愛の音楽家エドワード・エルガー

愛の音楽家エドワード・エルガー

大友直人指揮/東京交響楽団  エルガー「使徒たち」日本初演

大友直人プロデュース 東京芸術劇場シリーズ第73回

 

2004年3月6日(土)午後6時 東京芸術劇場

 

大友直人(指揮)

 

大倉由紀枝(ソプラノ/聖母マリア&大天使ガブリエル)
キャサリン・ウィン・ロジャース(アルト/マグダラのマリア)
福井敬(テノール/使徒ヨハネ)
福島明也(バリトン/イエス・キリスト)
大久保光哉(バリトン/使徒ペトロ)
鹿野良之(バス/ユダ)

 

東響コーラス 辻裕久(合唱指揮/発音指導)

 

松井啓子(コレペティトゥール)

 

新山恵理(オルガン)

 

東京交響楽団 グレブ・ニキティン(コンサートマスター)

 

エルガー協会後援

 

 

 

《展望編》

 

● エルガー宗教作品の頂点「使徒たち」

 

 カトリック教徒であったエルガーの人生において信仰心のピークにあった時期に作曲されたのが「使徒たち」「神の国」といった一連の大作オラトリオ群である。不思議なことに「神の国」を最後にエルガーの作品から宗教的作品は目に見えて減少してくる(表参照)。標題のない交響作品を最上の芸術と考えていたエルガーにとって宗教作品に一応のピリオドを打って管弦楽作品へと目を向けなければならなかったというのが一つの理由であろう。同時に彼の内面で何らかの信仰心の変化があった可能性もある。直接関係あるかは不明だが、エルガーは「使徒たち」の作曲時期に母親を失い、さらに「神の国」の完成前に父親までも失っている。このことが、これら2作品に続くはずであった「最後の審判」を放棄する理由であったのではないかと推測するのは考えすぎだろうか?

 

                     声楽を伴うエルガーの主な宗教曲

 

作曲年作品名備考
1880-98Salutaris Hostias 1-3
1887Pie Jesu1902にAve Verm Corpusとして改作
1887Ave Maria1907改作
1887Ave Maris Stella1907改作
1892The Black Knightカンタータ
1896The Light of Life別名Lux Christe
1896Scene from the Saga of King Olaf
1897The Banner of St. George
1897Te Deum & Benedictus
1898Caractacusカンタータ
1900The Dream of Gerontius
1903The Apostles
1906The Kingdom
-The Last Judgement未完
1911O Hearken Thou
1912Great is the Lordアンセム
1912The Music Makersカンタータ
1914Give Unto the Lordアンセム

 

 この作品をバッハの受難曲と比較するというのも興味深い観賞方法ではないだろうか?あのバッハの受難曲が描いたのと同じ聖書の世界観をエルガーが独自の手法で描いたのが「使徒たち」である。例えば、イエスの最期の場面。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」をイエス役に歌わせ、「本当にこの人は神の子だった」を合唱に歌わせたバッハに対して、エルガーは前者を管弦楽、主に弦楽器で表現している。この辺はエルガーならではの鮮烈なオーケストレーションゆえインパクトを与えられる。その他の聴き所として、静寂な中にも燃えるような情熱を封じ込めた美しいフィナーレにも注目して欲しい。交響曲第2番のフィナーレにも通じるエルガーの心情の吐露が聞き取れるはず。

 

 英国ウースター近郊のロングドンマーシュという地にクイーンヒル教会がある。ここはエルガーが好んで度々訪れたポイントである。ある日彼がこの教会の庭で佇んでいる時に突然の嵐に遭った。この時に見た凄まじい雷が、この「使徒たち」のクライマックスの曲想を思い浮かぶヒントになるなど、「使徒たち」の曲想はほとんどこの教会に通うことにより着想されたという。スコアの最初に書かれている「In Longdon Marsh 1902-03」には、そういう意味合いが込められている。

 

大友直人の使徒たち大友直人の使徒たち
 ロングドン・マーシュにあるクイーンヒル教会   エルガーが雷雨を忍んだという同教会の入口

 

 

 2004年は「使徒たち」作曲101周年。100周年の昨年、英国ではサカリ・オラモ指揮/バーミンガム市響によって初演と同日、同場所、同オケで記念演奏会が行われた。この演奏はBBCRadio3で生中継され、インターネットラジオでも聴くことができた。この作品は今も昔も合唱王国英国では定期的に演奏され続けているが、日本では101年目にして初演となる。
 ソリストとして来日するキャサリン・ウィン・ロジャースの登場も今回の聴き所の一つであろう。英国という国は過去に良質なメゾ&アルト歌手を輩出してきたものだとつくづく感じる。クララ・バット、キャスリーン・フェリアー、ジャネット・ベイカーら。ロジャースはこれらの歌手に続くべく逸材といえる。さらに「ゲロンティアスの夢」やエルガー歌曲集などの録音はどれも素晴らしく、彼女こそ今回の「使徒たち」適役に間違いない。

 

 

大友直人の使徒たち

 

  キャサリン・ウィン・ロジャースの名演として知られるBBC75周年記念「ゲロンティアスの夢」

 

 

《演奏評編》

 

 ティンパニーによるピアニッシモのトレモロによる開始で始まるエルガーの作品は3つある。最も有名なものは交響曲第1番だろう。その他、「英国精神」の最終曲「戦没者に捧ぐ」を編曲したWith Proud Thanksgiving。そして、この「使徒たち」である。今回座った席が舞台右側であったためか、これらの打楽器群やチェロ、バスなどの低音楽器やコーラングレの音が良く聞き取れた。特にコーラングレやショーファルといった特殊楽器による効果は作曲者が特に気にしていた部分でもあり聴き所の一つであった。コーラングラの扱いなどまるで伊福部昭を思わせる。
 今回のソリスト陣は前回の「神の国」とは違って、過剰なまでにドラマティックな歌い方をする人間もいなく、声のイメージがよく統一されていたように思う。ウィン・ロジャースが練習に加わったころから合唱を含めた全員の発音が変ってきたとのことなので、彼女を投入することによってかなりプラスの効果があったようだ。
 そのウィン・ロジャースは期待通りの芸を披露してくれた。彼女がヴァーノン・ハンドリーやアンドルー・デイヴィスと組んで歌った「ゲロンティアスの夢」の素晴らしい天使役での活躍を上回るかのような歌声。
 夜明けでのショーファルの角笛の描写は、遠くから近づいてくるイメージでのクレッシェンドが絶妙であった。ここから最初のヤマ場である合唱により「アーメン」が歌われる第1場終結まで迫真の演奏が続く。特に大友さんは、ここで他の演奏では見られない大きなパウゼとリタルダントを持って意味を持たせて終局を迎えていたのが印象に残る。
 第2場の路傍でのイエスの説教の場面。全曲中最も美しい場面の一つはソリストたちのアンサンブルの連係がスムーズで見事である。
 第3場ガリラヤ湖のほとりにおけるマグダラの塔の場面で、いよいよロジャースのマグダラのマリアの登場だ。最初の一声での、その暖かみと深みを湛えた表現に圧倒される。特にピアニッシモでは咽び泣くような悲痛さを表現してみせた。
 それに続く合唱は、相変わらず子音を綺麗に飛ばしており、その練習量を物語っている。かなり指導が行き届いており言葉の意味に関してかなり細やかな注意を払っている様が見て取れる。例えば、全曲中何回が出てくる「Scatter(散ってゆく)」という言葉の発音をことさら強調していた。また、イエスを捕らえに向かった群集が武器と松明を持っていると歌う場面でのWeapon、Torch、Comeという言葉の発音にも同様のことがいえる。
 第2部でいよいよユダによる裏切りのシーンを迎える。バッハの「マタイ受難曲」では、ユダに一曲のアリアを与えているが、エルガーはユダがイエスを裏切る過程を更に細かく描写し、聴く者にユダの痛恨に至る過程を追体験させている。
 最大のヤマ場の一つである第5場でのゴルゴダ場面。弦楽器によるイエスの言葉「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(神よ、なぜ私を見捨てたのですか)」の直前でのオーケストラの頂点では、ボールトはこの場面で大きなクライマックスを形成したのに対してオラモはアンサンブルを重視した緻密な演奏で乗り切った。今回の大友さんは前者ボールトのやり方を踏襲している。
 そして、合唱による「本当にこの人は神の子だった」という核心部分。実は同じ言葉が第1部ペトロが溺れかかる場面で使徒たちによって歌われる。しかし、その両者は微妙に異なる。前者は「Or a truth Thou art the Son of God」で後者は「Truly this was the Son of God」である。前者はペトロを救ったイエスの行為を指し示しており崇拝の念を表している。後者はイエスの臨終に伴って天変地異が起きた(この作品では割愛されている)ことによって、痛恨と後悔の念を表している。当然、両者の表現法は異なるべきであり、この点もよく整理されていたと思う。

 

 

 

《総評編》

 

 かつて、合唱団(アマチュア)に所属していた頃、自分の思い入れがあまりにも強すぎる作品の演奏の翌日、気合が入り過ぎていたためだろうか、よく倒れて寝込むことがよくあった。作品の持つ物凄いエネルギーもあり、某アマ団体でバッハの「マタイ受難曲」を歌った時などがそうだった。今回の東響コーラスが、この長丁場の作品を暗譜で臨むほどの気構え、そして、指揮者、オケ、ソリスト一環となっての、意気込みを全身全霊の集中力を動員して全身で受け止めた結果、翌日の夜、私の身に合唱団時代と同じ「燃え尽き」現象が起きた。それほどもの凄いエナジーあふれる演奏だった。
 しかし、それよりももっと強烈に迫ってきたのが、作曲者エルガーその人の霊のようなもの。そもそも無神論者(今現在)で、無宗教の私は、「霊」の存在そのものを信じていない。しかし、多くの人が「霊」と呼ぶものは何か存在しているのだろうなとは思う。かつて、ごく短い期間だけだったが、この「霊」らしきものを妙に敏感に知覚してしまう時期があった。要は「見えてしまったり」「聞こえてしまったり」してしまうシックスセンス状態。そういう時には、何かを背負ってしまったような感覚に陥ったものだった(この問題は自分自身の内面で考えを整理することによって解決し結論を導いてからは、知覚することはなくなった)。今回の演奏では、正に「何か」を背負わされたような感覚であろうか。
 この作品に背景にある、作曲者が少年時代にきっかけを作らされたリトルトンハウス校の学校長フランシス・リーブの言葉から始まり、これに至るまでの膨大な試行錯誤の作品群とメモの山。そして、初演から日本初演までに要した101年という年月の重さ。そして、何より作曲者がこの作品を母親の命の代償とまで考えていたフシが見られる、その念のようなもの。これら全てが客席の私の頭上に押し寄せて来たかのようだった。
 指揮者の尾高忠明さんはエルガーを演奏する時に、傍らに作曲者の霊を感じるとコメントされていた。その気持ちがわかる気がする。
 ここ最近、エルガーの作品が日本の演奏会でも取り上げれる回数が増えてきたことは本当に喜ばしいことである。そして、交響曲第3番や「使徒たち」の日本初演まで漕ぎ着けるまで至ったという事実。
 しかし、まだまだエルガーという作曲家の本質に迫るようなアプローチを試みるには至っていない。作曲家としてのエルガー、そして、マイノリティの信仰者という社会的立場、さらには階級制の中での様々な葛藤から生まれた作品の背景など。こういう方面からアプローチを試みた演奏論、評論は残念ながら日本ではまだない。自分自身にとっても最も興味のある切り口であるが、それをするための技量、知識、時間、資金、方法、立場などがあまりにも不足しているという情けない現状。また、それらの資質を備えている人々は興味を示そうとしない。そんな人々の目をこの方面に導くために、今何ができるかを考えるのが一番の得策なのだろう。そのために私自身は「捨て石」になっても構わないという覚悟はできているつもり。
 1933年のエルガーとディーリアスの歴史的会談でのやりとり。「あなたはあのようなオラトリオを作曲すべきではなかった」というディーリアスに対するエルガーの答え。「あれは英国の伝統に対する私なりのペナルティなのです」。
 この「ペナルティ」の意味は一体何か?無神論者ディーリアスらしい発言に対して、関係を荒立てないためにあえて、さらりとエルガーが社交辞令的にかわしただけなのだろうか?
 創作面においては晩年のエルガーの宗教作品に取り組む態度を見ると彼自身の信仰心の後退を頷ける。しかし、あえて、最後の最後までこれらの宗教作品の演奏活動にあれほどまで熱心だったのはなぜか?この「ペナルティ」の意味は一筋縄ではゆかない深さがあるように感じられる。

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