再出発・・・合唱音楽の里
こうして、エルガー夫妻の最初のロンドンでの冒険は、静かに幕を閉じた。
1891年、三人家族となった一家はウースターへと戻り、6月29日、モールヴァン・ヒルを眼前に望むモールヴァン・リンク、アレクサンドラ・ロード35番地(現37番地)の瀟洒な家、「フォーリ」へ転居する。「フォーリ」とは、イタリアの画家メロッゾ・ダ・フォーリの名に由来しており、静謐と気品を湛えたこの家は、傷ついた作曲家の魂を癒やすにふさわしい場所であった。
故郷モールヴァンへの帰還は、エルガーに深い安堵と再生の感覚をもたらした。
幼少期を過ごした丘陵と森、移ろう雲影と風の匂い──それらに再び身を委ねることによって、彼の内奥に眠っていた創作衝動は、静かに、しかし確実に目覚めていった。皮肉なことに、ロンドンでの挫折こそが、彼を真の作曲家へと鍛え上げる契機となったのである。
この時期、エルガーの筆は驚くほどの勢いを帯び、次々と作品が生み出されていった。
1892年、36歳のエルガーは結婚三周年を記念して《弦楽セレナード(Serenade in E minor, op.20)》を作曲する。この作品は、1888年に書かれた《弦楽のための三つの小品》を改訂したものと考えられており、急―緩―急の三部構成の中に、成熟しつつある作曲技法と、抑制された情熱が凝縮されている。とりわけ第2楽章に漂う柔和な抒情は、妻アリスへの深い愛情の結晶とも言えるものであり、後年の《エニグマ変奏曲》の内省的叙情を先取りしているかのようである。
また、「スリー・クワイヤ・フェスティヴァル」に象徴されるこの地方特有の合唱文化の中で、エルガーは次第に大規模声楽作品へと志向を深めていく。母の影響で親しんだロングフェローの詩に基づき、《ブラック・ナイト》(1892)や《オラフ王》(1896)といったカンタータを作曲し、さらに1896年には、夫妻が頻繁に訪れていたバイエルン地方の風景を、アリスの詩によって描いた《バイエルンの高地から》を完成させる。これらの作品には、自然描写と宗教的情感、そして物語性が独自に融合した、エルガーならではの語り口がすでに芽生えている。
同年作曲されたオラトリオ《生命の光(Lux Christi)》は、キリストの布教を題材にした壮大な宗教作品であり、後の大作《使徒たち》や《ゲロンティアスの夢》へと連なる霊的世界の萌芽を示している。さらに1897年には《セント・ジョージの旗》《テ・デウムとベネディクトゥス》を、1898年にはリーズ音楽祭の委嘱による《カラクタクス》を作曲する。《カラクタクス》は、モールヴァン・ヒルを舞台にローマ軍と戦った古代ブリトン人の英雄を描いた作品であり、土地の記憶と民族意識を音楽へと昇華した点において、後のエルガーの「国民的作曲家」としての姿を予告している。
これらの合唱作品群は、なお荒削りな部分を残しながらも、エルガーの作曲技法を飛躍的に進歩させ、やがて《ゲロンティアスの夢》という比類なき精神的モニュメントの完成へと結実していく。
1895年には、ウースター大聖堂のオルガン改修に際し、友人であるオルガニスト、ヒュー・ブレアの依頼によって《オルガン・ソナタ第1番》を急遽作曲する。十分な準備期間を持たぬまま書き上げられたにもかかわらず、この作品には、後年の交響的構想を予感させる多彩な表情が散りばめられており、初期作品の中でも特に注目すべき一作となっている。
こうしてモールヴァンの静寂の中で、エルガーは再び音楽と深く結びつき、沈黙の時代を終えて、次なる飛翔への助走を始めたのである。
〔参考CD〕
*《弦楽セレナーデ》 バルビローリ指揮/シンフォニア・オブ・ロンドン
特に第2楽章が出色。バルビローリのスタイルによくマッチしている。
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*《ブラック・ナイト》《バイエルンの高地から》 ヒコックス指揮/ロンドン響ほか
エルガーの合唱作品の大部分を録音しているヒコックスの統率が取れた演奏。
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*《オラフ王》 ハンドリー指揮/ロンドン・フィルほか
今の所、唯一の録音。最後の方に歌われる合唱曲「As torrents in summer」は単独で取り上げられる機会もある美しい曲だ。
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*《生命の光》 グローヴス指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルほか
聖書の物語に基づくイエスが盲人の目を癒したというエピソードをオラトリオとして作曲。物語としては《使徒たち》に繋がる。
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*《セント・ジョージの旗》 ヒコックス指揮/ノーザン・シンフォニアほか
現在唯一の全曲録音。《ゲロンティアス》へ繋がる合唱の壮大さの片鱗が伺える。
Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/5ozuva
*《カラクタクス》 ヒコックス指揮/ロンドン響ほか
リーズ音楽祭の依頼を受けたことにより作曲されたオラトリオだが、母アン・エルガーの「モールヴァンを舞台にした曲を作ってみては」という提案で、この題材を思いついたという。
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*《オルガン・ソナタ》 キース・ジョン
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