~全体像から見たエルガー~

エルガーとランバート

コンスタント・ランバートとエドワード・エルガーの関係は、英国音楽史における世代間の審美的対立を象徴するものとして位置づけられる。ランバートは1934年に出版した評論書『MusicHo!』において、エルガーを含むヴィクトリア朝的音楽の伝統を徹底的に批判した。その筆致は容赦なく、エルガーの音楽を「過度に感傷的で時代錯誤」と断じ、もはや現代の芸術的要求に応えうるものではないと切り捨てている。

 

この批判の根底にあるのは、音楽に対する美学の根本的な相違である。エルガーが築いたのは、19世紀末から20世紀初頭の英国音楽における壮麗で英雄的な語法であり、個人の情熱と国家的誇りを重層的に織り込んだロマン主義の総決算ともいえる様式だった。彼はイングランドの田園風景と精神性を、ドイツ後期ロマン派的語法とオーケストレーションで昇華し、いわば「イングリッシュ・スプレンダー」の体現者となった。

 

これに対し、ランバートは20世紀的モダニズムの只中で活動し、ジャズやストラヴィンスキーに魅了された新世代の先鋒であった。彼は音楽に対し、感情の誇張ではなく、様式の洗練と構造の明晰さを求めた。ランバートが創刊に関わった『ミュージック・ホー』誌は、伝統的な英国音楽界に対する鋭い批評と挑発を込めたメディアであり、旧来の価値観を揺るがす試みの一環でもあった。

 

両者を作曲家として比較することには慎重であるべきだろう。エルガーは、交響曲、オラトリオ、室内楽のあらゆるジャンルで国際的な評価を確立し、英国音楽を“ドイツ音楽の影”から解き放つ象徴的存在となった。一方、ランバートの作曲家としての活動は夭折により限定されたものの、バレエ音楽やカンタータ《リオ・グランデ》に見られるジャズやラテン音楽の融合は、英国音楽における新たな響きの地平を拓いた。

 

すなわち、エルガーが国民的作曲家として「伝統の構築者」であったとすれば、ランバートはその伝統に楔を打ち込んだ「異端の批評者」であり、「更新の触媒」であった。両者の関係は、個人的な確執というよりも、ある美学と別の美学が時代の転換点において衝突した、その象徴的な一断面にほかならない。

 

エルガーとランバート

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