エルガーの主題によるワルツ
エルガーが作曲の際に愛用していたスケッチブックがある。
彼はそれを冗談めかして「シェッド(Shed)」と呼んでいた。小屋、物置という意味だ。そこには、思いついた旋律や和声の断片、リズムの走り書きなどが無数に書き留められており、後にそれらが引き出され、組み合わされて一つの作品へと結晶していった。
しかし当然ながら、そこに書き込まれたすべての素材が作品として世に出たわけではない。
その「未使用の断片」のいくつかを素材として、一曲のワルツに仕上げたのがクリストファー・ポリーブランクである。
完成したこのワルツは、ヴァイオリニストのビゼンガリエフに託され、彼によって世界初演が行われた。さらに録音もなされ、CDとして正式にリリースされている。
私はぜひこの作品を日本で演奏したいと考え、まずビゼンガリエフにコンタクトを取り、ポリーブランクへの連絡先を教えてもらえないかと相談した。しかし返ってきた答えは意外なものだった。ビゼンガリエフ自身も、すでにポリーブランクの消息を把握していないというのである。作曲当時、彼はかなりの高齢で体調も芳しくなく、現在存命かどうかすら分からないとのことだった。さらに、この作品の著作権はどの団体にも委託されていないようだ、という。
その後、幸運にも私はポリーブランクの消息を掴むことに成功し、連絡を試みた。しかし代理人を通じて伝えられた返答は、「この作品はビゼンガリエフのために書かれたものであり、それ以外の使用は認められない」という、きっぱりとしたものだった。
残念ではある。
だが同時に、唯一残されたあの録音が、かえって不思議なほど神々しく聴こえてくるのも事実である。
二度と再演されないかもしれないという運命が、音楽そのものに一種の光輪を与えているかのようだ。
写真は、ビゼンガリエフから直接譲り受けた楽譜である。

1886年のイースターに作曲
20年ほど前に blackbox からリリースされた、マラト・ビゼンガリエフの演奏によって録音された小品である。
エルガーは、頭に浮かんだ旋律や楽想の断片を、彼自身が「Shed(シェッド)」と呼んでいたスケッチブックに書き留め、作曲の際にはしばしばそこから題材を選び出し、作品として仕上げていたとされる。
そのスケッチの中に含まれていた未発表のワルツを、クリストファー・ポリーブランクが約3分ほどの小品としてまとめ上げた。どうやら出版はされていないようで、ビゼンガリエフはポリーブランクから直接、手書きの楽譜を書き下ろしてもらったのだという。
曲はきわめてシンプルで軽やかだが、そこにはエルガーらしい優しさと温かさが満ちており、幸福感に包まれた曲想が印象的である。エルガーがこの種のワルツやポルカを書いた例は非常に珍しく、ポウィック病院時代に、セラピー音楽として用いることを念頭に最初の着想が浮かんだのではないか――そんな想像を掻き立てられる。
ビゼンガリエフの2枚のアルバムの中でも、個人的にはこの曲が最も印象に残っている。文字どおり心に突き刺さるものがあり、紛れもなくエルガーの音楽であると確信させられる一曲だ。かつて『レコード芸術』誌の「海外盤試聴記」でこのディスクを紹介した際も、当然のように特選盤として推薦した。その後、この曲がビゼンガリエフ以外によって録音されることはなく、blackbox レーベル自体もいつのまにか消滅してしまったが、幸いにもナクソスが権利を引き継ぎ、今日まで現役盤として存在しているのは喜ばしい限りである。
以前からずっとこの曲のスコアを探していたのだが、出版されていない以上、入手が困難なのは当然だった。半ば諦めながらビゼンガリエフ本人に問い合わせてみたところ、思いがけず楽譜を譲っていただくことができた。
その譜面のタイトル下に記された一文は、実に感慨深い。
「1886年のイースターに作曲」とある。おそらくエルガーがスケッチブックに書き留めた記述を、ポリーブランクがそのまま転記したのだろう。
1886年――エルガーは、後に妻となるアリス・ロバーツ嬢と出会った年である。二人が出会ったのは、グレート・モールヴァンのチャーチ・ストリートに今も残るセント・セシーリア・ホールだった。そこでエルガーはピアノとヴァイオリンの教室を開いており、アリスはその門を叩いたのである。
その運命的な出会いが、この曲のこれほどまでに甘美で幸福な旋律へと昇華したのではないか――そう思いたくなる。実際には時期に若干のずれはあるのだが。
しかしエルガーの場合、ミューズとの出会いがきわめて直接的に作品へと結実した例は他にも数多く存在する。
ミューズとの邂逅こそが、彼の創作の最大の原動力であったことは、広く知られている事実なのである。





