「威風堂々第0番」としての《インペリアル・マーチ》
エドワード・エルガーが作曲家として世界的な評価を獲得するきっかけとなった作品は、1899年に作曲された《エニグマ変奏曲》である。しかし、それ以前にもエルガーは幾つかの作品によって、単発的ながら一定の成功を収めていた。特に注目すべきは、1888年に作曲された《愛のあいさつ》、そして1897年の《インペリアル・マーチ》である。
《インペリアル・マーチ》(日本語では「イギリス行進曲」「帝国行進曲」とも訳される)は、1896年のヴィクトリア女王即位60周年記念祝典のために作曲された。作曲当時、エルガーは未だ無名の存在であり、自作を女王に献呈したいという願いは却下された。しかし、この作品は祝典にふさわしい華やかさと荘厳さを備えており、実際の演奏では高い評価を得た。
後年、エルガー自身が譜面に記した指示「Nobilemente(気高く)」は、この作品の音楽的性格を端的に表現している。壮麗なファンファーレ風の導入、重厚で堂々たる主題、そして全体に流れる皇室的威厳と祝祭的高揚感は、後の《威風堂々》シリーズに直結する音楽的語法である。このため、今日ではしばしばこの作品を「威風堂々第0番」と呼ぶ者もある。
この《インペリアル・マーチ》の成功は、エルガーが「マーチの作曲家」としてのイメージを確立するきっかけともなった。しかし、この評価は同時にエルガーにとって生涯にわたる重荷ともなった。すなわち、彼の創作は常に「行進曲作家」という枠に押し込められる危険と隣り合わせであり、より深遠な交響的創作に取り組むたびに、彼はその評価と闘うことになるのである。
このように、1897年の《インペリアル・マーチ》は、エルガーの作曲家としての第一の公的成功であると同時に、彼の音楽的アイデンティティにおいて複雑な位置を占める作品なのである。
ボールト指揮、BBC交響楽団の演奏(1944年)
「威風堂々第0番」としての《インペリアル・マーチ》――エルガー初期様式と栄光の予兆
1. はじめに
1897年作曲の《インペリアル・マーチ》は、エドワード・エルガー(Edward Elgar, 1857–1934)が初めて国家的祝典のために公式に作曲を依頼された作品であり、彼の作曲家人生における転機をなすものである。一般には《エニグマ変奏曲》(1899)により彼が一躍国際的な名声を博したとされるが、その前夜に位置する《インペリアル・マーチ》には既に、後年のエルガーの語法と音楽的精神の萌芽が認められる。
本論では、本作品を《威風堂々》第1番(1901)および《エニグマ変奏曲》と比較し、音楽的特徴・形式・和声・オーケストレーションにおける共通性および差異を検討するとともに、当時の演奏史的文脈および批評の記録を通じて、この作品の意義を再評価する。
2. 音楽的比較
(1)形式と構成美
《インペリアル・マーチ》は4/4拍子、変ロ長調で書かれた三部形式(A–B–A')を採り、極めてシンプルかつ明快な構造を持つ。主部Aでは分厚いブラスセクションによる堂々たる主題が提示され、中間部Bではやや叙情的なエピソードが展開される。
この形式的枠組みは《威風堂々》第1番と類似しており、後者もまた荘厳な行進主題と、後半に置かれた「希望と栄光の国」旋律(中間部の変ニ長調による拡大された副主題)との対照によって構成されている。両者に共通するのは、対照的な情緒の統合と再現部における主題の帰還であり、エルガーがこの時点で既に優れた形式感覚を有していたことを示している。
《エニグマ変奏曲》は主題と14の変奏から構成される大規模な作品であるが、各変奏は明確な性格描写を伴い、また楽器法や調性操作も巧みに用いられている点で、単なる変奏形式を超えた「交響詩的」構造を形成している。
(2)和声と旋律構造
《インペリアル・マーチ》の主調である変ロ長調は、当時「帝国的荘厳さ」を象徴する調性の一つであり(ベートーヴェンの《皇帝協奏曲》などに見られる)、その使用自体が象徴的意図を持っていた可能性がある。
旋律は大きな跳躍と分厚い和音で支えられ、後年の《威風堂々》の雄大な主題に通じるものがある。中間部における主題の変奏では調性が一時的にト短調に転じ、やや哀感を帯びた情感が提示される。これは《エニグマ変奏曲》における変奏IX「Nimrod」のような抒情性と気高さの融合に通じるものであり、エルガー特有の「気高い感傷」の表出である。
(3)オーケストレーションの発展
《インペリアル・マーチ》では、金管群が主導的役割を担うが、弦楽器と木管群も随所で繊細に配置されており、後の《エニグマ変奏曲》で見られるような内声の精緻な設計の原型を見ることができる。特にクライマックスに向けてのオーケストラ全体のブレンドは、エルガーのオーケストレーション技術が既に相当の水準に達していたことを示している。
3. 演奏史と受容
《インペリアル・マーチ》は1897年、ロンドンで行われたヴィクトリア女王即位60周年記念の行事の一環として初演された。演奏は極めて好意的に受け入れられ、新聞各紙はこの作品を称賛し、「新たなイギリス音楽の旗手」としてエルガーの名が急速に知られることとなった。
演奏史の上でも、本作はエルガーが「国家的作曲家」としてのポジションを獲得する一歩目となった意義深い作品である。後にチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードやパリーらが示した慎重な称賛の姿勢も、この作品に始まるエルガーの「公的音楽家」としての存在感を背景に持つ。
4. 同時代批評とアイデンティティの葛藤
当時の批評は、エルガーの音楽を「壮麗」「技術的に完璧」としながらも、しばしば「内容が軽い」と評する傾向があった。これは《インペリアル・マーチ》の祝祭的性格が、その「芸術音楽」としての深みを疑問視されたことによる。だが、こうした批評はのちに《エニグマ変奏曲》や《ゲロンティアスの夢》の登場によって覆され、エルガーが「深みと荘厳さを兼ね備えた」作曲家であることが明らかになる。
しかし皮肉なことに、エルガー自身は生涯にわたって「マーチの作曲家」「国威発揚の象徴」としてのイメージに葛藤し続けた。まさにこの《インペリアル・マーチ》が、その始まりであり、ゆえに本作は単なる前史的作品ではなく、エルガー芸術の中核に潜む矛盾を先取りした象徴的作品なのである。
《インペリアル・マーチ》は、エルガーが後年完成させる《威風堂々》シリーズ、《エニグマ変奏曲》、あるいはオラトリオ作品の音楽的萌芽をすでに内包していた作品である。形式・和声・旋律構造・オーケストレーションのいずれにおいても、後の大作との共通点が明確であると同時に、この作品は作曲者の「公的音楽家」としての始まりを刻む記念碑でもある。
「威風堂々第0番」と呼ぶにふさわしいこの作品の再評価は、エルガーの音楽的肖像の再構築において決して軽視されるべきではない。