「神秘」を感情ではなく構造として描く、ガードナーのゲロンティアス
エドワード・ガードナーによる《ゲロンティアスの夢》は、従来この作品にまとわりついてきた「敬虔」「荘厳」「情念」といった言葉の束を、一度静かにほどき直すところから始まる。その象徴が、第1部冒頭のPrelude, Lento misticoである。
ガードナーのテンポは決して遅くない。しかし、時間が前に進んでいる感覚が希薄だ。ここで描かれる「mistico」とは、揺れ動く内的感情ではなく、空間そのものが静止している状態に近い。
■ 音響設計としての「神秘」
この前奏曲で最も印象的なのは、ロンドン・フィルの音の透明度である。
弦楽器は厚塗りを避け、ヴィブラートも極力節度を保っているが、ノン・ヴィヴラート的な禁欲さには陥らない。
結果として現れるのは、音が感情を語る前に和声そのものが意味を帯びるという状態である。
これは、ボールトやバルビローリのように「語るエルガー」でもなく、ノリントン的な「解体するエルガー」でもない。
👉 「構築されるエルガー」
それがガードナーの立ち位置だ。
■ エルガー晩年の精神性への新しい距離感
《ゲロンティアス》はしばしば、
信仰告白の音楽
個人的宗教体験の吐露
として語られてきた。
だがガードナーは、そこに過度に踏み込まない。
むしろ彼は、この作品を「一人の魂の物語」ではなく「魂という概念そのものを扱う音楽」
として提示しているように聞こえる。
そのため、前奏曲は「祈り」ではなく、死と超越が前提として存在する世界の気配を描く。
ここには、感傷も恍惚もない。あるのは、静かな必然である。
■ ロンドン・フィルとの関係性
ロンドン・フィルの演奏は、近年のLPOレーベルの中でも際立って洗練されている。
内声の整理
管楽器の距離感
和声の重心の置き方
いずれも、「エルガーらしさ」を誇張しない代わりに、エルガーが実はどれほど精密な作曲家であったかを浮かび上がらせる。
これは偶然ではない。ガードナーとLPOの協働は、明らかに長期的なビジョンを感じさせる。
■ ブラッビンズ盤との関係 ―― 双璧、だが方向は異なる
近年の新録音として、ブラッビンズ盤と本盤が双璧とされるのは妥当だが、両者は全く同じ山を、別の登り口から登っている。
ブラッビンズ:
内面のドラマ、語り、情念のうねり
ガードナー:
構造、距離、現代的な透明性
もしブラッビンズが「20世紀的ゲロンティアスの総括」だとすれば、ガードナーは明らかに
👉 21世紀のゲロンティアスの出発点
である。
■ 新しいスタンダードたり得るか?
答えは、イエスである。
ただしそれは、
感情に訴える決定盤
信仰的カタルシスを求める向き
にとってのスタンダードではない。
この演奏が示すのは、エルガーは「語らせる」作曲家ではなく、「聴く者に考えさせる」作曲家でもあり得るという可能性だ。
「さて、あなたはこのエルガーをどう裁くか?」
と問いかけるに足る、静かで強靭な演奏である。
Amazonで購入
Youtubeの再生リスト



