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ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

愛の音楽家エドワード・エルガー

ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

 

ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

 

 

 

 1962年にケン・ラッセルがBBCにて製作、監督したドキュメンタリー。ラッセルが得意とする一種印象主義的独特な映像効果を駆使して撮影されており、60分という枠にエルガーという作曲家のポートレイトをキッチリ収めている。エルガーの作品に介在する2つの側面などにスポットをあて、苦悩する等身大の作曲家の姿を見事に描き出している。いくつか現実と食い違う部分もあるが、それを差し引いても素晴らしい出来上がりとなった。BFI版の解説でマイケル・ケネディが書いているように、このドキュメンタリーが製作された当時、エルガーに関する書籍はほとんど出版されておらず、かなり資料が乏しかったはず。また当時のTV業界では、ドキュメンタリータッチの作品では、俳優にセリフを喋らせることも、近影で撮影することもタブーとされていた。そのため、この作品では俳優は全てロングショットで、セリフなしであった。そんな状況でも、特にエルガーの初期の作品など、これほどの内容を、この当時製作していることは驚異であるとケネディは述べている。この番組が戦後のエルガー人気リヴァイヴァルの決定的なきっかけとなったことは間違いのない事実である。番組は1960年代の人気TV番組投票で視聴者によって第1位に選ばれ、最近行われた英国におけるTV番組の人気投票でも1600の作品中48位に選ばれるなど、今なお価値は落ちていない。日本でもポニー・キャニオンによって日本語版が製作されレンタル・ビデオ店などで見かけることもしばしば。ラッセルは、エルガー以外にも、マーラー、チャイコフスキー、リスト、ディーリアス、バックスなどの音楽家にまつわる映画やドキュメンタリーを製作している。

 

 

【Synopsis】

 

 「Ken Russell's Elgar=ケン・ラッセルのエルガー」。「Portrait of a Composer=ある作曲家の肖像」というタイトルに続き、少年時代のエルガーが白馬に跨りモールヴァン・ヒルを駆け巡る。BGMには「序奏とアレグロ」が流れる。この曲は、このドキュメンタリー全体のテーマ的に扱われ、特にエルガーの故郷ウースター、モールヴァン地方の主題のようになっている。
 続いて、ナレーションがエルガーの生まれについて語る。映像はセヴァーン川越しに望むウースター大聖堂、そしてブロードヒースにあるエルガーの生れた家、The Firsの前で犬と戯れるエルガー少年。
 次に父親がウースター市内で楽器店を経営していることを紹介し、エルガー少年が店にある楽譜や楽器を先生代わりに音楽を独学でマスターしたという説明。映像はエルガーがハイドンのトランペット協奏曲第3楽章のテーマをトランペットで吹いている場面、続いてヴィヴァルディの「調和の霊感」から協奏曲第6番の第1楽章を弾いている。音楽好きの一家が家庭音楽会を開いた折、エルガーが姉ルーシーの誕生日に歌曲「花ことば」を作曲してプレゼント。 そして、この頃オーボエを吹く弟フランクのために作曲したフーガを演奏している場面。
 一家が毎週日曜日礼拝に通い、父親がオルガニストを勤めていた聖ジョージ教会が映し出され、BGMにはエルガーがこの教会のミサのために作曲した「O Salutalis Hostias No.3」が聞こえる。
 エルガーが最初に本格的な作曲の仕事をしたポウィック病院での演奏。曲は「ポルカ・ネリー」。そして、仲間と一緒に結成していた木管合奏の様子。曲はQuintet for wind Instruments。
 音楽教師を続けている折、ある一人の女性と出会う。それが後のエルガー夫人、キャロライン・アリス・ロバーツであった。彼女との結婚にいたるエピソードが語られる間、バックには「愛の挨拶」が流れる。
 結婚後、二人はロンドンへと出て行く。しかし、まだ無名のエルガーはなかなかロンドンで成功を収めることができない。ただ一度、コヴェント・ガーデンで彼の曲が試演されるかもしれないということで劇場に呼び出されるも、サリヴァンが突然来訪したことにより立ち消えとなってしまう。BGMはサリヴァンの歌劇「コンドラ漕ぎ」序曲。
 失意のエルガー夫妻はモールヴァンへと戻る。「序奏とアレグロ」が鳴り響く。故郷へ戻ったことで逆にエルガーの頭には斬新な曲のアイディアが浮かぶ。そんな時結婚3周年を祝う「弦楽セレナード」を作曲。第2楽章をバックに二人がテーブルを挟んでいる印象的な場面。1897年のヴィクトリア女王即位60周年には「イギリス行進曲」を作曲し、これはなかなかのヒットとなったが、作曲家として本格的に認められるまでにはならない。自ら最高傑作と自認する「ゲロンティアスの夢」もドイツで成功をおさめたものの英国内では成功にいたらなかた。BGMは「ゲロンティアスの夢」第1部ゲロンティアスの独唱「Sanctus Hortis Sanctus Deus」。エルガーが本格的に認められたのは「エニグマ変奏曲」での成功であった。同曲から第1曲目のテーマと第7変奏Troyteが紹介される。成功を収めたエルガーには様々な賞賛や勲章などが与えられた。BGMは「威風堂々第4番」。そして、交響曲、ヴァイオリン協奏曲など数々の傑作を生み出す。しかし、交響曲第2番を作曲した時、献呈すべき相手でエルガーの理解者エドワード7世が崩御してしまう。BGMは交響曲第2番第2楽章。不吉な予感。
 そして、第一次世界大戦の勃発。「威風堂々第1番」が戦争の伴奏音楽のように使われ、好戦的歌詞をつけられたのを嫌悪するエルガー。戦争が進むにつれてエルガーは段々世間を避けて生きるようになる。
 山の中のコテージで作曲されたチェロ協奏曲が、彼が最後に作曲した大作となってしまう。BGMは同曲の第1楽章。そして、最大の悲しみ。アリスの急死。
 ロンドンに戻ったエルガーは、人を避けるようになり地下室にこもるようになる。バックにはバッハの曲を編曲した「幻想曲とフーガ」の幻想曲の部分。
 しかし、エルガーの栄誉は続いており、1924年のウェンブリー帝国博覧会で作曲を依頼される。しかし、新曲は開幕で演奏されず、かわりに国王ジョージ5世が強引に合唱曲「希望と栄光の国」を演奏させてしまう。エルガーの国家に対する嫌悪感は頂点に達する。BGMは「希望と栄光の国」のブラス・バンド版、混声合唱版、アルト独唱、バリトン独唱と合唱など様々なパターンが流れる中、エルガーがウェンブリー・スタジアムから出ようといくつもの階段や門を出るが、なかなか外に出ることができない。ケン・ラッセルならではの映像効果。
 そして、再びモールヴァンへと戻る。BGMは再び「序奏とアレグロ」。この曲が流れる度毎にその時その時のエルガーの立場や心情が異なっており、その辺を映像として微妙に描き別けている。冒頭では少年エルガーは白馬に跨っているが、2度目では汽車に乗って故郷へ戻り、今度は自転車でモールヴァン・ヒルを走る。3度目は自動車でモールヴァン・ヒルを登る。お供には犬たち。
 すっかり、世間からも忘れ去られた存在となったエルガーではあったが、最晩年にもう一度情熱を取り戻す。交響曲第3番やオペラの作曲に意欲を燃やすが、既に時は遅すぎた。エルガーの体は病魔に蝕まれていた。窓からウースター大聖堂とセヴァーン川が見渡される部屋のベッドに横たわり、エルガーは自分の曲のレコードを聴いている。BGMは「エニグマ変奏曲」から第9変奏ニムロド。レコードが最後まで終わり、針音がいつまでも鳴り続けている・・・・。
 エンドタイトルは「愛の挨拶」。

 

ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

 

 

【ケン・ラッセルの「エルガー」の中で、現実と食い違ういくつかの点】
(ポニー・キャニオンによる日本語吹き替え版製作時の翻訳ミスの可能性のあるものもある)

 

1.エルガーの最初の作品として歌曲「花ことば」が作曲されたかのように紹介されている。しかし厳密にはもっと前の10歳頃の1867年には自分たちの子供劇のためにいくつかの曲を作曲している(「花ことば」の作曲は1872年)。

 

2.「オーボエを吹く兄(フランク)のためにフーガを作曲した」と言っているが、兄ではなく弟である。

 

3.アリスとの婚約の際、アリスの両親が結婚に反対したとされているが、実際にはこの時点(1889年)ではアリスの両親とも既に死別している。結婚に反対していたのはアリスの親戚。

 

4.2人が初めてロンドンへ引っ越した場面で「1980年のロンドンはエルガーなど問題にしなかった」とナレーションされるが、これはもちろん「1890年」の単純な間違いである。オリジナルの英語版の時点で、ナレーターを務めたヒュー・ウェルドンが「1980年」と言ってしまっている。

 

5.山の中のコテージを借りて、そこで「カラクタクス」「エニグマ変奏曲」「ゲロンティアスの夢」を作曲したとある。これはバーチウッド・ロッジのことであるが、「エニグマ変奏曲」を作曲したのは、この家ではなくフォーリである。また、この家に10年暮らしたと言っているが、実際は1898年から1903年までの5年間だけである。

 

6.このドキュメンタリーでは、「ゲロンティアスの夢」(1900年)と「エニグマ変奏曲」(1899年)の作曲時期が逆になっている。つまり「エニグマ」より「ゲロンティアス」が先に作曲されたことになっているが、実際はその逆。

 

7.「ジェロンティウスの夢」か「ゲロンティアスの夢」か。以前は「ジェロンティウス」と発音するのが一般的であったが、英国などでは現在「ゲロンティアス」の発音の方が多数派のようである。ちなにみエルガーは「ゲロンティアス」と発音していたそうだ。

 

8.「ゲロンティアスの夢」がドイツで評判になり、R・シュトラウスがエルガーのことを賞賛したことを紹介する場面ではシュトラウスではなく指揮者フェリックス・ワインガルトナーの写真が紹介されてしまっている。(この点をBFI版の別トラックでマイケル・ケネディが指摘するとケン・ラッセルは苦笑いしていた)

 

9.「エニグマ変奏曲」の紹介の中で第12変奏の「BGN」でチェロ奏者のバジル・ネルソンとナレーションされるが、ネルソンではなくネヴィンソンである。また、この曲を第4変奏と紹介しているが、第12変奏の間違いである。

 

10.「エニグマ変奏曲」の紹介の中でエルガー自身を描いた曲として第7変奏の「Troyte」が紹介されるが、この曲は実際には建築家トロイト・グリフィスのテーマである。エルガー自身のテーマは第14変奏「EDU」が正解。またこの曲には「全部で13人が描かれている」と言っているが正しくは14人。

 

11.「収入に比べて大き過ぎる邸宅」とは、ヘリフォードにあるプラス・グィンのこと。ここで交響曲第1番と2番、ヴァイオリン協奏曲、交響詩「ファルスタッフ」を作曲したと言っているが、「ファルスタッフ」の作曲はロンドンのセヴァーン・ハウスである。

 

12.晩年のエルガーが犬を飼っているシーンでは大型犬が登場するが、実際はスパニエルなどの小型犬を飼っていた(この点についてラッセル本人はマイケル・ケネディとの対談で考証の誤りであることを認めている)。その他、映像では少年時代のエルガーが白馬に跨ってモールヴァン・ヒルを駆け回っていたが、実際にはそんな事実はないということをマイケル・ケネディは指摘している。

 

13.BFIからリリースされているPAL版では、字幕の曲名についての誤りがある。ヴィヴァルディの「調和の霊感」を「Violin concerto in A minor」(厳密に言うと誤りではないが、これではヴィヴァルディの数多い作品の中から特定することができない)、「威風堂々第4番」を「威風堂々第2番」、「ポルカ・ネリー」を「L'Hippordrome」と誤って表記されている。また「Vienna Strings play Salut'D Amour」とテロップがあるが、実際にはカーメン・ドラゴン指揮のキャピトル交響楽団による演奏であろうことはほぼ間違いない。クララ・バット歌うところの「希望と栄光の国」で、バットの歌う低音部分でHarold Williamsというテロップが出てしまっている。これはバットの歌声があまりにも低音なので、男声だと勘違いしたものと思われる。

 

 

 

【この映像に関するいくつかのエピソード】

 

1.エルガーとサリヴァン
 1890年、コヴェント・ガーデンでエルガーの作品が試演されるはずであったが、当時の人気作曲家サリヴァンが突然来訪したことによりエルガーの作品の試演は中止となったエピソードが紹介されている。映像にはないが、この話には後日談がある。後にエルガーはサリヴァン本人にこの時のことを話している。それに対してサリヴァンはこう答えている。
「何だ、そんなことがあったのか?一言キミだと言ってくれれば私は喜んで譲ってあげたのに・・・」
 この時、試演されるはずであったエルガーの作品とは、「セヴィリアの女」と「組曲ニ長調」、そして、サリヴァンがこの時リハーサルしたのは「ゴンドラ漕ぎ」であると考えられる。

 

 

2.アリスは左利き?
 弦楽セレナード第2楽章が聞こえる場面で、エルガーが作曲をしている傍らでアリスが楽譜の五線を引いているのであるが、彼女は左手でペンを持っている。(この点についてラッセル本人はマイケル・ケネディとの対談で考証の誤りであることを認めている。また、映像ではアリスが五線譜を手書きで書いているが、この点も誤りだそう。当時のエルガーは五線譜を購入することができないほど貧しかったわけではなく、アリスは五線譜上に楽器名を書き込む作業をしていただけだという)。

 

 

3.ウェンブリー帝国博覧会の開幕式で演奏しようとしたエルガーの新作とは?
 1924年のウェンブリー・スタジアムで行われたウェンブリー帝国博覧会では、エルガーは実行委員会からの委嘱を受けて、8曲の歌曲と1曲の行進曲からなる「帝国のページェント」を作曲している。しかし、時の国王ジョージ5世は、どうしても「希望と栄光の国」(独立歌曲ヴァージョン)の演奏に拘って、これを強引に押し通してしまった。結果、この新作は開幕式では演奏されなかったが、博覧会中に初演が行われている。しかし、現在歌曲の大部分のオーケストラ譜は行方不明となっている。この中で唯一「帝国行進曲」だけは今日でも時々、コンサートで演奏されたり録音されたりする機会に恵まれた。

 

 

4.マール・バンク
 この映像では、エルガーが最後に暮らした家マール・バンクでのロケも行われた。しかし、この家は現在取り壊されてしまっている。取り壊されたのは1968年のこと。そして、この映像の完成が1962年。つまり、ここに写っているマール・バンクは取り壊される前の最後の姿と言ってもいいのである。

 

 

5.死の直前に元気を取り戻したエルガーが作曲しようとした作品とは?
 交響曲第3番とオペラ「スペインの貴婦人」、ピアノ協奏曲あたりのことを指すだろう。交響曲第3番は1997年にアンソニー・ペインにより補筆完成され、「スペインの貴婦人」はパーシー・ヤングの手により1994年に完成している。ピアノ協奏曲は、パーシー・ヤングとロバート・ウォーカーによる2つのヴァージョンがある。ヤング版の方は緩除楽章のみ。ウォーカー版はエルガーによるピアノの即興演奏を元に全曲復元したもの。ちなみにラッセル本人は交響曲第3番が嫌いだそうだ。曰く「あれはフランケンシュタイン・ワークだ」

 

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