カーリーの《オルガン・ソナタ》

愛の音楽家エドワード・エルガー

思い出のエルガー・コンサートへのタイムスリップ

 

 

ホワイトキューブ・オルガンコンサート・シリーズ

 

カルロ・カーリー オルガンコンサート

 

2003年 3月 9日 (日) 白石ホワイトキューブ

 

 

 1885年の初演以来、その録音総数は全部で32種類も存在(2008年現在)するエルガーのオルガン・ソナタ第1番。意外にも日本ではこの時が初演であった。厳密にはその前年の9月にサントリーホールで第1楽章のみが演奏されていたが全曲演奏という形では、これが初となる。
 今回本格的なオルガンコンサートを聴いて感じたことは、オルガンという楽器の凄さに圧倒されたというのが本音であろうか。
 このコンサートのちょうど一週間前、これまた日本初演になるハチャトリアンの交響曲第3番を聴きに出かけた。このハチャ3にもオルガンがかなり大活躍する。それも15本のトランペット奏者とフルオーケストラの全フォルテと向うに回しての大音量であったのには驚いた。厳密には確かに音が消されてしまう瞬間もあった。しかし、その全フォルテの演奏中に確かに地響きを感じるのである。それは当初打楽器の音だと思ったのであるが、見るとそうではない。よく聴いてみるとそれはオルガンの低音であった。オルガンとは、たった一人の奏者でもフルオーケストラに負けない音を出すことができる唯一の単独楽器なのではないか?

 

 第1楽章の始まり、カーリーのアプローチは明快にリズムを刻み、スタッカート気味の速めのテンポで進められた。印象的な第1主題はエルガーが最初に書いたNobilmenteな曲想と言えるのではないだろうか?意外にもスコアにはNobilmenteの文字は書き込まれていない。エルガーが最初にNobilementeという言葉をスコアに書き込んだのは1901年作曲の序曲「コケイン」なので、この作品にはNobilmenteという言葉は書かれていない。しかし、後のエルガーの曲想を決定づけるこのイメージが、この第1楽章第1主題に感じられるのだ。カーリーはこの部分を何とも神々しいまで荘厳に響かせた。それに対して第2主題の優美さとメロウな響きが対照的である。
 また全体を通じてクレシェンド・ディミヌエンドの効果を最大限に活かせたかのような表情付けを見るにつけ、オルガンという楽器の引き出しの多さに驚かされる。
 展開部での何とも宇宙的な響きは、第2交響曲第1楽章での通称「幽霊」と呼ばれる部分とか、はたまたベートーヴェンの交響曲第9番での第4楽章のフーガの前に置かれた「宇宙の響き」を彷彿させ、この曲が何とシンフォニックだったのかと再発見させられたのである。再現部は、提示部との対比をつけるためか装飾音符を多用していた。実に個性的な演奏である。
 第2楽章は、エルガーが1日で書き上げたという部分である。そもそもこの曲自体がたった1週間で完成させられたものだった。というのは、この曲はウースター大聖堂のオルガンが改修された際に、友人でオルガニストのヒュー・ブレアに依頼された作品で、その依頼があまりにも急であったためにエルガーは十分な時間を取ることもできなかった。ブレア自身も練習不足で演奏は失敗に終わったとされている。
 しかしそんな状況にもかかわらず、この作品は、後の交響曲を予感させるほどの充実した出来であるばかりか、様々なエルガー作品のエッセンスが織り込まれている。
 例えば、第1楽章第1主題は先に述べたように、彼の代名詞たるNobilmenteそのものであるし、第3楽章は「愛のあいさつ」的なロマンチックな香りに満ちており、快活な第4楽章は、これこそ「威風堂々」シリーズや交響曲のスケルツォに見られるエルガーのAllegroそのものである。本当にこの作品が、ごく初期の1895年作曲なのかと驚かされる。
 そして、この第2楽章は「朝の歌」などの愛らしい小品の数々を想像させるに十分な魅力を持っている。特にカーリーがこの日多用した印象的なフェルマータの延ばし方が楽章の終わるのを惜しんでいるかのようだった。
 第3楽章は、カーリー曰く「最もロマンチックで叙情的」「あらゆるオルガン曲でも最もロマンチックな曲の一つ」とのこと。恐らく彼が最も気に入っている楽章なのだろう。それだけに特に思い入れタップリに弾きこんでおり、その美しさで聴衆を魅了していた。特にピアニッシモと低音の絡み合いもオルガンならではの面白さを感じさせる。
 第4楽章もとにかく速い。後半にヴィルトォーゾ的な部分があるのだが、ここは少々飛ばしすぎたようだ。聴いていてハラハラさせられたのも事実。第2主題が登場する部分は、第1楽章の第2主題を思い出させるような優美なタッチが印象に残った。

 

 アンコールでの「朝の歌」は独創的な解釈である。ゆっくり目の序奏に始まって、デリケートで丁寧なピアニッシモから一気に中間部のフォルテ。そして厳かなパウゼを経て再びピアニッシモへと、絶妙な音楽の流れである。こんな小さな曲にもいろいろな解釈があるものだとつくづく感心させられた。

 

 これほど意欲的で意義のある演奏会が業界誌等であまり広く告知されていなかったというのは何とも意外である。それは、ひとえにオルガン音楽というもののとらえられ方に問題があるからではないだろうか?
 どこかオルガン演奏そのものが一段低く見られる傾向でもあるのだろうか?一つには教会のミサでの単なる伴奏音楽でしかなかったというオルガンの歴史そのものがイメージとしてあるのかもしれない。
 当日のプログラムに掲載された記事でもそのことが言及されていたのだが、これらは音楽界で十分考察されるべき問題であろうと思う。

 

 同じことはエルガーの作品中における、このオルガン・ソナタのあり方にも言える。録音の種類が、第2交響曲やヴァイオリン協奏曲を上回る32種類もあり、英国では頻繁に演奏会で取り上げられている、このオルガン・ソナタが日本では、やっと初演が行われたという現状。日本における本格的なエルガー受容はまだまだこれからなのだろう。
 今回、カーリーの独創的で伸び伸びとした演奏に触れて、改めてこの曲の魅力を大いに再発見させられたものだ。カーリーの実演を聴いた後に他の録音を耳にすると何と物足りなく感じることか。私自身、それまでオルガン・ソナタに対して質素な印象を持っていたが、カーリーの演奏を聴いてその考えを改めたのであった。

 

 

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