エルガーのオラトリオ

愛の音楽家エドワード・エルガー
 

1.英国オラトリオの伝統

 

 英国には1760年代頃よりオラトリオ演奏の伝統が各地にある。例えば、バーミンガム、リーズ、ウースター、ヘリフォード、グロースターなどの音楽祭が名高く、この伝統は今に至っている。そんな伝統の中、ヘンデルの「メサイア」、メンデルスゾーンの「パウロ」「エリア」、ドヴォルザークの「レクイエム」「スターバト・マーテル」などが生まれている。この流れはエルガー以降にも引き継がれ、RVW、ディーリアス、ホルスト、ウォルトン、ブリテン、ティペットなどが優れたオラトリオを残している。
 バーミンガムの音楽祭は特にエルガーにゆかりが深い。1900年には「ゲロンティアスの夢」、1903年には「使徒たち」、1906年には「神の国」を、同音楽祭のために作曲している。そして、これらの作品は現在もスリー・クワイヤ・フェスティヴァル(3大合唱祭)では恒例のレパートリーとして定着している。

 

 

2.エルガー宗教音楽の集大成

 

 エルガーの家庭は、父の代よりローマ・カトリックの家系であった。父は楽器店を経営するかたわら、近くのセント・ジョージ・ローマ・カトリック教会のオルガニストを務めており、いつしかエルガー自身も同教会でオルガンを弾くようになり、同時に同教会のミサのための宗教曲を作曲するようになる。
 そして1866年にウースター大聖堂で演奏された「メサイア」を聴いた当時9歳のエルガーは強い感銘を受けたという。また1884年には同聖堂で自作の「スターバト・マーテル」を指揮したドヴォルザークの棒の下、エルガーもオーケストラの一員としてヴァイオリンを弾いていた。これらの体験が後にエルガーが大規模な宗教曲を作曲する際に少なからず影響を与えた。
 そして、徐々に名を上げて行ったエルガーの元に各地の音楽祭から作曲の依頼が来るようになり、「ゲロンティアスの夢」「使徒たち」「神の国」などの大作が誕生する。エルガーがこれらの宗教作品を作曲するバックボーンとなった体験として、少年時代に聞いたリトルトン・ハウス校の校長フランシス・リーヴの言葉がある。「キリストに仕えた使徒たちは、特別家柄も良かったわけではなく、高い教育を受けたわけでもなく、諸君と変わらないごく普通の人たちだった」という話を聞いてから、エルガーはキリストの使徒に関する興味を持ち続けていた。1898年にバーミンガム音楽祭から作曲の依頼を受けた時、エルガーはこの使徒を題材にした作品を作曲しようと考えた。実際、時間的余裕がなかったので、この案は諦めざるをえなかったが、もう一つ温め続けていたニューマン枢機卿の「ゲロンティアスの夢」を作曲することした。
 その3年後、エルガーは長年の構想を実行に移し始める。この計画では「使徒たち」「神の国」「最後の審判」という3部作になり、3作とも完成の暁には3日連続での演奏を考えていたようだ。この辺はエルガーが敬愛していたワーグナーの楽劇の影響が見られる。また作品中にライトモチーフを多用する手法もワーグナーに倣っている。しかし、「最後の審判」は結局完成することはなかった。

 

3.エルガー宗教作品の頂点

 

「使徒たち」
 エルガー宗教作品の頂点「使徒たち」はバッハの受難曲と比較できるだろう。あのバッハの受難曲が描いたのと同じ聖書の世界観をエルガーが独自の手法で描いたのが「使徒たち」である。例えば、イエスの最期の場面。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」をイエス役に歌わせ、「本当にこの人は神の子だった」を合唱に歌わせたバッハに対して、エルガーは前者を管弦楽、主に弦楽器で表現している。この辺はエルガーならではの鮮烈なオーケストレイションゆえインパクトを与えられる。その他の聴き所として、静寂な中にも燃えるような情熱を封じ込めた美しいフィナーレにも注目して欲しい。交響曲第2番のフィナーレにも通じるエルガーの心情の吐露が聞き取れるはず。
 英国ウースター近郊のロングドン・マーシュという地にクィーンヒル教会がある。ここはエルガーが好んで度々訪れたポイントである。ある日彼がこの教会の庭で佇んでいる時に突然の嵐に遭った。この時に見た凄まじい雷が、この「使徒たち」のクライマックスの曲想を思い浮かぶヒントになるなど、「使徒たち」の曲想はほとんどこの教会に通うことにより着想されたという。スコアの最初に書かれている「In Longdon Marsh 1902-03」には、そういう意味合いが込められている。

 

 

「使徒たち」でのショーファー(ショファール)

 

イエスが最後の晩餐の前に弟子たちを招集する場面で使われる。
日本では大友直人指揮、東京交響楽団でただ一度だけ演奏が実現している。
ただ、この部分を実際のショーファーで演奏することは少なくて、大友/東響ではナチュラルトランペットで代用し、普通はフリューゲルホルンなどで代用される。
この動画のように実際のショーファーを使って演奏することは非常に稀である。
第一調べてみたら、もし日本でショーファーを使って演奏しようと思っても、まず日本にはショーファーの奏者がいない。
ということは、私は日本で唯一のショーファー奏者なのだ(笑)。

 

ショファール(ショーファー)の基本パターン
a.「テキアー」(Tekiah)
とは、一つの長い音です。儀式の始まりの宣言。
主の境界線、支配、主権を宣言します。
人によっては「ティアー」と発音。
Tu ruuuu
b.「シェヴァリム」(Shevarim)
は、二つのトーンからなる長い音です。打ち破りをもたらします。
Turu turu turuuu
c.「トゥルアー」(Teruah)
は短く、鋭い連続した音の繰り返しです。神の栄光を告げ知らせます。
人によっては「テルアー」と発音。
Tututututututututuuu
d.「テキアーグドラ」(Tekiah Gedolah)
「テキアー」(Tekiah)を息の続く限り長く伸ばす。
人によっては「マリンクロアー」と発音。
Tuuuu ruuuuuuuuuuu

 

エルガー「使徒たち」In the Dawnでのパターン
Tekiah Gedolah  Tekiah Gedolah  Shevarim  Teruah  Tekiah Gedolah
tuuuu ruuuuuuuuuuu tuuuu ruuuuuuuuuuu
Turu turu turuuu Tututututututututuuu 
Tuuuu ruuuuuuuuuuu

 

 

 

 

 

「神の国」
「神の国」は、オラトリオ3部作の中においては緩除楽章的な存在で、全編穏やかな曲想が続く。エルガーの作品の魅力は緩除楽章にある、と言われるだけに彼の作品の醍醐味が多分に詰まっている。個人的な意見であるが、エルガーの全作品中でも美しい部分が最も詰まっている曲だと思う。その反面、起伏に富んだドラマティックな展開がないために下手をすると退屈に聞えてしまう可能性もあるのだが。
 3部作の最後になるはずであった「最後の審判」がなぜ作曲されないままに終わったのか?ちょうどこの頃エルガーの作曲家として名声が高まり忙しくなってしまったということもあったが、彼自身「神の国」で、ある種やるべきことをやり尽くしたというような感を抱いていたようだ。さらには「標題のない管弦楽作品こそ最上の芸術である」と公言していたエルガーにとって、交響曲というもう一つの大きな目標に向かって始動する時期でもあった。次の表の通り、この「神の国」の完成までエルガーは比較的短い周期で宗教作品を作曲し続けているが、その後、その頻度は少なくなり、規模も小さなものになってくる。同時に彼の内面における信仰心にも何らかの変化があったことは事実だろう。それだけに、この「神の国」は、彼の宗教作品の頂点に位置するものであると考えることができる。

 

 

声楽を伴うエルガーの主な宗教曲

 

作曲年作品名備考
1880-98Salutaris Hostias 1-3 
1887Pie Jesu1902にAve Verum Corpusとして改作
1887Ave Maria1907改作
1887Ave Maris Stella1907改作
1892The Black Knightカンタータ
1896The Light of Life別名Lux Christe
1896Scene from the Saga of King Olaf 
1897The Banner of St. George 
1897Te Deum & Benedictus 
1898Caractacusカンタータ
1900The Dream of Gerontius 
1903The Apostles 
1906The Kingdom 
−The Last Judgment未完
1911O Hearken Thou 
1912Great is the Lordアンセム
1914Give Unto the Lordアンセム

 

 

 

 「神の国」の初演は成功に終わり、翌日の「バーミンガム・メイル」紙で「サー・エドワード・エルガーは彼の作品を指揮しながら感極まり、演奏中に何度も涙が頬を伝わって流れた」と報じている。この涙には理由がある。ちょうどこの作品が完成する直前、彼は敬愛する父親ウィリアム・ヘンリー・エルガーを失っている。更には、その3年前の前作「使徒たち」を作曲した年には、母アンが亡くなった。これら2つのことを同時に思い出していたものと思われる。これら2つの大作を作曲した年に愛する人を失ったという偶発的な出来事が、彼の心に引っかかり、結局「最後の審判」を完成させることを躊躇したという推測は考え過ぎだろうか?

 

 

 

 

「神の国」の歴史的録音2題

 

1.エルガー指揮による「神の国」序曲

 

エドワード・エルガーが自作を指揮スタジオで録音が行われた「神の国」序曲。数多くの自作を録音したエルガーだが、この「神の国」はとても秀逸なもののひとつとして残されている。
極めて壮大でメロディアスな凛々しさに溢れたハートフルな演奏となっている。1933年の録音ながら非常に音質はクリアだ。
1933年といえば死の前年である。このころのエルガーの病状は最悪だった。それでも最後にこのような神々しい録音を残すとは・・・・。
自作を録音した作曲家は数多いが、その中でもエルガーほど自作の録音に熱心だった作曲家はいない。なにしろ自作のほぼほぼすべてのレパートリーを2度にわたって録音するというのは凄い偉業なのだ。現代のように最新の録音設備のない時代。
しかも最初の録音プロジェクトは発明されたばかりの蓄音機へのラッパ吹きこみ。この録音は電気録音が可能になった2度目のプロジェクト。録音場所はビートルズで有名になったアビーロードスタジオの第一スタジオ。
名選手イコール名監督にあらず・・・の例えがあるように名作曲家イコール名演奏家にあらずで、残念ながらエルガーも名演奏家というには心もとないものもあったりする。
その中でも、メニューインと組んだヴァイオリン協奏曲や、ハリソンと組んだチェロ協奏曲など、現代でも名盤と呼ばれる優れたものも輩出しているのがエルガーの偉大なところでもある。
この「神の国」序曲も間違いなく現代でも通用する名演奏であることは間違いない。

 

 

2.イソベル・ベイリーのThe Sun Goeth Down

 

エルガー作曲のオラトリオ「神の国」から第4部の最後にソプラノに歌われるThe Sun Goeth Down。
1947年録音のイソベル・ベイリーによる演奏。
60年前の録音であるが今もって最高の演奏と考えられる。
イソベルの輝くような歌声と神々しい生命力。まるでキャスリン・フェリアーのようだ。この時代の素晴らしい歌手の歌声がこうして聴けるのはなんと素晴らしいことだろう。

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