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《交響曲第2番(Symphony No.2 in E flat major, op. 63)》

愛の音楽家エドワード・エルガー

《交響曲第2番(Symphony No.2 in E flat major, op. 63)》

 

 

 

【作品データ】

 

1 - Allegro vivace e nobilmente; 2 - Larghetto;
3 - Rondo (Presto); 4 - Moderato e Maestoso.
演奏時間:約55分
初演:1911年5月24日
会場:クィーンズ・ホール
指揮:エドワード・エルガー
管弦楽:クィーンズ・ホール管弦楽団
献呈:エドワード7世

 

 

 

【失敗に終わった初演】

 

 第2交響曲の初演は1911年5月、ロンドンのクィーンズ・ホールにおいて作曲者の指揮によって行われたが、惨憺たる結果に終わった。演奏が終わった瞬間、観衆は呆気にとられ、ほとんど拍手も起こらず沈黙したままであったという。「一体どうしたのだ。皆詰め物をされた豚の置物のようだ」とエルガーは述べている。比較的ストレートで、ひたすら前向きな第1交響曲に比べて、第2はやや屈折した表現であること、またエドワード7世崩御による世相の不安感と大英帝国の斜陽を人々が感じ取っていたという背景があった。特に葬送行進曲のリズムを持つ第2楽章や、静かに沈むように終わるコーダが、そういう不安感を連想させたことが一因であろう。聴衆はそんなモヤモヤを吹き飛ばすような雰囲気を期待していた。1920年3月、エイドリアン・ボールトによってもたらされた圧倒的な成功までの約10年間、この曲の真価は理解されないという不遇に遭った。

 

 

【名誉回復】

 

 1920年3月のボールトによる演奏の大成功により、エルガー夫妻はボールトに賛辞を送っている。「素晴らしい音楽の連続だった。君に任せておけば、私の将来の評価も安泰だ」と。しかし、それはアリスがこの世で聴いた最後の演奏会となってしまった。この曲には何か今一つ晴れない暗い影のようなものが常につきまとっていた。

 

【「エロイカ」交響曲とエルガー「第2」】

 

 そもそもエルガーが2つの交響曲の作曲に携わる最初のキッカケは1899年まで遡る。スーダンで戦死したゴードン将軍の英雄伝をもとにした「ゴードン」交響曲の作曲に着手したことに始まる。この辺は、ベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」作曲のいきさつを思わせる。その後一連のオラトリオ作曲により一時作業は中断する。しかし「標題のない管弦楽こそ最高の芸術」という理念を持つエルガーにとって交響曲は完成させねばならない命題であり、その後再び交響曲へと取り組むことになる。ところが最初の交響曲を作曲した頃には当初ゴードン将軍に感じていた敬意の念も気持ちが全く変わってしまっていた。それはベートーヴェンが「エロイカ」をナポレオンに捧げようとしたが、ナポレオンが皇帝に即位するや、これを取りやめてしまったというエピソードを思い起こさせる。「エロイカ」とこの曲の構成に関しても類似点が見られる。雄大な広がりを見せる曲想でともに変ホ長調であること。そして葬送行進曲となっている第2楽章、更にはスケルツォが第3楽章に置かれている点などがある。
 この曲の葬送行進曲を思わせる第2楽章に関して、ウィリアム・ヘンリー・リードがその著書「私の知っているエルガー」の中でそのように書いたために、エドワード7世への追悼の意を表していると言われていたが、現在ではこの意見は否定されている。実際には、「威風堂々」第1番の初演者で、1903年に没した友人アルフレッド・ロードウォルドへの追悼であるという説が主流となっている。
 1903〜04年のイタリア旅行の際、同行したローザ・バーリーは旅先でエルガーが口ずさんだメロディが頭から離れなかった。後にこの曲の初演が行われた時に初めて、この時エルガーが口ずさんだメロディが第2交響曲であることに気がついたという。つまり、1903年頃には何らかの着想は得ていたようだ。

 

 

【喜びの精霊】

 

 スコアの最初に、「めったに来ない喜びの精霊よ」というパーシー・ビッシー・シェリーの詩から語句が引用されているのだが、その真意も謎の一つである。そのシェリーの「喜びの精霊」のテーマが、曲全体の主題的に扱われており、特に後半の2楽章では重要な役割を果たしている。後に「ミュージック・メイカーズ」では、第2交響曲から、この「喜びの精霊」のテーマを引用している。
 シェリーの詩と同様、謎かけ好きのエルガーはスコア最終ページに「ヴェニス/ティンタジェル」という謎の言葉を残している。これは、作曲当時エルガー夫妻が訪れた地名を表しており、これらの地を訪れたことで作曲の上で何らかのインスピレーションを与えられたということではないかと考えられる。ヴェニスのサン・マルコ寺院の礼拝堂が第2楽章を作曲する際のイメージとしてあったようだ。またティンタジェルは、エルガーが終生に渡って深い友情を結んだウィンドフラワーことアリス・ステュワート・ワートリーが滞在していた時にエルガー夫妻が訪ねた地名だ。彼女の存在がこの作品作曲の際にも大きなモチベーションの一つとなった。

 

 

 

【スコアにまつわるエピソード】

 

 ちなみに1947年3月の王立オルガン・カレッジにおけるボールトのレクチャーによると、楽譜にはないが、第4楽章の最後にオルガンを加えてもよいということだ。場所はスコア番号の165番の8小節後で、楽章開始から10分ほどの「喜びの精霊」のテーマが最後に出てきてディミヌエンドする部分。不思議なことにボールト自身の録音では、オルガンを入れていないのだが、ボールトの直弟子ハンドリーによる録音によって、このオルガン版を聴くことができる(もう1種マッケラス盤もオルガン入り)。これは元々エルガー本人がボールトに教示したとされているが、この辺の真相も定かではない。ガーディナーはスケルツォでもオルガンを使用した演奏をおこなっているらしい。この辺の根拠に関しては不明であるが、少なくとも1993年3月31日ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのフィルハーモニア管との演奏では、このスケルツォ・オルガン版を使用したというレヴューがある。今後彼がこの曲を録音、あるいは演奏する際には、このスケルツォ・オルガン版を使用する可能性がある。
 また、英国のオーケストラの間では、第4楽章149番(楽章開始から5、6分あたり)のトランペットソロのハイHを2小節伸ばすのが慣例となっている。楽譜上では1小節だけなのだが、1927年の作曲者によるセッションでトランペット奏者のアーネスト・ホールがこのように演奏したところ、エルガー自身が認めたためである。現在出ているほとんどの録音が、この慣習に従って2小節伸ばしているが、楽譜通り1小節で演奏しているのはバルビローリ、メニューイン、バレンボイム、スラットキンとマントルの5人だけ。東響で同曲を指揮した大友直人は2小節伸ばしで演奏していた。また、尾高忠明は「どちらのパターンも試したことがある」と述べている。広上淳一は1小節で切っていた。

 

《交響曲第2番(Symphony No.2 in E flat major, op. 63)》

 

 この作品再評価の最大功労者ボールトの録音は、1944年BBC響、1956年ロンドン・フィル、1963年スコティッシュ・ナショナル管、1968年ロンドン・フィル、そして1975〜76年ロンドン・フィルの5種類ある。うちCDとして入手しやすいのは1975年のEMI盤であろう。

 

〔参考CD〕
*《交響曲第2番》 ハンドリー指揮/ロンドン・フィル
 第4楽章にオルガンが入った演奏。堅固な解釈ながらも伸び伸びとして雄大。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/6p7g4s
*《交響曲第2番》 ボールト指揮/ロンドン・フィル
 全てのエルガー演奏の規範がここにある、という感じの堂々とした演奏。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/63lbsh

 

〔スコア〕
Amazon.comの短縮URL  http://tinyurl.com/5v4kms

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