再びロンドンへ

再びロンドンへ

 

「プラス・グィン」での七年間に、エルガーは次々と傑作を生み出し、英国楽壇の寵児となった。名声の高まりとともに、ロンドンでの演奏会、指揮、社交の場への招請が相次ぎ、次第にヘリフォードからの往復が重荷となっていく。列車で二時間余、片道だけでも体力と時間を奪われる生活に、彼はついに終止符を打つ決意を固めた。

 

 新たな住まい探しの折、ウィンドフラワー――アリス・ステュワート・ワートリーが見つけてきたのが、ハムステッド、ネザーホール・ガーデン四十二番地の邸宅であった。緑に囲まれ、静謐と知性が同居するその佇まいは、ひと目でエルガーを魅了した。ハムステッドは、キーツ、シェリー、ゲインズバラ、さらには夏目漱石までも惹きつけた、芸術家たちの住処である。その選択には、ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレーの血を引くウィンドフラワーならではの美意識が、静かに息づいていた。

 

 1912年元日、エルガー五十五歳。彼は再びロンドンへと居を移す。無名時代、ウェスト・ケンジントンで味わった貧困と屈辱の記憶は、決して彼の胸から消えてはいなかった。しかし、今や彼はナイト爵を授かった国家的作曲家である。選ばれた新居は、アン女王時代の趣を残す瀟洒な邸宅で、彼はこれを、故郷セヴァーン川への郷愁を込めて「セヴァーン・ハウス」と名付けた。

 

 広々とした音楽室は、親しい友人たちを招いての小規模な演奏会を可能にし、ビリヤード室はやがて、顕微鏡を据えた生物学研究の場へと姿を変える。音楽と科学――二つの探究心が、この家の中で静かに共存していた。

 

 しかし、この平穏は長く続かなかった。1914年、第一次世界大戦が勃発する。祖国からの要請に応じ、当初は国威発揚的な作品も手がけたが、戦局が深まるにつれ、彼の心は次第に疲弊していく。何よりも耐え難かったのは、戦争の相手が、彼の魂を育んだ音楽文化の母国、ドイツであったこと、そして、1901年という彼自身にとって特別な年に生まれた《希望と栄光の国》が、軍歌のように扱われ、戦意高揚の道具と化していく現実であった。

 

 音楽は人間の尊厳を照らす光であるはずなのに、それが戦争の影に組み込まれていく。その事実は、エルガーの内面を深く蝕んでいった。

 

 「セヴァーン・ハウス」時代に生み出された作品群は、その精神的葛藤を映すかのように、多彩でありながら陰影に富んでいる。組曲《インドの王冠》、幻想的な合唱曲《ミュージック・メイカーズ》、交響的習作《ファルスタッフ》、哀切な《カリヨン》、劇音楽《スターライト・エクスプレス》、カンタータ《英国精神》、そしてバレエ音楽《真紅の扇》。

 

 なかでも《ファルスタッフ》は、エルガー自身が最も愛した作品の一つであった。そこに描かれたのは、英雄譚ではなく、老いと滑稽、虚勢と哀愁を併せ持つ人間の肖像である。それは、栄光の頂点を過ぎ、静かに黄昏へと向かう作曲家自身の自己投影でもあった。

 

 《英国精神》は、戦没者へのレクイエムとして書かれ、終曲「戦没者へ捧げる」は、今なお追悼行事において単独で演奏される。そこには勝利の歓喜ではなく、深い鎮魂の祈りが満ちている。

 

 《ミュージック・メイカーズ》は、さらに内省的な作品である。アーサー・オショーネシーの詩に導かれ、エルガーは自らの過去を回顧する。そこには《エニグマ変奏曲》《ゲロンティアスの夢》《海の絵》《交響曲第1番・第2番》《ヴァイオリン協奏曲》といった自作の断片が織り込まれ、さらに《ルール・ブリタニア》や《ラ・マルセイエーズ》までが現れる。まるで人生の回想録が音楽となって流れ出すかのようである。

 

 1914年、エルガーは初めて録音という新技術と向き合い、《カリシマ》を吹き込む。時代は確実に変わりつつあった。しかし、技術革新よりも、戦争よりも、彼を深く打ちのめす出来事が、この家で待ち受けていた。

 

 それは、音楽によっても、名誉によっても、決して癒すことのできない喪失であった――。

 

再びロンドンへ

 

〔参考CD〕
*組曲《インドの王冠》 ギブソン指揮/スコティッシュ・ナショナル管 
 1912年ジョージ5世のインド行幸を記念して上演されたマスクで、スコアは大部分失われているが今日5曲からなる組曲がよく知られている。エルガー、バレンボイム、グローヴス、ギブソンらの録音があるが、このギブソン盤の威厳にあふれた演奏が素晴らしい。
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*カンタータ《ミュージック・メイカーズ》 ヒコックス指揮/LSOほか
 エルガーの作品の引用オンパレードで、ファンにとっては楽しい曲である。ヒコックス盤は強固なフレーズとバランスの取れた合唱の響きが光る。
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*交響的習作《ファルスタッフ》 ラトル指揮/バーミンガム市響
 エルガー自身は大変気に入っていた作品で、アビー・ロードのこけら落としで、わざわざこの曲を選んでいるほど。バーミンガム時代のラトルの演奏は、スッキリとまとめながらもダイナミックさも併せ持っている。
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*《カリシマ》 エルガー指揮/交響楽団
 1914年にエルガーが行った記念すべき録音第1号となった小品。作曲者自身の演奏が最も情感あふれ、録音状態が悪いながらも感動的だ。
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*《スターライト・エクスプレス》 ハンドリー指揮/LSOほか
 エルガーのノスタルジー志向がタップリ感じられる曲。内容的にはたあいのない作品であるが、エルガー、コリンウッド、ハースト、マッケラス、ハンドリーなど、なぜか結構録音が残っている。エルガーのファンタジーあふれる不思議な魅力をもった作品だ。
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*カンタータ《英国精神》 ギブソン指揮/スコティッシュ・ナショナル管ほか
 録音はギブソンとヒコックスなどの録音あり。録音の良さでギブソン盤を挙げたい。
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*バレエ音楽《真紅の扇》 トムソン指揮/LPO 
 エルガー唯一のバレエ音楽。《ピアノ協奏曲》として作曲された部分もこの曲として引用されている。Amazon.comの短縮URL http://tinyurl.com/64kghn

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