《ゲロンティアスの夢(The Dream of Gerontius, op. 38)》

愛の音楽家エドワード・エルガー

ゲロンティアスの夢ベスト演奏について(ワーストも)

「ゲロンティアスの夢」のベスト盤は?

 

現在までのところ正規盤、海賊盤、映像ソフトを含め約20種類ほどがリリースされている同曲だが、やはりボールト盤とバルビローリ盤を超えるものは出てきていない・・・というのが正直なところ。
両盤とも録音が古いので新しいものも上げたいところだが両盤を超えるまでには至らない。
それでもあえて新しいものをあげるとすればマーク・エルダー盤かリチャード・ヒコックス盤を選ぶべきだろう。
ではボールト盤とバルビローリ盤どちらがベストなのか?
それを決めるのは不可能だろう。
いわば、ベルリンフィルとウィーンフィルどちらが上か?を論争するようなもの。
他にはフルトヴェングラーとトスカニーニの比較。さらには、ベートーヴェンかモーツァルトか?
バッハかヘンデルか?
どれも優劣を決めるのはナンセンスなのだ。
サー・エイドリアン・ボールトは晩年のエルガーを間近で見ており直接に伝えられたことも多く、正に正統的な解釈者といえる存在。
それだけにどの演奏を取っても自信と気品に溢れとても立派な佇まいである。
「ゲロンティアスの夢」においても同様で、全般に渡ってしっかりと地に足がついた堂々たる王者の風格を思わせる貫禄である。
アルトのヘレン・ワッツによる「Alleluiaの下歌い」というわずかな減点ポイントはあるが、それを差し引いてもナンバーワンの最有力候補の地位は全く揺るがない。
一方、サー・ジョン・バルビローリ盤も一歩も引けを取らない。
彼もまたエルガー本人とも面識があり、作曲者の精神をしっかりと受け継いでいる。
バルビローリはラテン的な情熱を注ぎ込み、テンポやディナーミックを意図的に収縮させて、よりドラマチックに演奏するタイプの指揮者である。それでいて熱狂的になりすぎるることなく実にエレガントでジェントルな演奏にまとめあげる。ラテン的要素と英国的要素がうまくミックスされた理想的なスタイルなのだ。
特にここではデイム・ジャネット・ベイカーを迎え空前絶後の天使を歌っている。
チェロ協奏曲でのデュプレと同じようにベイカーもまたバルビローリの指揮に身を任せ最大限の力量を発揮することに成功している。
なので、この両盤どちらを選ぶかは好みの問題と、入手しやすいほうをどうぞという他がない。
蛇足ながら最近、ボールト指揮による「ゲロンティアスの夢」の映像がリリースされた。音源とは別の演奏であるが、ソリストにジャネット・ベイカーやピーター・ピアースにシャーリー・カークを配している。エルガーに関してチャンピオンが一同に揃ってしまった奇跡の演奏である。音源ではないので選考から外したが、これを含めるとしたらこちらが間違いなくナンバーワンとして推薦するべき存在だろう。ボールトとベイカーに手を組まれたら、どうやっても太刀打ちすることは不可能である。

 

 

逆に選んではいけなのはアシュケナージ盤、バレンボイム盤だろう。

 

では、選んではいけないと挙げたアシュケナージ盤とバレンボイム盤について述べてみたい。
というか、この2人の場合、ゲロンティアスだけに留まらずエルガー指揮者の資質の問題となってくる。
まず、ダニエル・バレンボイム。
彼のことはデュ・プレのチェロ協奏曲のエピソードで述べたような理由からエルガーを演奏する「資格」そのものに疑問がある。
デュ・プレと結婚
→デュ・プレとのチェロ協奏曲を録音
→彼女が病に倒れるやすぐに離婚
→彼女が病没するとエルガーの作品の封印を宣言(特に女性奏者、チェロ協奏曲)
→2010年に禁を破りチェロ協奏曲を録音。
それも、よりによって女性奏者とチェロ協奏曲との共演。

 

という流れがあり、デュ・プレのファンからは恨まれている。
デュ・プレと組んでいた頃の彼の演奏は素晴らしかった。
特に交響曲第2番など今でもベスト盤の候補である。
情熱的で有機的な暖かい響き、さらにしっかりとしたフォルムの構成感。
あれだけの名演はなかなかなかった。
ところが最近、再録音した同曲は昔の面影は全くなかった。
なんと皮相的で、表面の上っ面だけを取り繕ったシロモノである。
とても同じ人物の演奏とは思えない。
バレンボイムの指揮するベートーヴェンやワーグナーなどは、いかにも巨匠らしい風格に満ちた立派な演奏である。
しかし、エルガーを演奏すると全くダメなのだ。
これもデュ・プレの呪縛なのだろうか?
とにかくバイアスがかかったような演奏になってしまう。
かつての情熱が今の彼にあるとはとても思えない。
ウラジミール・アシュケージの場合は少しケースが違う。
アシュケナージの場合は彼のこれまでの言動評価の問題が関わってくる。
ピアニストとしての彼は素晴らしかった。
特にラフマニノフのピアノ協奏曲の録音は今でも最高の演奏の誉れが高い。
ピアニスト時代の彼の発言がどうしても気になるのだ。
「ブルックナーの音楽の良さがわからない」
「アマチュア作曲家のレベル」とさえ言った。
ま、そういう人もいるだろうなと思う。
それは仕方がない。
その後、彼は指揮者に転向してブルックナーの交響曲を録音した。
現在の心境は当時と違うかもしれない。
もし心境が変わったのなら、それをアナウンスすべきだ。
それをしていない彼はとてつもなく「損」をしている。
ここまでディスったのだから少なくとも世界中のブルックナー愛好家を敵に回したわけで、少なくとも彼らはアシュケナージに対して好意的な一票を投じることはあるまい。
自分の演奏する作品にリスペクトもなくてよい演奏など出来るのか?
実際、聴いてみるとブルックナーらしい深遠で重厚な響きが皆無。
軽ろやかで深みのない、何と爽やかな演奏なのか。
これはもはやブルックナーではない。
彼が指揮するエルガーも全く同様なのだ。
作品にリスペクトや愛があるなら、スコアに書かれている以上の仕掛けを施す。
古今のエルガー・インタープリターは皆そうする。
アシュケナージの演奏からはそういう痕跡を見つけることができない。
ブルックナーの良さが分からない彼がそれでもブルックナーを演奏している。
同じようにエルガーの良さも分からずに演奏しているかもしれない。
色眼鏡で見るな!という方がが難しいであろう。
そんなアシュケナージに対して、エルガー協会がエルガーメダルを授与してしまったものだから、ますます腹立たしい。
「ブルックナーの音楽の良さがわからない」
その一言が自分自身の演奏家としてのキャリアの首を絞めてしまっているという、とても残念な人になってしまっているのだ。
「出来るくせにやらない」バレンボイム。
「出来もしないくせにやる」アシュケナージ。
どっちの方がマシなのか?
どっちもどっちである。
底辺の争いを勝手にやっていればいい。
2人に共通していえることは「エルガーに対する愛が決定的に欠如している」ということだ。
こんな人たちの演奏するエルガーを聴くのは時間の無駄でしかない。

ゲロンティアスの夢ベスト演奏について

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