ウッド・マジック・・・最大の悲しみ

愛の音楽家エドワード・エルガー

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

我が国では「愛の挨拶」や行進曲「威風堂々」で知られるエルガー。この2曲だけではなくエルガーは交響曲、協奏曲、管弦楽曲、室内楽曲、器楽曲、宗教曲、歌曲、さらには未完ながら歌劇まで、ほぼ全ての分野で幅広く作品を残している。
その中で未完のままこの世を去ってしまい、後に他の補完者により完成した作品がいくつかある。
最も成功した例が1997年にアンソニー・ペインの手による交響曲第3番であろう。それ以外ではロバート・ウォーカーにより完成したピアノ協奏曲、パーシー・ヤングによる補完の歌劇「スペインの貴婦人」などがある。他にも小品のいくつかが補完者による完成しており、他の作曲家の場合よりも比較的多く補完される例が多いように見受けられる。
そして、ピアノトリオのための3つの楽章もポール・エイドリアン・ルークによって完成したものである。エルガー生誕150周年を迎える2007年を記念して補完および世界初演が行われた。2024年10月5日かなっくホールにてアンサンブル・アコルドによって日本初演。

 

このピアノトリオの場合はそれまでの補完作品のケースと少し違っているといえる。
以前の作品はエルガー自身が残した材料が少ないケースも多く、その分補完者による作曲部分の割合が多いこともある。
ところが、今回のピアノトリオの場合は、ほぼ8割から9割くらいはエルガーの創作となっている。エルガーの作曲の方法は、頭に思い浮かんだ曲想を「シェッド」と彼自身が名付けたスケッチブックに断片として書き残し、その断片を組み立てて一つの作品とするというものだった。その中には作品として世に出なかった多くの断片が残っていることもある。
また作曲途中で失われてしまった楽譜も多く、それらは後に発見されて大英博物館やエルガー生誕地博物館などに所蔵されている。
ルークを主にそれらの断片と自筆譜を基に今回の3楽章トリオをまとめあげることに成功している。3楽章それぞれが、全く別の時期に作曲されたものなので、各楽章の個性の違いが際立っているという特徴もこの作品の魅力であろう。それぞれの楽章それぞれに背景となるストーリーがあり、それらのストーリーを知った上で作品を鑑賞するとより興味深く聴くと面白い。

 

第一楽章は、1886年2月と記された断片が元になっており、大英博物館に所蔵されていたものをルークが楽章の始めとして完成させたもの。従って、この楽章は補完者ルークの手が一番多く入った形となっている。86年というかなり初期のものではあるが、エルガーが後の室内楽に取り組んだ頃に到達したような達観と落ち着きのようなものを感じさせる曲想となっている。

 

第二楽章は1882年ころのもので、エルガーとは生涯に渡って親交を結んだ医師のチャールズ・バック博士と出会った。チェリストであるバック博士、ピアニストであるバック博士の母、そしてエルガーはヴァイオリンを弾いて、バック博士の自宅にて即興演奏を繰り広げたものが元になっている。
色々あってエルガーはこの楽章を1913年に「ローズマリー」という小品にして独立させている。「ローズマリー」は比較的よく演奏される曲である。

 

第三楽章はグラフトンマーチと呼ばれている。この主要なテーマはエルガーが1924年に帝国博覧会のために作曲した「帝国のページェント」の8曲目の「連合の歌」が元となっている。このメロディをエルガーはとても気に入っていたようで、その後色々な所で引用を試みている。まず、帝国のページェントと同時に作曲された帝国行進曲においてもこのメロディを引用しており、トリオのテーマとして印象的に使われているのである。さらに、エルガーの没後にアンソニー・ペインによって補完をみた行進曲「威風堂々」第6番にも使われている。ただこれは補完作品なので、この素材をピックアップしたのはペインの可能性もあるが、おそらくこの部分はエルガーの選択だと思われる。そして、この素材はルークが補完した3楽章からなるピアノトリオの3楽章でも登場する。
こちらも補完ではあるものの、この素材はエルガーのスケッチの中にあったものをルークが組み立てたものである。
こちらはグラフトンマーチと命名されている。グラフトンとはエルガーの姉ルーシー(ポリー)一家のことである。
エルガーとルーシーは生涯にわたって仲が良くルーシーの嫁いだグラフトン一家とは家族ぐるみの付き合いが続いた。
エルガーはそんなグラフトン一家のためにグラフトンマーチを作曲したのであった。

 

 

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

 

 

エルガーの室内楽といえば弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲(ともに1919年)が有名である。
ピアノ三重奏曲のための3つの楽章は、作曲家であり研究家でもあるポール・エイドリアン・ルークが、エルガーのスケッチブックからピックアップし3楽章の作品に仕上げた。
エルガー生誕150周年の2007年に完成したものである。

 

以下、楽譜にある補完者であるルークによる詳細な曲目解説を翻訳したものである。

 

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

 

 

第1楽章

 

エルガーはこの3つの楽章のうち、最初の楽章をかなり断片的な形で残している。 原稿は大英図書館にある。トリオの断片の最も初期の部分は、エルガーが鉛筆で「86年2月10日」と日付を書いた10枚つづりのMS用紙の挿入されたシートで、鉛筆で「トリオ第2主題」と書かれている。 トリオ楽章の45-60小節が含まれており、メインスケッチに移されなかった有用な素材が多くある。
 冒頭のレントは大雑把で、最初の8小節はインク、次の6小節は鉛筆で書かれている。 楽章の主要部分にはテンポ表示がない。 最初の24小節はほぼ完全に書き上がっているが、その後空白が目立ち始め、展開部と第2主題の大部分は1行の素材しかなく、3つの楽器が対応する小節はほとんどない。 3つの楽器を通して多くの空白の小節がある。 84小節の後、スケッチそこで突然終わっている、
そこで私(ポール・エイドリアン・ルーク)は、ゆっくりとした序奏と、ニ短調の第1主題に続いて相対調であるヘ長調の第2主題に移行する速い主部からなるこの楽章が、ゆっくりとした序奏を持つソナタ・アレグロのスケッチであると考えた。 私は全体的な構成を決めなければならず、明らかにエルガーのエクスポジションであるものを完成させるが、楽章全体をソナタ形式としては完成させないと決めた。
この曲の最後にはリピート記号をつけた。 最初の小節はヘ長調からトニック調のニ短調に戻るためのもので、2番目の小節はヘ長調で終わる。

 

 

 

 

第2楽章

 

この楽章のスケッチは大英図書館に所蔵されている。1882年9月エルガーはチャールズ・バック博士に招かれ、ギグルスウィックの自宅に滞在した。 彼らが初めて出会ったのは、同年に英国医師会の大会をもてなすためにウースターで開かれたコンサートだった。 これが生涯の友情の始まりとなった。 バックは有能なアマチュア・チェロ奏者で、彼の母親はピアノを弾いていた。 エルガーはもちろんヴァイオリンを弾いた。 エルガーは、その訪問中に3人で音楽的な余興ができるようにと、前年に書いたピアノフォルテのためのトリオ・セクションのスケッチを拡大し、メヌエット・セクションを加えて、実質的にピアノフォルテ・トリオのための完全な楽章を構成した。
ギグルスウィックから戻ったエルガーは、完成したトリオの部分をもう一度ピアノフォルテ用に再構成し、「Douce Pensée(甘い想い)」と名付けた。 1913年、エルガーは音楽出版社であるW.W.エルキンから、『愛の挨拶』と同様の作品として、さらに2つの管弦楽曲を制作するよう依頼された。 これに対してエルガーは、「カリシマ」とともに、強烈で陰鬱な「ソスピリ」を書いたが、エルキンはこの曲は雰囲気的にふさわしくないと考えた。 そこでエルガーはスケッチブックに向かい、すぐに「Douce Pensée」を管弦楽用に編曲し、「Rosemary」(副題は「That's for Remembrance」)と改名した。 ここで紹介されているように、この曲は従来の構成のメヌエットと繰り返しのあるトリオである。

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

 

 

 

 

第3楽章

 

グラフトン家のための行進曲 1924年、完成したばかりのウェンブリー・スタジアムで盛大な大英帝国博覧会が開催されることが決まったとき、主催者がエルガーに開会式のための作曲を依頼したのは当然のことだった。 エルガーは、帝国の世界的な広がりを讃える8曲からなる「帝国のページェント(Pageant of Empire)」と、この作品では、ピアノフォルテ・トリオのためのヴァージョンである「帝国行進曲(Empire March)」を作曲した。
エルガーの伝記作者であるマイケル・ケネディは、「グラフトン家のための行進曲」を「帝国行進曲」のスケッチとして記録しているが、トリオ編曲の日付は1924年となっており、1924年4月23日(聖ジョージの日)に演奏が予定され、その年の1月に大部分が作曲された「帝国行進曲」が先であったことを強く示している。では、なぜエルガーは行進曲をピアノフォルテ・トリオに編曲したのだろうか? 関係するグラフトン一家は、エルガーの「お気に入り」の姉スザンナ・メアリー(「ポリー」として知られる)とその夫ウィル、そして3人の娘と3人の息子だった。 グラフトン兄妹に特別な音楽の才能があったという記録はない。 しかし、長姉のメイは長年秘書を務め、エルガーの妻アリスが亡くなった後は、2姉妹が交代でエルガーの家政婦を務めた。 エルガーは、自分のために尽力してくれた彼らへの感謝の印として、トリオ編曲を完成させたのかもしれない。
楽章のスケッチはエルガー生家博物館に所蔵されており、エルガー自身の手によるヴァイオリンとチェロのパート譜で構成されている。 この2つのパートは、ほとんど修正されることなく、きちんと書き込まれている。 しかし、「ピアノフォルテ」のパートは、あまりきちんとしたものではなく、多くの訂正や追加がある。 「帝国行進曲」のピアノフォルテのリダクション・スケッチであることはほぼ間違いない。 ピアニストには演奏不可能な和音もあり、「オルガン」や「鐘」といった楽器編成の指示もある。
また、ヴァイオリンとチェロのパートより10小節多い。 したがって、グラフトン一家のために行進曲を再構成するのは、2つの弦楽器パートに関しては簡単で、単にコンピューターに転送するだけで済んだ。 ピアノフォルテになると、演奏可能なようにレイアウトの様々な部分を再調整しなければならず、余分な小節はカットしなければならなかった。 しかし、後者は単純な問題ではなく、押しつけがましい小節が連続しているのではなく、最後の2ページほどに広がっているからだ。
この3つの楽章は、もちろん1つのトリオの一部ではないが、そのように演奏することも可能で、その場合は、従来の第1楽章ソナタ・アレグロのゆっくりとした序奏と序奏があり、次に、従来通り、メヌエットとトリオが続き、最後に、前例がないわけではないが、行進曲が来る。 調性関係は、ありきたりで眉をひそめるかもしれないが、突飛なものではない: ニ短調、ト長調、変ロ長調。

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

 

 

 

 

ピアノフォルテ・トリオのための3楽章は、2007年6月6日(水)にリックマンスワースのセント・メアリー教会で開催されたスリー・リバーズ・ミュージック・ソサエティのランチタイム・コンサートで、ジェイン・ウォーカー(ヴァイオリン)、スティーヴン・ホールズ(チェロ)、デイヴィッド・オリヴァー(ピアノフォルテ)によって初演された。
2024年10月5日 横浜市かなっくホールにおいてアンサンブル アコルトの演奏で日本初演。

ピアノ三重奏曲のための3つの楽章

 

 

ポール・エイドリアン・ルーク(ジョン・ノリスに謝辞を捧げる) Hitchin 2008

 

 

 

 

 

 

ポール・エイドリアン・ルーク
ヒッチン 2008

 

 

 

現在リリースされている音源は2種のみ。

 

The Fibonacci Sequenceの演奏

 

 

 

 

 

Schubert Emsambleの演奏

 

日本初演へのいきさつ

2024年10月5日にかなっくホールにて、このピアノ三重奏曲の日本初演が実現。日本エルガー協会として全面協力することに。

 

2024年の4月ごろ、一件の問い合わせが私の元に届いた。
横浜在住で、主に室内楽をメインに演奏しているヴァイオリン奏者さんで室内楽のコンサートを主催している方からのものだった。
日本エルガー協会というワードから、私のFacebookにたどり着き連絡してきたとのこと。

 

没後90年のメモリアルイヤーを迎えるにあたって、10月にエルガーの室内楽曲のみを集めた『エルガーメモリアル』という演奏会を企画していると。メインとしてピアノ五重奏曲と弦楽四重奏曲を予定してるが、もう1曲、ピアノ三重奏の編成で書かれた『ピアノトリオのための3楽章』をぜひプログラムしたいという希望だった。
楽譜を探しているのだが、どうしても見つけることができずに検索を繰り返しているうちに私にたどり着いたといういきさつだった。

 

なんと驚いた。ピアノトリオといえば、相当なエルガーマニアでなければ存在を知らない秘曲といってもよいだろう。録音もわずか2種類しか出ていない。
当然実演での演奏も数回。もちろん日本では演奏が行われていない。
そもそも楽譜を入手しようにも、まだ販売経路に載っていないものである。それは当然楽譜は見つからないわけだ。

 

そこで本国のエルガー協会でエディションを担当している旧友でもあるジョン・ノリス氏に問い合わせてみた。
事情を説明したところ手放しで喜んでくれて、即楽譜のPDFを送ってくれたのであった。
「エルガーの主題によるワルツ」の時のように少し難航するかな?と思ったが、何ともあっけなく日本初演が実現する運びとなった。

 

そして、エルガー関係の交友関係の人々にこのコンサートのことを告げると多くの方々が興味を示してくださり、このコンサートに足を運びことになってくれたのだった。ある意味、近年にないくらいエルガー濃度が極めて濃厚な空間となったのである。

 

今年はエルガー没後90周年。こうしてエルガーを愛する人が出てきてくれて本当に嬉しく思う。

 

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