ガーディナー指揮のエルガー2番
サー・ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
エルガー:交響曲第2番 変ホ長調 作品63
(2017年3月5日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)
2017年3月、コンセルトヘボウで行われたサー・ジョン・エリオット・ガーディナーによるエルガー交響曲第2番の演奏は、まさに驚嘆すべき名演であった。
ガーディナーと言えば、一般的にはバッハやヘンデル、モンテヴェルディといったバロック音楽における古楽解釈の第一人者として知られている。したがって、エルガーという後期ロマン派のシンフォニストをガーディナーが手がけると聞けば、意外に思う者も少なくないであろう。しかし、実のところ彼は決してエルガーに疎いわけではない。むしろ、長年にわたり「ここぞ」という場面でエルガー作品を選び、要所要所でその理解と愛情をにじませてきた指揮者である。英国人としての血脈、そして音楽的良心が、エルガーへの深い共感として現れているのは明らかである。
過去にウィーン・フィルを指揮して録音された《エニグマ変奏曲》でも、そのエルガー解釈の的確さと情熱は如実に現れていたが、このコンセルトヘボウでの第2交響曲を耳にすれば、その想いは一層確かなものとなる。
演奏スタイルは、バレンボイム(特に旧盤)、シノーポリ、アレクサンダー・ギブソン、マーク・エルダー、あるいは日本の大友直人のような、シンフォニックかつ構築的なアプローチに近い。スケールが雄大で、ひとつひとつのモティーフが緻密に積み重ねられていくさまは、音楽という建築の中に豊かな生命力が脈打つようである。会場であるアムステルダム・コンセルトヘボウの残響もまた、幽玄な広がりを与えており、この作品のもつ精神的深みを倍加させていた。
個人的に以前から気になっていたのは、エルガー協会の機関誌に記載されていた一件である。ガーディナーがこの第2交響曲のスケルツォにおいて、オルガン入りの版を演奏したという記録があった。今回の演奏ではオルガンの使用は確認されなかったため、解釈を変えたのか、あるいは使用の環境が整わなかったのかは定かではない。ただ、そうした細部に拘泥することが無意味に思えるほど、演奏全体の完成度と感動は圧倒的であった。
何より注目すべきは終楽章である。真にエルガーの精神を理解する者であれば、この楽章に重点を置かずにはいられないはずだ。エルガー自身がバルビローリに語った言葉、「本当の音楽は155小節以降に始まる」は、まさにこの終楽章後半を指している。ガーディナーはこの区間を、慈愛と瞑想に満ちた語り口で丁寧に扱い、作曲者の内面に寄り添うような指揮ぶりを見せた。その表現は、音楽を通じてエルガー自身の感情がそっと差し出されるようであり、聴き手の心を深く打つ。
この演奏を聴いて、久々に「凄い演奏」に出会ったという実感を持った。録音としても貴重であるが、できることならばこの解釈を実演で体験したい──そう強く願わずにはいられない。
Elgar's Symphony No2
John Eliot Gardiner conducts the Royal Concertgebouw Orchestra
The Concertgebouw, Amsterdam
5 March 2017
1 Allegro vivace e nobilmente - 1:00
2 Larghetto - 21:41
3 Rondo: Presto - 37:53
4 Moderato e maestoso - 46:26