クレンペラーとエルガーを結ぶ細い糸
ブルーノ・ワルターのケースと似た例として、オットー・クレンペラーもエルガーのエニグマ変奏曲を時折取り上げていたという。
1951年にロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで開かれたエルガー・フェスティヴァルで、企画者ウォルター・レッグ(Walter Legge)はセルやカラヤンではなく、最終的にクレンペラーを登用することになった。そして彼は当初《エニグマ変奏曲》を指揮する予定であったが、公演直前にプログラムを変更し、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》を演奏している。
クレンペラーも時折、エニグマ演奏曲を演奏することもあったという。レッグはクレンペラーのエニグマを期待していたが、クレンペラーはエニグマではなくモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を譲らなかった。
レッグは「聴衆はあなたのエニグマを聴きたがっている」と説得を続けるもクレンペラーは譲らなかった。
結局“オール・エルガー”を謳ったフェスティヴァルで唯一の非エルガー曲として記録され、非常に異例かつ記憶に残る出来事でした。
この件に関する記録は、主にフェスティヴァルの歴史やウォルター・レッグのエピソードを扱った音楽評論やクラシカル・アーカイブに残されているが、プログラムや新聞記事の詳細は限定的である。とはいえ、「オール・エルガー・プログラムにモーツァルトを挿入した唯一の例」として音楽史上に刻まれていることは間違いない 。
では、クレンペラーの指揮するエニグマ変奏曲とはどんな感じだったのだろうか?
オットー・クレンペラー(Otto Klemperer)が仮にエルガーの《エニグマ変奏曲》を指揮していたとしたら——それは、おそらく極めて異色で重厚な演奏となっていたであろう。
以下、彼の指揮スタイルと美学から推察される「クレンペラー版エニグマ変奏曲」の想像的レビューである。
■ 総論:神殿的構築のエニグマ
クレンペラーがエルガーを積極的に取り上げた記録はほとんどないが、彼の音楽的哲学とエルガーの構築的な作曲様式は、ある部分で共鳴しうる。仮に彼が《エニグマ変奏曲》を指揮していたとしたら、その演奏は:
テンポは全体的に遅め、重厚で荘厳
明晰で冷徹な構成感
感情を押し殺したような客観的視点
という、いわば「ロマン派の遺言」としてのエニグマが出現したに違いない。
■ 各変奏の想像演奏
第1変奏〈C.A.E.〉
通常は妻アリスの優しさがにじむが、クレンペラーならば柔らかさより「誠実な造形」を重視し、温もりより構造的整合感が前面に出る。
第4変奏〈W.M.B.〉
活発で鋭いこの楽章も、必要以上にテンポを上げることなく、かえって「不器用な滑稽さ」が際立つ逆説的な趣をもつだろう。
第7変奏〈Troyte〉
荒々しく短い変奏だが、クレンペラーの厳しい刻みが、皮肉とも受け取れるユーモアを醸し出す可能性が高い。
第9変奏〈Nimrod〉
もっとも注目される変奏。クレンペラーはここを決して感傷的に流さない。感情の波ではなく、荘厳な魂の重みとして描写するであろう。**バーンスタインやバルビローリのような情緒ではなく、**ベートーヴェン的「精神の光」を目指す演奏。
第14変奏〈E.D.U.〉
大団円も決して高らかには鳴らさない。オーケストラを抑制しつつ、徐々に解き放たれるような厳格で荘厳な自己回顧となるだろう。感傷を排除した「鋼鉄のエルガー」と言えるかもしれない。
■ どのオーケストラで?
彼が得意としていたフィルハーモニア管弦楽団あるいはニュー・フィルハーモニア管で演奏されたなら、整然としたアンサンブルと重心の低い響きが、より「精神性」の高い演奏に仕上がっていた可能性がある。
■ 類推できる録音例
クレンペラーのブラームス交響曲第4番や**シューベルト「グレイト」**などの重厚かつ明晰な演奏は、エニグマ変奏曲の中核にある構成的美意識と通じる。
また、彼のマーラー「大地の歌」やバッハのマタイ受難曲といった晩年録音にみられる「感情の凍結と精神の解放」のような二重構造は、《エニグマ》の持つ「人間と芸術の肖像」の描写に新たな側面を与えただろう。
■ 「冷たい炎」としてのエルガー
クレンペラーが指揮するエニグマ変奏曲は、おそらく聴き手の感情を直接刺激するのではなく、精神の奥深くに問いかけるような音楽となっていただろう。
バルビローリのような「心の音楽」ではなく、建築家としてのエルガー像を浮かび上がらせる演奏だったに違いない。
もし実際に彼の録音が存在していたなら、いまごろ「異形のエニグマ」として語り継がれていたに違いない。