エルガーカントリーへの誘い

Elgar Map(Google Map)
エルガーゆかりの地を案内するエルガー地図(日本エルガー協会監修)

エルガーカントリーへの誘い記事一覧

 「セヴァーン・ハウス」エルガーがここで暮らした時期=1911~1921年   カンタータ《ミュージック・メイカーズ》(1912)  交響的習作《ファルスタッフ》(1913)  管弦楽曲《カリシマ》(1913)  管弦楽曲《ソスピリ》(1914)  カンタータ《英国精神》(1916)  劇付随音楽《スターライト・エクスプレス》(1915)  バレエ音楽《真紅の扇》(1917) 「セヴァーン・ハウス...

1886年10月6日、エルガー29歳の時に彼の人生に大きな変化を与える転機が訪れる。エルガーの教える音楽教室に後に妻となるキャロライン・アリス・ロバーツが入門してきたのである。アリスは、ヘンリー・ジー・ロバーツ陸軍少将の一人娘で、音楽好きの知性あふれる女性であった。彼女は地元の合唱団にも参加しており、その合唱団の伴奏を務めていたのがエルガーの参加する弦楽合奏団であった。そんな縁から2人は恋するよう...

1890年エルガーとアリスは結婚後本格的な作曲家活動に打って出るために首都ロンドンへ転居する。最初、ケンジントンのマーローズ・ロード3番地、2ケ月ほどグレート・モールヴァンのラウダーデイル・ロード8番地(現在ザ・リーズ7番地)の「セイテルモウ」に戻り、次いでクリスタル・パレスに程近いアッパー・ノーウッド、そしてウェスト・ケンジントンのエイヴェンモア・ロード51番地へと落ち着いた。 エルガーを作曲家...

1921年「セヴァーン・ハウス」を引き払ってロンドン中心部にあるセント・ジェームズの家へと転居する。セント・ジェームズ宮殿の近くでグリーン・パークのすぐ横にあるので、大都会ロンドンの中心地とはいえ静かな環境は保たれていた。1889年《エニグマ変奏曲》の初演が行われ、ようやく作曲家として認められた思い出のセント・ジェームズ・ホールが近くにあった。しかし、エルガーにとっては何もかもが全て過去の遺物とし...

エニグマ変奏曲第9変奏Nimrodは、楽譜出版社のノヴェロ社に務めていたアウグスト・ヨハネス・イェーガーである。「ニムロド」とは「旧約聖書」の「創世記」に登場する狩猟者ニムロデから取られており、「イェーガー"Jaeger"」がドイツ語で「狩人」を意味するので、それがニックネームとなっていた。エルガーはイェーガーにこう書いている。「私は1つの変奏曲をスケッチした。それは1つの主題に基づいており、私は...

1926年フレッド・ガイスバーグのプロデュースでHMV社による電気録音のプロジェクトが始まり、エルガーは同社スタジオで自作の録音を数多く行うことになる。既に1914年から始まったアコースティック方式での録音では主要な作品の録音は終わっていたが、今回は全く新しい方式での録音ということでエルガーは大いに興味をそそられた。このスタジオを世界的に有名にしたのはビートルズであはるが、このスタジオで最初に録音...

 世界中のエルガー愛好家にとっての「聖地」と言える場所。1857年6月2日、エドワード・ウィリアム・エルガーは、ウィリアムとアン・エルガーの間に生まれた7人の子供の4番目の子として、この家で生を受けた。赤レンガの造りの小さなコテージであるが、周りを豊かな自然に囲まれた素晴らしい環境にある。この景色が彼の人生に生涯強い影響を与え続けることになる。実際に暮らした時期は1857年から1859年の間のわず...

 西暦680年には、ここの場所に大聖堂が建っていたと記録されているので、1300年もの伝統を誇っていることになる。現在の建物はウルスタンが司教時代の1084年に建設されたものである。その後火災などにより何度かの改築が行われ、19世紀には現在の姿になった。ウースター地方にゆかりの深いジョン欠地王(1216年没)と、ヘンリー8世の兄アーサー王子(1502年没)の墓がある。ノルマン式地下聖堂と65メート...

エルガー楽器店跡 ウースター大聖堂のすぐ近く、エルガーの銅像の斜め前。ここにエルガーの父が経営する楽器店があった。残念ながらこの家は現存しておらず、今は"Russell& Dorrell"というスーパーマーケットになっている。1960年ころまでは、この場所に「あった」という。 少年時代のエルガーは、店にあった楽器や楽譜を先生代わりに独学で音楽をマスターしていったというから音楽的才能には恵まれていた...

ウースター ハイストリート84番地1883年ころ、エルガーが婚約を交わしていた相手ヘレン・ウィーバーの家。彼女の家はここで靴屋を営んでいたが、現在は宝石店となっているようだ。結局18ケ月で彼らの婚約は破れる。エルガー一家が楽器店を営んでいたのがハイストリート10番地なのでヘレンの家は目と鼻の先の場所にある。グーグルマップ

エルガー一家が通ったカトリック教会。エルガーはこの教会のオルガニストであった父親の代わりにオルガンを弾き、教会のミサのために曲を書いている。また、結婚のお祝いとしてナイト神父から、ヘンリー・ニューマン著の「ゲロンティアスの夢」をプレゼントされている。グーグルマップ

エルガーがここに住んだ時期=1929~1934 この家で作曲された主な作品  管弦楽曲《セヴァーン組曲》(1930)  管弦楽曲 行進曲《威風堂々第5番》(1930)  管弦楽曲 組曲《子供部屋》(1931)  管弦楽曲 《ミーナ》(1933) 1929年にストラットフォード・アポン・エイヴォンの「テディントン・ハウス」から1年振りにエルガーはウースターへ戻って来た。街の中心部から北東のはずれにあ...

エルガーが1927~1932年まで暮らしたウースター郊外にあった家「バッテンホールマナー」。現在は取り壊されて現存していない。しかし、1931年にエルガーが植えたクワの木が残っており、記念プレートが設置されている。ウースター中心地からロンドンロードを東南方向に向かいアランデルドライブとミッドハーストドライブが交差したあたりにある。グーグルマップ

1879~1883年にエルガーが住んでいた家「ロレットヴィラ」エルガーが住んでいた当時はチェストヌットウォーク35番地であったが現在12番地となっている。ここはエルガーがアリスと結婚する以前に、姉ポリーの嫁いだグラフトン一家宅に一時居候していたのである。グーグルマップ

 1857年にブロードヒースで生まれ、1934年にウースターで生涯を閉じたエルガーは、ロンドンやヘリフォードなどに暮らしたほんの数年間を除いて、人生のほとんどをこの地で過ごした。 ここにはエルガーゆかりの地が数多く存在し、ウースター市とモールヴァン観光局によって、そのゆかりの地を巡るための案内板が設置されている。この全長約72キロにも及ぶ「エルガー・ルート」と名付けられた案内板を辿って行けばエルガ...

エルガーが住んだ年代=1891~1899 <ここで作曲された主な作品>  弦楽奏《弦楽セレナード》(1893)  カンタータ《ブラック・ナイト》(1893)  オルガン曲《オルガン・ソナタ第1番》(1895)  オラトリオ《生命の光》(1896)  カンタータ《オラフ王》(1896)  管弦楽曲《英国行進曲》(1897)  バラッド《聖ジョージの旗》(1897)  管弦楽曲《エニグマ変奏曲》(18...

エルガーが住んだ年代=1899~1904 ここで作曲された主な作品  オラトリオ《ゲロンティアスの夢》の一部(1900)  管弦楽曲 行進曲《威風堂々第1番》(1901)  管弦楽曲 行進曲《威風堂々第2番》(1901)  管弦楽曲 序曲《コケイン》(1901)  オード《戴冠式頌歌》(1902)  歌曲《希望と栄光の国》(1902)  オラトリオ《使徒たち》(1903)  管弦楽曲 序曲《南国に...

グレート・モールヴァンの街ベルビュー・テラス(Belle Vue Terrace) グレート・モールヴァンの中心地。チャーチ・ストリートとウェルズ・ロードがクロスするあたりの場所で、様々な店舗、ホテルなどがここにある。2000年5月26日、この場所に新しいエルガー像とエルガーをモチーフにした「エニグマ噴水」が新設された。除幕式には、デューク公が列席し、マラト・ビゼンガリエフによるヴァイオリン演奏も...

 モールヴァン・ヒルは南北に9マイル(約14キロ)伸びる丘陵で、最大標高は1395フィート(約425メートル)で、歩道も完備された風光明媚な観光スポットとなっている。ホーリーブッシュ・ヒル、スウィンヤード・ヒル、ハングマンズ・ヒル、ミッドサマー・ヒルから成っている。エルガーも少年時代から晩年に至るまで、この丘をよく散策し、タコ揚げ、サイクリングなどを楽しんだ。エルガーは友人に言っている。「いつか私...

 グレート・モールヴァンの街からヘリフォード方面に向かう途中のリトル・モールヴァンに1862年に建てられたセント・ウルスタン教会がある。とても小さな教会で、よく注意していないと気がつかないで通り過ぎてしまいそうになる。ここにはアリス・エルガー(1920年没)、エドワード・エルガー(1934年没)、キャリス・エルガー・ブレイク(1970年没)の墓所がある。セヴァーン地方の美しい大地が眼前に拡がる場所...

1898年エルガー41歳の時、セカンド・ハウスとしてノース・モールヴァンのグレート・ストーリッジにある「バーチウッド・ロッジ」という山小屋を借りる。エルガーの親友であり建築家であるトロイト・グリフィス(エニグマ変奏曲第7変奏Troyteのモデル)の建築によるものとのこと。エルガーはこの家に1898年から1903年まで別荘として利用していた。ここはエルガーの人生において数多い住居の中でも1、2を争う...

1917年エルガー60歳の時、アリスは68歳になっていた。この頃になるとアリスの体調が思わしくなかったので、養生のためにまた夏の間に滞在する別荘を探すことになった。ウェスト・サセックス州のフィトルワース近くの山荘を見つけ1917年の5月から借りることになった。そしてこの家は「ブリンクウェルズ」と名付けられた。ここも「バーチウッド・ロッジ」同様、四方森に囲まれた環境にあり、エルガーの創作活動には最高...

エルガーはヘリフォードのハンプトン・パーク・ロードにある邸宅「プラス・グィン」を見つけて、1904年の7月1日こちらに引っ越すことになった。それまで住んでいた「バーチウッド・ロッジ」は「フォーリ」に住んでいる頃より距離的に遠くなってしまっていため、ほとんど利用する機会が減っていたので前年の1903年に解約していた。 「プラス・グィン」に住んでいた1904年から1911年までに作曲した作品は、行進曲...

1888年エルガーとアリスは婚約し、その記念としてエルガーは《愛の挨拶(Salut d'Amour op. 12)》を作曲しアリスへ捧げている。しかしアリスの親族が結婚を強く反対した。理由は、まず2人の身分の違いであった。アリスは名門出の陸軍少将の娘。片やエルガーは一商人の息子。おまけにプロテスタント系が主流の英国にあってエルガーの一家は少数派のカトリックであり、エルガーの人生においても宗教的に何...

Football Chant(Sequenced by Chris Goddard)1898年、フットボール(サッカー)ファンであったエルガーが、彼のご贔屓のチームWolverhamton Wanderersのために作曲した応援歌がある。わずか10程度の短い曲である。彼の贔屓の選手がゴールを決めたことを報道したフレーズ「the leather for goal=ムチを打つようなゴール」という記事に...

1992年太陽出版から発刊の宮崎昭威著の「イギリスの旅」という書籍。92ページにウースターにあるエルガーの生家への行き方が書いてある。思えば、一番最初にエルガーの生家に関する情報を得たのはこの書籍であった。というか日本語で書かれた文献はこれしかなかった。これを見てエルガーの家を訪ねようと決心し、そこから様々な情報を漁って1994年念願かなってかの地を訪ねることができた。インターネットもないし、日本...

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