうしてクライスラーの書き込みが入れらたものがノヴェロ社に送られそのまま出版された経緯と思われる。これはクライスラー版と称するべきだろう。
ゆえに今日演奏されるスタンダートはクライスラー版ということになる。
グラッファンが行った試みは、リード版つまり自筆譜の再現である。ビフォークライスラーのプレーンな状態のヴァイオリン協奏曲ということである。
どちらが優れているかの比較は難しいが、好きか嫌いかの問題になるのであろう。

 

チョン・キョンファの謎のスラー

 

この曲の第3楽章の最初の方にある72という部分(写真)。

この独奏ヴァイオリンの上昇音形につけられたスラー。
前半のみにスラーがあり後半にはない。
多くの録音ではこの楽譜通りに前半だけスラーをかける。
ところがショルティ指揮、チョン・キョンファ独奏、ロンドンフィルの録音では、前半後半ともスラーがかかった演奏になっているという。
確認してみたところ本当にスラーをかけて演奏していた。

そこで私が書いたグラッファン盤がクライスラーが約40か所ほど手を加えた部分を排したプレーンな状態(リード版)を再現しているという話題につながった。
つまり、このスラーはもともとどちらにも付いていて、クライスラーがこの部分のスラーを削除した可能性があるのでは?という話題になった。
だとしたら指揮者のショルティがエルガーの自筆譜を見てチョンに指示した?(つまりクライスラーが改変した部分?)可能性があるのかということになる。
しかし、その可能性は低くて、ショルティがエルガーの自筆譜を研究して録音にあたったというの交響曲第1番のみらしいので、
ショルティの入れ知恵説は低いということになる。
まして、あのチョン・キャンファがそこまでエルガーの自筆譜を自発的に深堀してまで演奏するか?というとそれもまた疑問で、
あのスラーは単にチョン・キョンファの技術的理由なのかポリシーの問題なのかわからないが彼女個人の問題なのかな?とも推察できる。
実際聴いてみるとはっきりスラーを毅然と通している感じではなくちょっと迷いのようなものも見受けられるのである。
もしそこがクライスラーの改変部分であるならグラッファン盤の該当部分は両方ともスラーがかかっているはず・・・。
確認したところグラッファン盤は楽譜通りの演奏だった。

 

つまり、ここはクライスラーの改変部分ではないということになるわけである。
キョンファのスラーの表現の出どころは本当に謎としか言いようがなくこればかりは本人に聞いてみないとわからない。
こういう研究は本当に楽しい。

 

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