エルガーお気に入りのクララ・バット
デイム・クララ・エレン・バット(Dame Clara Ellen Butt DBE 1872年2月1日 - 1936年1月23日)は、イングランドのコントラルト。
力強く深みのある彼女の声はエドワード・エルガーに感銘を与え、エルガーは彼女の声を念頭に置いて歌曲集を作曲した。
1899年の歌曲集「海の絵」は通常のアルトやメゾソプラノでは低音部分が薄くなりオーケストラの音に埋没してしまう傾向があるが、バットの歌声は正に低音部にこそ最大の魅力を発揮していた。エルガーはバットの低音域での声量と音色を想定してこの歌曲集を作曲したと言われている。
クララもこの曲の初演時にはマーメイドの衣装でステージに臨んだという。
「海の絵」の初演は大成功を収め、続く1900年のゲロンティアスの夢での天使役もクララが歌うことをエルガーが想定していたフシがある。
写真にある部分は練習番号120番の12小節前、天使(メゾソプラノ)によって「アレルヤ」と高らかに歌われる。 この「アレルヤ」の頂点がハイA。楽譜上はEでもOKとなっているが、ここはハイAで歌うことに意味がある。この「アレルヤ」のハイAと「神の一瞥」のハイA、そしてそれに続くテノールの「Take me away」のハイA。この3つがセットになっていると考えられるからだ(トリプルA)。
なぜ楽譜上はEでもOKとなっているかの理由は、エルガーはここでクララ・バットのソロを想定していたと思われる。ところがバットの歌声は男声と間違えられるほど低い音が得意なコントラルトだった。なので、ハイAは彼女にはきついということで、このEは彼女のために用意されたのではないかと思う。
では、「男声に間違えられるほどのクララの低音」を実際に紹介してみる。
そして、エルガーに気に入られていたクララなので、当然「希望と栄光の国」を得意にしていた。
ところが、出回っているクララの「希望と栄光の国」の演奏年月日には複数の記述があり、どれが正しいのかがよくわからなくなっている。
1909年と記述されているもの、1911年とか1912年と書いてあるもの、1916年となっていたり、1930年となっているものもある。
実際に残っている録音は2種類のみで、1909年と1930年というものが正しいと思われる。
どちらも録音は古いながら堂々としたクララの低音、正にエルガーが惚れた声を聴くこことができる。